『美作の野は晴れて』&『137億年の日本史』&『岡山(美作・備前・備中)の今昔』

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◎新(3の3)『137億年の日本史』新生代からの日本列島(1500万~6000年前)

2016-10-19 22:01:29 | Weblog
(3の3)『137億年の日本史ー美作・備前・備中の今昔』新生代からの日本列島(1500万~6000年前)

 1500万年前頃からも、日本列島を含む世界全体のスケールにて、氷期・間氷期が繰り返していて、海面の変化が続いていたことだろう。氷期には水が氷河の氷となって固定される。海水の量は減ったであろうし、海面が下降する。それが間氷期に移ると、今度は逆に海面が上昇する。そんなこんなで大氷河時代における海面の上昇と下降の幅は、どの位であったであろうか。
 ところで、地質年代では、約170万年前より新しい時代を第四紀という。その内訳としては、前の方が更新世(170万年~1万年前)、後の方が完新世(1万年前~現在)に分けられる。第四紀は氷河時代ということに分類されている。氷期と間氷期が繰り返し訪れることになっている。やがて今から120万年前になると、現在の大阪湾に第四紀になってはじめての海が進入し、一説にはこの海が、今の瀬戸内海の始まりともされる。
 さらに今から約60万年前になると、現在の大阪湾付近にあってた海岸線は、播磨平野にまで海が進入するようになる。それからも海域は西へ移動していき、今からおよそ2万年前の「最終氷期」には、海面が100メートルも低下し、瀬戸内海は浅くなったり、狭まって陸化したりで、この内海は今の紀淡海峡や鳴門海峡まで後退した。
 ここで、「ヴュルム氷期」に触れておこう。これは、地質時代の第四紀更新世の最終氷期の代名詞である。この氷期のおよそ11万年前頃から少しずつ気温が低下し始め、多少の変動を示しつつも全体としては低下し続けていった。今から2万5000年前のウルム氷期中の、亜間氷期から最後の亜氷期へと向かううち、日本列島周辺の海面は、下降期を辿った。そして今から約2万1000年頃から1万8000年頃前には、低温のピークを迎えたことであろう。このことを示す痕跡は、列島のあちこちに残っている。例えば、約2万1000年前の霞ヶ浦の地では、現在よりおよそ80メートルも海面が後退していたようである。
 それが2万年前頃になると、それまで広く地表上を覆っていた氷河が溶け出す。これをもって、ヴュルム氷期が終了したのだと説明されている。やがて今から1万3000年ほど前にさしかかると、新ドリアス期という1000年程度のやや温度が低下した時代があった。それを経た後の1万年程前頃には、日本列島周辺の海面は現在と大差のないの水準に達し、「後氷期」に入った。それからも後氷期が続くうち、日本列島周辺の気温は上昇していった。
 さて、今日の地質学の最新の発見の到達点をもってしても、日本列島の成立ちはよくわかっていない。そもそも、この列島は元はユーラシア大陸の一部であったのかもしれない。というのは、新生代第四紀更新世(約258万年~約1万1700年前)の最後の氷河期(最終氷期、約7万年前に始まって約1万1700年前に終了した一番新しい氷期)の終わり、その頃の日本列島は、ところどころアジア・ユーラシア大陸と地続きであったとされる。その中でも、最大規模に氷床(ひょうしょう)が拡大した約2万1000年々前の時期を、最終氷期の最寒冷期(最終氷期最盛期)につき、地球の寒冷化で氷が溶けず、その分、川を下って海に流れ込む水の量が減り、海底の浅いところのかなりのところが陸地化した。どれくらい水面の高さが変化したかということでは、少なくとも100メートルから80メートルくらいは海水面が上昇したとみなされている(現在の茨城県筑波の地質調査研究所に、霞ヶ浦での模型の展示がある)。さらに、アジア大陸と北米大陸の一部も「ベーリング陸橋」でつながったというのが、現在の地理学の教えるところとなっている。
