(284)『自然と人間の歴史・日本篇』戦後の民衆文化の出発(書画、陶芸など1)

2017-08-09 10:52:51 | Weblog
(284)『自然と人間の歴史・日本篇』戦後の民衆文化の出発(書画、陶芸など1)

 北大路魯山人(きたおおじろさんじん、本名は房次郎、1883~1959)は、京都の神賀茂(かみがも)神社の社家、北大路家の次男に生まれた。日本の20世紀を代表する日本の「多方位芸術家」といったらいいだろうか。書や篆刻(てんこく)にはじまり、その後絵画、陶芸、料理研究、漆器製作等々、といった様々な芸術分野でマルチの才能を発揮した。しかも、彼は単に技を磨いて芸術の高みを目指すのではなく、創作活動を通じて心豊かになる道を歩くのをモットーとした。例えば、陶芸の分野で食と器の連関性を大事にしたのも、その試みの一つ。「食器は料理の着物」といい、美食家を自認しつつも1922年(大正11年)に「美食倶楽部」を主宰することで社会啓蒙を任じていたのも、「芸術そのものが実生活である。また、その実生活そのものが芸術である」(『魯山人陶説』(愛陶語録))との執着の表れと見られよう。
 76年の生涯の間に残した作品は途方もなく多かった。しかも、多種多様なであった。興味を抱いたことには、自分で全部やらなければ本格的ではない、と思ったのも、この人ならではの特徴と言える。多様な分野の中でも、最も傾注したのはやはり陶芸ではなかったか。1927年(昭和2年)44歳のとき、自分の窯を築き上げてからは、馬力がかかって作陶に励んだ。魯山人の手によって生み出された器は万を下るまい、とも言われる。しかも、やることが大胆で、例えば皿に「福」とか「魁」(さきがけ、北斗七星の主星の)などと大きな一字を入れ込んだり、わざと口がかけているように演出した作品「信楽刻線文壺」(しがらきせんもんつぼ)といった具合だ。代表作には「椿鉢」(つばきばち)や「織部扇面形鉢」(おりべせんめんばち)などがあって、前者は直径43.2センチメートルの器体(きたい)の表裏に、紅白の椿の花が所狭しと各々自己主張している。後者においては、ホタテ貝を開いたような独特の形をした器の底面に、籠のような編み目に引っかかっているかのように幾つかの花が描かれている。
 また、書も達者な筆使いであって、一気呵成(いっきかせい)に書き上げるという類だろうか、とにかく字に勢いが有り余っているかのようで、眺めて心地よい。そんな魯山人が心酔していたのが良寛(りょうかん)の書であって、「良寛様の書、それは品質に見ても、形貌すなわち書風に見ても、容易にあり得ない、すばらしい、良能の美書というべきである」(『良寛様の書』)と激賞しているところだ。1955年(昭和30年)頃、72歳の書「善悪不二美醜不二」(ぜんあくふじびしゅうふじ)が魚柄の器の絵に添えられている。これを観ているうちに渾然一体、何が何だかわからないようになる気持ちは、どんな常識にもとらわれなかったといわれる、魯山人ならではの新境地なのかもしれない。

(続く)

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