(241)『自然と人間の歴史・日本篇』ファシズム前夜の全国各地の様子(農村)

2017-08-09 08:21:51 | Weblog
(241)『自然と人間の歴史・日本篇』ファシズム前夜の全国各地の様子(農村)

 昭和前期の社会主義者・猪俣津南雄(いのまたつなお)は、昭和恐慌・満州事変から日中戦争の間の1933年(昭和8年)1934年(昭和9年)にかけて、2府16県(北は青森から西は岡山まで)にわたり昭和恐慌下の農山漁村を踏査し、農村の数十カ所を取材した。その時の状況を『踏査報告窮乏の農村』(岩波文庫としての初版は、1934年)としてファシズムの迫る中世に問うた。
 そこに「三重県の漁村の女房たちは、亭主との間に出来た〔子供〕を〔間引〕(カッコ部分は初版は伏せ字)した廉で、一小隊ほども法廷に立たされた」というくだりがある。
 併せて、この本には、次のような新生活への息吹を感じたことへの述懐も含まれる。彼は、そんな苦しい現状の報告にあっても、これら農村の生活に希望を見出すことを諦めていなかった。
 「これは私が今度の旅行で確認し得た極めて平凡で最も重要なことの一つだが、・・・・・彼らの最大関心は「文化生活」にある。彼らは、もっと人間らしい生活をしたいという欲求で一杯だ。私は、信州で、越後で、能登で、大阪で、東北各地で、それを確かめた。」
 明治に入ってからの間の小作地率の変化は、つぎの通り。1873年の農地に占める小作地の割合(小作地率)は27.4%、自作地の割合(自作地率)は72.6%。1883~84年の同比率は、それぞれ35.9%と64.1%。1892年のそれは、40.2%と59.8%。1903年は43.6%と56.4%。1912年になると、45.4%と54.6%。1922年には46.4%と53.6%。1932年になると、47.5%と52.5%で、猪俣が農村視察に入った頃の数字である。これまではほぼ一本調子で漸増してゆく。対英米戦争開始の年である1940年になると45.9%と54.1%となって、小作率が少し下がるのであった(『近代日本経済史要覧』)。

(続く)

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