♦️895『自然と人間の歴史・世界篇』日本とロシアとの経済協力を巡って

2017-08-18 08:54:46 | Weblog

895『自然と人間の歴史・世界篇』日本とロシアとの経済協力を巡って

 日本と、ロシアとの経済協力の話し合いがもたれるおり、日本側はこれに領土交渉を交え、なんとか「北方領土返還」への道筋をつけたい意向であるらしい。そこで、第二次世界大戦前後から今日までの両国の関わり合いを振り返ると、まずは1941年4月13日、日本とソビエト連邦との間に、日ソ平和条約がモスクワで調印された。これの日本語での全文は、つぎのとおり。
 「大日本帝国天皇陛下及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦最高会議幹部会ハ両国間ノ平和及友好ノ開係ヲ鞏固ナラシムルノ希望ニ促サレ中立条約ヲ締結スルコトニ決シ之ガ為左ノ如ク其ノ全権委員ヲ任命セリ
大日本帝国天皇陛下
外務大臣従三位勲一等松岡洋右
「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦駐剳特命全権大使陸軍中将従三位勲一等功四級建川美次
「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦最高会議幹部会
「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦人民委員会議議長兼外務人民委員「ヴヤチエスラウ、ミハイロヴイチ、モーロトフ」
 右各全権委員ハ互ニ其ノ全権委任状ヲ示シ之ガ良好妥当ナルヲ認メタル後左ノ如ク協定セリ
第一条
  両締約国ハ両国間ニ平和及友好ノ関係ヲ維持シ且相互ニ他方締約国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スベキコトヲ約ス
第二条
 締約国ノ一方ガ一又ハ二以上ノ第三国ヨリノ軍事行動ノ対象ト為ル場合ニハ他方締約国ハ該紛争ノ全期間中中立ヲ守ルベシ
第三条
 本条約ハ両締約国ニ於テ其ノ批准ヲ了シタル日ヨリ実施セラルベク且五年ノ期間効力ヲ有スベシ両締約国ノ何レノ一方モ右期間満了ノ一年前ニ本条約ノ廃棄ヲ通告セザルトキハ本条約ハ次ノ五年間自働的ニ延長セラレタルモノト認メラルベシ
第四条
 本条約ハ成ルベク速ニ批准セラルベシ批准書ノ交換ハ東京ニ於テ成ルベク速ニ行ハルベシ
 右証拠トシテ各全権委員ハ日本語及露西亜語ヲ以テセル本条約二通ニ署名調印セリ
昭和十六年四月十三日即チ千九百四十一年四月十三日「モスコー」ニ於テ之ヲ作成ス
松岡洋右(印)、建川美次(印)、ヴエー、モーロトフ(印)」
 右証拠トシテ各全権委員ハ日本語及露西亜語ヲ以テセル本条約二通ニ署名調印セリ
昭和十六年四月十三日即チ千九百四十一年四月十三日「モスコー」ニ於テ之ヲ作成ス
松岡洋右(印)、建川美次(印)、ヴエー、モーロトフ(印)」
 この条約は、1941年4月25日に両国での批准が終了し、発効した。当時のソ連の念頭にあったのは、軍事膨脹を続けるドイツであったろう。日本側のそれがアメリカであったことも、言うまでもない。ところが、この文書の「五年ノ期間効力ヲ有スベシ」の5年に満たない間に、連合国の一員としてのソ連が、1945年8月9日、この条約を一方的に廃棄し、大陸に展開する日本軍に攻撃を仕掛ける。ソ連は、これを連合国の意により行った。したがって、ソ連が単独の意思で日本軍を攻撃したというのは当たらない。
 しかし、条約違反ではないかという向きもあるに違いない。確かに、これだけで見ると日本側はいかにも不意をつかれた格好・外観なのだが、実はそうでもなかった。戦後に判明したところでは、日本側でも本条約は自身の「南進政策」を続けるための方便であったのではないか、と感じられなくもない。というのは、日本軍の南方戦線で「南部仏印進駐」が強行された同年7月にあっては、既に対ソ連を目する武力行使の準備が「関東軍特種演習」(関特演)の秘匿名で準備されていた節がある。それまで関東軍で行われていた作戦とは内容が異なるものであるため、この名称で呼ばれていた。
 これを別の向きから補強するものに、コーデル・ハル(アメリカの国務長官にして、1933年3月~1944年11月までの在任))による回顧があって、こうある。
 「1941年12月8日、私は新任ソ連大使で前のソ連外務人民委員だったマクシム・リトヴィエフと会談した。(中略)リトヴィエフは三日後に私の求めに応じて訪ねて来たが、「ソ連政府はいま米国と協力して日本に対抗することは出来ない。ソ連は大規模な戦争をドイツとの間に行っており、日本から攻撃される危険をおかすことは出来ない」と伝えて来たと私に述べた。私はつぎのように答えた。
 「ソ連の立場はよくわかる。今年の初め頃、私はドイツの対ソ攻撃が迫っていることをソ連に警告したことがあったが、同様に信頼すべき情報によると、日本は日ソ中立条約の条件にもかかわらず、ヒトラーが要求すればいつでもソ連その他ドイツと戦っている国を攻撃することを約束している模様である。この取り決めでは、日本は先ず米国を攻撃し、この攻撃にドイツとイタリアが参加し、あとでドイツの要求があった時に日本がソ連に侵入することになっている」」(コーデル・ハル著、宮地健次郎訳「ハル回顧録」中公文庫、2001、315~316ページ)
 ともあれ、当時の日本側作戦資料などは、戦争終結までに証拠隠滅をねらった関東軍によって大方が焼却されてしまっていることから、その全容までは明らかになっていない。
 さて、かくも悲惨な戦争が終結して10年余を経た1956年10月、モスクワにおいて、次の『日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言』(『日ソ共同宣言』)が調印された。
 「(前略)
 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦の全権団の間で行われたこの交渉の結果、次の合意が成立した。
1、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の戦争状態は、この宣言が効力を生ずる日に終了し、両国の間に平和及び友好善隣関係が回復される。
2、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間に外交及び領事関係が回復される。両国は,大使の資格を有する外交使節を遅滞なく交換するものとする。また、両国は、外交機関を通じて、両国内におけるそれぞれの領事館の開設の問題を処理するものとする。
