♦️515『自然と人間の歴史・世界篇』戦後のオセアニア(パプアニューギニア独立国)

2017-12-16 19:21:44 | Weblog

515『自然と人間の歴史・世界篇』戦後のオセアニア(パプアニューギニア独立国)

 パプアニューギニア独立国は、南太平洋にある。ニューギニア島の東半分及び周辺の島々からなる。立憲君主制をとる。東南アジア諸国連合の特別オブザーバーであるが、地理的にはオセアニアに属する。1989年当時の人口は、約359万人。この国には、およそ700もの言語、その数だけの文化がある、ともいわれる。
 16世紀前半~19世紀後半、この地にヨーロッパ人の来訪がある。1884年、ドイツ、ニューギニア北東部を保護領とする、これがドイツ領ニューギニア。又この年、イギリスがニューギニア南東部を保護領とする、これがイギリス領ニューギニア。
 1526年、おそらく最初のヨーロッパ人、ポルトガルのJ・メネセスがニューギニア島にやってくる。1545年、スペイン人探検家O・レーテスがやってきて、アフリカのギニア海岸地方の人びとと身体的特徴が似ていると感じ、「新しいギニア」という意味での「ニューギニア」と名付ける。
19世紀後半のこと、ニューギニア島の西半分をオランダ(現在のインドネシア領のイリアン・ジャヤ)、北東部とビズマーク島をドイツ、それから南部をイギリスが、それぞれ植民地とする。
 1905~06年、イギリス領ニューギニアは、オーストラリア領となる。1914年第1次世界大戦勃発に伴い、オーストラリアがドイツ領ニューギニアを占領する。第一次世界大戦後は、ドイツ領ニューギニアの統治をオーストラリアに委任する。
 1942年、日本軍がこの地に進駐する。1945年、日本軍が降伏し、オーストラリアがこの地を統治する。1946年、この地は、オーストラリアを施政権者とする国連の信託統治地域となる。1951年には、信託統治領とパプアを一体化した議会が設けられる。1964年、住民議会が設置される。1973年、内政自治に移行する。
 そして迎えた1975年9月、独立を果たす。ニューギニ島の東半分とその周辺の島々ということであった。1976年には、国連に加盟する。

(続く)

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