290『自然と人間の歴史・日本篇』総資本と総労働・安保と三池闘争(1)

2017-08-09 19:39:27 | Weblog
290『自然と人間の歴史・日本篇』総資本と総労働・安保と三池闘争(1)

 自民党政府の一党支配がこのころには固まり、重い税金や、1965年不況時にドッジライン以来の均衡財政政策を破る赤字国債発行で調達した資金などが湯水のように独占大企業に注ぎ込まれたことも見逃すわけにはゆきません。1965年の景気後退期には証券不況が重なって山一証券の経営破綻が表面化しましたが、日本銀行法第25条による特別融資が実行されました。この年には、第一次佐藤内閣で日韓条約成立に伴う疑惑事件も起きました。
 さて、資本主義の現場である職場はどうなっていたでしょうか。この頃から労務管理は巧妙になります。55年には日本生産本部が創られるとともに生産性向上運動の名のもとに職場ではQCからTQC(総合品質管理))へと代わり、QCサ-クルが職場に網の目のように組織されます。これによって労働者に経営理念を植え付け、他社との競争に競り勝てという思想宣伝がなされてゆきます。
 労働運動も1960年の安保改定、三井三池争議で、総資本と総労働の闘争が繰り広げられます。これを経て独占大企業の体制強化が進んで、彼らの後押しと介入で60年代前半には労資協調への封じ込めが進みます。しかし、総評は健在でこの右傾化に抗する闘いが一進一退を繰り返しながら粘り強く続いた時期でもありました。
 日本列島に高度成長が展開していく過程で完全雇用が実現したと言われました。これは根拠がありません。それは、働きたい人は自分の条件に見合った仕事を見いだしている状態であって、同じく何らかの仕事に就くことができる点ではよいが、働く者が現在の賃金や雇用条件に満足している訳ではない状態、すなわち全部雇用の水準とは違います。ところが、高度成長期に全部雇用が実現していた時期があったというのは、それは若年労働力に限ったことであり、それ以外の労働は依然として供給過剰が続いていたのです。中高年労働者が合理化によって職場を追われ、もしくは労働条件の悪い零細企業といった底辺に閉じこめられたり、日雇い労働者になってかろうじて生計を立てていたのです。
 この時期の低賃金・長時間労働はどのくらいの水準だったのでしょうか。
 沖縄を始め全国各地には、戦後、米軍基地が次々とつくられていった。


(続く)

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