♦️488『自然と人間の歴史・世界篇』中央アフリカ

2017-12-13 09:23:18 | Weblog

488『自然と人間の歴史・世界篇』中央アフリカ

 中央アフリカ共和国(1960年8月13日に独立、旧宗主国はフランス。アフリカ南部)は、アフリカ中央部にある。北東にスーダン、東に南スーダン、南にコンゴ民主共和国、南西にコンゴ共和国、西にカメルーン、北にチャドと国境を接する。内陸国。首都はバンギで、ウバンギ川河畔にある。
 19世紀半ばまで、小国が割拠の時代が続く。1894年、フランス領ウバンギ・シャリが成立する。1910年、ブランス領赤道アフリカの一部となる。
 そして迎えた1960年8月、フランスから独立し、ダッコ大統領が選出される。1966年1月、クーデターによりボカサ参謀総長が大統領に就任する。1976年12月、帝制宣言によりボカサ大統領が皇帝に即位する。1979年9月、クーデターが発生する。共和制復活となり、ダッコ大統領が再就任する。1981年9月、クーデターによりコリンバ参謀総長が国家再建軍事委員会議長に就任する。
 1986年11月、国民投票により新憲法が採択される。コリンバ大統領を選出する。1987年7月、国民議会選挙が実施される。1991年7月、憲法改正により複数政党制を成文化する。また、政党法が成立する。一党制による独裁を回避する知恵が働いたものと考えられる。1992年10月、大統領・国民議会選挙実施後に無効宣言がなされる。1993年8月、大統領・国民議会選挙の再選挙を実施する。1993年10月、パタセ新大統領が就任する。
 ところが、その後の国情は不安定化していく。1997年6月、アフリカ仲介軍と旧反乱兵士の間に戦闘が勃発する。1998年4月、国連中央アフリカ共和国ミッション(MINURCA)が派遣されてくる。1998年11~12月、国民議会選挙が実施される。1999年9月、大統領選挙が実施され、パタセ大統領が再選される。2003年3月、ボジゼ元参謀長によるクーデターが発生する。憲法停止、「国家暫定評議会」設立ということになって、ボジゼが大統領を名乗る。
 2004年12月 新憲法を国民投票で採択する。2005年3~5月、大統領選挙・国民議会選挙が実施される。2005年6月、ボジゼが大統領に就任する。2007年9月、国連中央アフリカ・チャド・ミッション(MINURCAT)が派遣されてくる。2010年12月、MINURCATが任務を終え、撤退する。2011年1月、大統領選挙が実施され、ボジゼ大統領が再選される。
 2012年12月、反政府勢力セレカが諸都市を占拠する。2013年1月、政府・セレカ間で停戦合意がある。2013年3月、セレカが再度侵攻する。バンギを占拠し、ジョトディア・セレカが大統領を名乗り、憲法を無効化、内閣総辞職、議会を解散せしめる。2014年1月、ジョトディアが大統領を名乗っていたのを辞任。サンバ・パンザが大統領を名乗る。
 2014年4月、国連中央アフリカ多面的統合安定化ミッション(MINUSCA)が設立される。2014年7月、セレカとキリスト教系敵対勢力(アンチ・バラカ)とが停戦に合意する。2015年5月、国民和解フォーラムが開催される。2016年3月、大統領選挙・国民議会選挙が実施される。2016年3月、トゥアデラが大統領に就任する。

(続く)

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