 この日本列島が大陸と陸で繋がっていたとされるのは、朝鮮半島、サハリン南部ということで、中でも現在の北海道に当たる地域は、アジア大陸と陸で繋がる半島(古北海道半島)を形成していた。他方、津軽海峡と朝鮮海峡は、現在の位置よりかなり狭まっていた。本州・四国・九州はというと、元々が浅瀬のためこの時期にはほぼ陸化していた瀬戸内海とともに一つのまとまりとしての島(古本州島)を成していた。さらに現在の沖縄諸島は、今とほぼ同様の、基本的には島嶼(とうしょ)のままであったと考えられている。
 それから更に時代は下って、現在からみて最終の氷期が終わって海面が上がってきたのが、今から約1万3000年前のことだとされる。これらの自然条件の変化により、それまで唯一陸続きであった、今の宗谷海峡に当たる場所の陸地が海に沈み込んだことで、列島全体が大陸から完全に離れたのだと推測されている。約1万年間前ともなると、この最後の氷河期の終了で氷が溶け、日本列島は大陸から切り離されたのだと考えられている。それからは、日本列島の気候はだんだんと温暖になっていった。大陸からは、引き続いて人々がこの地に移り住んで、そこに集団が維持できるだけの自然環境が備わっていた。日本列島は、モンスーンの温帯に属する地方の一つの小島にすぎない。その後、日本列島に長い年月が経過して、およそ1万年くらい前にはその最後の氷河期が終わり、地球は徐々に温暖になっていったとされる。
 今では、日本列島と朝鮮半島の間に広がっている、この海は、大陸からこの列島を隔絶するに至るや、新天地を目指す人々はこの海を船なり筏(いかだ)で渡ってこなければならなくなった。なお、この海の名を巡っては、こちらでは「日本海」といい、対岸の朝鮮からは半島の東側にあるということで「トンヘ」と、それぞれの立場で呼ばれる。双方で呼び名が異なるのはいかがなものか。宇宙から見ると国境などはない、航空写真には一つの海に写ることなのだから、そろそろ双方が話し合って納得のいく名前を定め、共に使用することにしたらよいのではないか。
 顧みて、ヴュルムの「最終氷期」の最寒冷期が続いたのは、2000年程度と考えられている。最終氷期とともに新生代第四紀「更新世」が終わった後には、新生代第四紀「完新世(かんしんせい)」と呼ばれる、現代に続く「後氷期」に入り、氷床に蔽われる寒冷な「氷期」と、それ以降現在までにおいては、比較的温暖な気候の「間氷期」とが交互に現れることになっている。最終氷期が後氷期に移行する時には、北半球の高緯度地方を中心に一種の「寒気への戻り現象」が起こり、その時期は「ヤンガードリアス期(新ドリアス期)」と呼ばれる。こちらは、1000年内外続いたとされる。そして現代に最も近い(新しい)とされる氷期の最盛期は約1万8000年前であって、その頃の平均気温は今より摂氏6~7度低かったのではないかと見積もられている。
 時代はさらに下って、今から6000年前頃からの日本列島周辺を、推測してみる。日本での後氷期(完新世)の海面変化がある程度わかって来て居る。それによると、5000~6000年位前には現在より一端3~5メートル海面が高くなり、それからまた下降して現在にいたっている。
 これは日本では「縄文海進」といわれる。関東など各地で陸の奥のほうまで縄文時代の貝塚の分布が見られるのはこのためである。全国各地の海岸で,現海面より2~5メートル高く海食の跡が多く見られるのは、これのせいと見られる。もっとも、地震の多い日本であるから、この列島を支える地殻そのものの上昇によるものもある。したがって、海面上昇若しくは下降の原因のすべてをこの海面変化によるものと断定することはできない。とはいえ、瀬戸内海が現在の景観をとるようになったのも,北欧のフィヨルドも後氷期の海進によるものである。それゆえ、現在の河口付近にある日本の平野のかなりは,縄文海進で海が侵入してできた湾が土砂に埋められてできたところが多くあるのではないか。

(続く)

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