『美作の野は晴れて』&『137億年の日本史』&『岡山(美作・備前・備中)の今昔』

自分史と、日本史と、岡山(美作・備前・備中)の民衆史です。

◎新(9の4)『137億年の日本史』世界文明の曙(インダス)

2016-10-14 21:13:41 | Weblog
(9の4)『137億年の日本史』世界文明の曙(インダス)

 インドでは、紀元前7000年頃、農耕と牧畜の双方が始まった。冬作物としての麦と、夏作物としてのナツメを栽培した。インダス川の氾濫をうまく使ったのであろう。家畜として牛のほか、羊や山羊も飼育していた。牛は、荷を運んだり、田畑で鋤を引いたことであろう。紀元前4500年頃、メヘルガルなどの土地・バローチスターン丘陵麓において人々の集団での生活が始まっていた。土器や土偶が発見されている。これを「バローチスターン農耕文化」と呼ぶ。紀元前3000年頃になると、初期のハラッパー文化が栄える。そこでは、インダス文字の萌芽が見られる。解読はまだのようだが、トラヴィダ系の言語と推測されている。また、角への信仰があったらしい。
 そして紀元前3000年頃、インダス文明が成立の時を迎える。モヘンジョ・ダロ、ハラッパー、カーリー・バンガン、ドーラビーラーなどに都市国家が栄える。インダス川流域(市流域を含む)と、これと平行して走るガッガル・ハークラー○河床を中心に、インダスが流れ込むアラビア海沿岸地域を加えた、かなり広範な地域(東西1600キロメートル、南北1400キロメートル)に遺跡が多数、散在している。
 1922年、R・D・バネルジーらによって、モヘンジョ・ダロの本格的発掘が着手される。ストゥーパの下から、動物と文字を刻んだ印章が出土した。約600キロメートル離れたハラッパーで発見されたものと似ていた。こうして発掘がなされていくにつれ、インダス文明の最盛期は、およそ紀元前2600~前1800年頃であったことが徐々に明らかになっていく。これらの遺跡のいずれもが、高度な計画を以て建設されていた。今日の都市のインフラストラクチャにも通じる。中でも水の利用が、他の古代文明にに比べ巧みであったようだ。モヘンジョ・ダロやドーラビーラーは、前者がインダス川下流域、後者がアラビア海沿岸近くのカッチ湿原というように、水が豊富にあったことが幸いした。ハラッパーの遺跡では、焼成レンガのふたがしてある排水溝が見つかっている。
 この二つの遺跡では、大規模な沐浴場が営まれた。水の供給ということでは、インダスの流れは古代から人々の心の拠り所であったのだろう。水は神聖なものとみなされていたらしい。その場が、儀礼のみで使われていたのなら、利用できる人は限られていたことになる。モヘンジョ・ダロでは、角のある人物のミニチュア・マスクも出土していることから、角への信仰は発展していた。モヘンジョ・ダロではまた、文字や印章の使用のあったことが認められる。
 これらの都市国家の活動領域はどのようであったのか、そしてどんな変化があったのだろうか。刮目すべきは、湾岸との交易が活発化していったことだ。地図を開くと、地勢もそんな可能性を与えている。アラビア海を西に伝っていくと、古代の中東・アラブ地域へと至るのだ。また東へ進めば、やがてインド洋へと手で行く。多くの隊商は、メソポタミアとの間を往復した。中継地点となりうる地形なのだ。かのメソポタミアの粘土板に「メルッハ(インダス文明)」の記述があることで、中東とも交易があったことが充分に窺える。メソポタミアからは、織物を持ち帰っていた。
 そのインダスの文明も、紀元前2000~1800年頃から衰退に向かい始める。そして紀元前1500年頃、インド・アーリア語族がこの地にやって来て、住み始める。彼らは、ガンジス平原を開発し、神々への讃歌としての『リグ・ベーダ』を編纂する。
 これまでに出土しているインダスの美術品のうちには、「男性トルソ」(ハラッパー)や「踊り子像」(モヘンジョ・ダロ)のような、ギリシャ彫刻を先取りするかのような写実性にあふれるものも見受けられる。人々の遊びの範疇では、サイコロやゲーム盤、動物の仮面などの玩具が見つかっており、単なる儀礼用とは考えられない。
 それからさらに大いなる年月が、この地を通り過ぎていった。紀元前326年、アレクサンドロス大王が西北インドにやってきた。大王の侵略を受ける。紀元前317年、チャンドラ・グプタが立ってマウリヤ王朝が成立する。その孫のアショーカ王の時代(在位は紀元前273~前232)には統一国家を拡大していく。その途上においては、武力でもって近隣諸国をなぎ倒すやり方で全インドを手中にしていく。わけてもカリンガ戦争においては、10万人が死に、その中には非戦闘員としての民衆も多数含まれていた。広大な統一国家の支配者となったアショーカ王であったが、あまりにも血なまぐさい行為を目の当たりにして、さすがに良心の呵責を覚えたのだろうか、この戦争の契機に仏教の熱心な帰依者となっていく。彼の庇護したのは仏教ばかりでなく、バラモン教やジャイナ教といった他宗教の布教活動もゆるしたため、多宗派がともに栄えていく。

(続く)

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