(272)『自然と人間の歴史・日本篇』高度成長期へ向けて(農業)

2017-08-09 10:31:55 | Weblog
(272)『自然と人間の歴史・日本篇』高度成長期へ向けて(農業)

 さて、国内経済において「もはや戦後ではない」と言われるようになっていく時、農業はどのようであったのか。まずは、米の生産量の推移を掲げておく。上村護氏の論考に、こうある。
 「①1960年、24万トン供給過多
政府買入価格は玄米60キログラム当たり4162円、引上率は0.7%、水稲収穫量は12539千トン
②1961年、64.4万トン供給(生産量)不足
政府買入価格は玄米60キログラム当たり4421円、引上率は6.2%、水稲収穫量は12138千トン
③1962年、24.9万トン供給(生産量)不足
政府買入価格は玄米60キログラム当たり4866円、引上率は10.1%、水稲収穫量は12762千トン
④1963年、59.9万トン供給(生産量)不足(冷害)
政府買入価格は玄米60キログラム当たり5268円、引上率は8.3%、水稲収穫量は12529千トン
⑤1964年、77.7万トン供給(生産量)不足」(冷害)」
政府買入価格は玄米60キログラム当たり5985円、引上率は13.6%、水稲収穫量は12362千トン
(注)(米の需給は農林水産省『食料需給表』」から井上ひさし氏が算出したものを同氏『コメの話』新潮文庫より引用。ここで総需要量とは、主食用、加工用(清酒やコメ菓子)、飼料用、種子用、それから減耗分などを加えたもの。その他の米の生産及び価格の推移は、上村護「」:雑誌『経済』新日本出版社、1988年3月、第287号所収より引用。)
 これにあるように、年によって豊凶はあるものの、1960年代前半までの全体的な傾向は、基本食糧としての米の生産は国民的課題であったであろうことがみてとれる。顧みるに、1950年には、総農家数に占める兼業農家の割合は50%程度であって、一戸あたり彼らの耕地面積は大きくなかった。1960年代に入ってからは、農業機械化が進むかたわら、農業協同組合施設の整備や同業務の拡充があった。また、政府の後押しの下、全国農村各地で農業基盤整備(構造改善)事業による大圃農場化が進んでいく。

(続く)

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