3、日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、相互の関係において、国際連合憲章の諸原則、なかんずく同憲章第二条に掲げる次の原則を指針とすべきことを確認する。
(a)その国際紛争を、平和的手段によって、国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように、解決すること。
(b)その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使は、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むこと。
 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、それぞれ他方の国が国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有することを確認する。
 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、経済的、政治的又は思想的のいかなる理由であるとを問わず、直接間接に一方の国が他方の国の国内事項に干渉しないことを、相互に、約束する。
4、ソヴィエト社会主義共和国連邦は、国際連合への加入に関する日本国の申請を支持するものとする。
5、ソヴィエト社会主義共和国連邦において有罪の判決を受けたすべての日本人は、この共同宣言の効力発生とともに釈放され、日本国へ送還されるものとする。
 また、ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要請に基いて、消息不明の日本人について引き続き調査を行うものとする。
6、ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、千九百四十五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。
7、日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、その貿易、海運その他の通商の関係を安定したかつ友好的な基礎の上に置くために、条約又は協定を締結するための交渉をできる限りすみやかに開始することに同意する。
8、千九百五十六年五月十四日にモスクワで署名された北西太平洋の公海における漁業に関する日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の条約及び海上において遭難した人の救助のための協力に関する日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の協定は、この宣言の効力発生と同時に効力を生ずる
 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、魚類その他の海洋生物資源の保存及び合理的利用に関して日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦が有する利害関係を考慮し、協力の精神をもつて、漁業資源の保存及び発展並びに公海における漁猟の規制及び制限のための措置を執るものとする。
9、日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。
 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要請にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞諸島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。
10、この共同宣言は、批准されなければならない。この共同宣言は、批准書の交換の日に効力を生ずる。批准書の交換は、できる限りすみやかに東京で行われなければならない。
 以上の証拠として、下名の全権委員は、この共同宣言に署名した。
千九百五十六年十月十九日にモスクワで、ひとしく正文である日本語及びロシア語により本書二通を作成した。
 日本国政府の委任により、鳩山一郎、河野一郎、松本俊一。ソヴィエト社会主義共和国連邦最高会議幹部会の委任により、N・ブルガ-ニン、D・シェピ-ロフ(「日本外交主要文書・年表(1)、784ー786頁.条約集、34ー59」)
 この「9」において「ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要請にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞諸島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」と記されたことから、此の日を境に両国政府による交渉は思い新たに、未来の友好協力関係構築に向けて歩んでいくことになった。つまり、両国が過去へのわだかまりを捨て互いに歩み寄った意義は、大きい。
 ところで、日ソ経済協力の中身には、どんなものがあるだろうか。その一つに、LNG(液化天然ガス)の共同開発・輸入が考えられるのではないか。LNGは、マイナス摂氏162度で液体(体積は約600分の1)になり、船に積んで日本に運べる。おりしも、2017年1月6日、東京電力ホールディングス子会社の東電フュエル&パワーと中部電力sの共同出資会社「JERA(ジェラ)」が、米国産シェールガス由来のLNG(液化天然ガス)を国内で初めて輸入した。積載船が同日、中電上越火力発電所(新潟県上越市)に到着した。
 2015年度のLNGの国別輸入比率は豪州(22.9%)が最多で、マレーシア(18.7%)、カタール(15.8%)、ロシア(8.5%)(財務省の貿易統計)。アメリカの東海岸ないし南海岸からの輸入ルートで考えれば、先頃拡張されたパナマ運河を通って大平洋に出る輸送ルートがコスト安の要因となっている。一方、ロシアからLNGを調達する場合は、今のところ船だが、ロシアとはパイプラインで繋がりうる。そういう意味では、ロシアLNG、米国産LNGを調達する動きは加速していく可能性を秘めているのではないか。

(続く)

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