(275)『自然と人間の歴史・日本篇』第二の黒船(鉄鋼)

2017-08-09 10:36:53 | Weblog
(275)『自然と人間の歴史・日本篇』第二の黒船(鉄鋼)

 高度成長の牽引役を果たしたのが新鋭の重化学工業なのであって、丸尾(筆者)はこれの発展経路をこう記したことがある。
 「重化学工業は金属工業、機械工業、化学工業を中心とする装置産業のことです。これらの業種が、安価な原材料としての石油や鉄鉱石、安くて良質な国内労働力に支えられて飛躍的に発展したのです。
 ここではまず鉄鋼業の発展を振り返りましょう。1955年から70年の鉄鋼業の生産量は9倍、雇用1.7倍となりました。
 1950年8月、「鉄鋼業及び石炭鉱業合理化施策要綱」を閣議決定。1950年制定の「外資に関する法律」において、外貨割当制に基づく技術導入の認
可があり、また「外国為替及び外国貿易管理法」に基づく輸入割当制が導入されました。
○第一次合理化(1951年~55年)として、次の経緯を辿りました。
 1951年2月、産業合理化審議会答申「我が国産業の合理化方策について」がありました。1951年4月、重要機械類の輸入関税を免除する政令。こちらは同年改正の関税定率法に基づいた措置です。
 1951年8月、鉄鋼業の2分の1特別償却設備の大蔵省告示。1951年改正の租税特別措置法に基づく3年間の措置でした。
 1951年10月、市中銀行に対する電力、石炭、船舶及び鉄鋼の4大産業への重点融資要請が行われました。
 1951年12月、租税特別措置法による価格変動準備金制度が創設されました。
 1952年2月、別口外貨為替貸代制が発足しました。
 1952年2月、法人税施行規則改正による貸し倒れ準備金制度が拡充されました。
 1952年2月、企業合理化促進法による初年度2分の1の特別償却が行われました。
 1952年3月、企業合理化推進法が制定されました。
 1953年、輸出所得控除制度が創設され、63年3月に廃止されました。
 この第一次合理化計画で鉄鋼業に投下されたカネはどのくらいであったのか、今となっては正確な額を掴むすべはありません。ただ「投下された総投資額1282億円のうち、開発銀行融資に基づく資金は172億円で、総額の12%を占めていた」(小宮隆太郎他編「日本の産業政策」東京大学出版会、1984)との報告もなされているのが参考となるでしょう。
 第二次合理化(1956年~60年)としては、次のような経緯があります。
 1956年5月、機械部品、一般機械についての機械工業振興臨時措置法が制定されました。
 1960年7月、鉄鋼公開販売制度についての通産省の省議決定がありました。
 この時期における鉄鋼業への総投資額については次の記述があります。「第2次合理化計画における開発銀行融資は95億円と前期に比して減少し、総投資額6255億円の1.5%となり、政府資金への依存度はこの時期低下した。これに代わって、世界銀行借款を中心とする外資が重要な資金となっている」(小宮隆太郎他編「日本の産業政策」東京大学出版会、1984)。
 第三次合理化(1961年~65年)としては、こうありました。
 1961年、機械設備等に対する法定耐用年数が平均で約20%短縮されました。
 1964年、機械耐用年数の平均15%の短縮がありました。
 国際対応重視の合理化(66年以降)としては、次の出来事が続きました。
 1967年2月、産業構造審議会鉄鋼部会が設置されました。
 69年1月、鉄鋼第一次対米輸出自主規制を開始しました。
 1969年時点の主要な高炉の設置状況は、次のとおり(伊東光晴「日本経済と産業と企業」放送大学教育振興協会、1993から引用)。
 (1:世界での規模順位)日本鋼管・福山の炉内容積は3016リッポウメートル、銑鉄の日産能力7000トン、火入れ年月1969年8月
 (2)富士製鉄・名古屋:炉内容積は2924リッポウメートル、銑鉄の日産能力7000トン、火入れ年月1969年4月
 (3)川崎製鉄・水島:炉内容積は2857リッポウメートル、銑鉄の日産能力6300トン、火入れ年月1969年1月
 (4):八幡製鉄・君津:炉内容積は2705リッポウメートル、銑鉄の日産能力6000トン、火入れ年月1968年11月
 (8)住友金属・和歌山:炉内容積は2630リッポウメートル、銑鉄の日産能力5700トン、火入れ年月1969年2月
 (9)日本鋼管・福山:炉内容積は2626リッポウメートル、銑鉄の日産能力5700トン、火入れ年月1968年
(10)八幡製鉄:堺:炉内容積は2620リッポウメートル、銑鉄の日産能力5700トン、火入れ年月1967年5月
 1958年から1968年までの、日本における転炉の設置状況の推移は、次のとおり(伊東光晴「日本経済と産業と企業」放送大学教育振興協会、1993から引用)。
 1958年の割合は6.3%、1960年のの割合は11.9%、1965年の割合は55.0%、1968年の割合は73.7%、同年のLD転炉の基数は68、同年のLD転炉による鋼の年産能力は6372.9(万トン)。
 1972年5月、鉄鋼第二次対米輸出自主規制を開始しました。
 1977年9月、アメリカが鉄鋼のトリガー価格制度を設定しました。

(続く)

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