(247)『自然と人間の歴史・日本篇』ファシズムへの突入(対米英へ)

2017-08-09 08:44:30 | Weblog
(247)『自然と人間の歴史・日本篇』ファシズムへの突入(対米英へ)

 この間の日本の軍国主義の急傾斜に対して、アメリカは1939年(昭和14年)7月、日米通商航海条約の廃棄を日本に通告し、半年の猶予期間の後の1940年(昭和15年)1月に同条約は失効した。この条約には、日本に対する貿易上の「最恵国待遇」がふくまれていた。日本としては、原材料や原料をアメリカから自由に買うことができていたのが、無条約だと、アメリカは自由に日本向けの輸出を制限したり、禁止したりできることになったのだ。案の定、条約の廃棄の最初には、アメリカは工作機械の輸出禁止に踏み切った。1939年(昭和14年)、ドイツがポーランドに電撃的に進駐した。1940年(昭和15年)5月にドイツがヨーロッパを席巻してフランス、イギリスと戦争状態に入った。第二次世界大戦の勃発である。
 世界情勢がこのような中、航空機ガソリンを含むガソリン、石油、屑鉄などへの輸出禁止の措置は、さしあたりせず、いざというときのために残され、アメリカは日本への経済的な圧力を強めて始めた。
 1940年(昭和15年)7月22日、日本陸軍は軍事的な海外進出に慎重な米内内閣を倒し、第二次近衛内閣を発足させた。その内閣成立直後の7月27日の政府大本営連絡会議において、「世界情勢ノ推移に伴フ時局処理要綱」が決定された。この中には、ドイツとイタリアとの提携を密にするとともに、次第によってはイギリス、アメリカとの戦争を構えることが盛り込まれていた。同年9月には、日本は北部仏印(現在のベトナムのハノイ、ハイフォン地区)に進駐するとともに、ドイツ、イタリアとの間で「三国同盟」を締結した。これらにより、アメリカとイギリスとの間は決定的に悪化する。特にアメリカは、日本の南部仏印進駐の報復として、日本に対する石油輸出を全面的に禁止するとともに、日本の在米資産を凍結した。経済面で、国交断絶に踏み切ったのである。ちなみに、1941年(昭和16年)10月時点の日本の石油保有量は840万キロリットルといわれ、それだけが「虎の子」の石油ストックであったことが覗われる。
 1941年(昭和16年)4月、アメリカとイギリスの対日経済封鎖を打開すべく、日本は日ソ中立条約を締結する。これには、2正面の的と戦うことを避けようとする意図が働いていた。ところが、この作戦は、ドイツが秘密裏に独ソ不可侵条約を結んでいるソ連に侵攻したことらより破綻する。この報告に接した政府の狼狽ぶりは大変なものであった。第二次近衛内閣は、1941年(昭和16年)7月にいったん総辞職した。この内閣は、この年の春から極東問題についてアメリカとの交渉を開始したが、「和戦」を巡る日本の支配層内の対立が解けぬままに、時間を浪費していた。この総辞職の直前、松岡外相が「我が国が三国同盟の誼(よしみ)を弊履のごとく棄て、多数同胞の血と涙と巨億の犠牲とを顧みずして、着々武を進め来たりたる大陸政策を断念せざるかぎり」ということで、アメリカとの交渉にもはや展望が見出し得ない」としたことで、政策の行き詰まりが露わとなったのである。そこで、外務大臣を松岡から豊田貞次郎に交替して、近衛は第三次内閣を組閣するに至る。
 その第三次近衛内閣が発足して間もない1940年7月22日、独ソ戦開始後の世界情勢についての、昭和天皇と杉山参謀総長とのやりとり(問答)があり、彼によるメモには、こうある。 
 「御上
 支那事変に何かよい考えはないか。
総長
 この前にも申し上げましたとおり、重慶側は戦力戦意とも衰え、軍は低下し、財政経済的にも困○(こんばい)しており、あたかも瀕死の状態と考えられ、命だけを保って長期抗戦をしているのであります。この長期抗戦ができるのは、英米等敵性国家の注射または栄養を与えるためであります。すなわち英米が重慶の起死回生をやっているのでありまして、英米を抑えなければ支那事変の解決は困難と考えます。第二次欧州戦の発生前は支那事変のみを考えてよかったが、これが始まり、また独ソ戦が始まりましてより以来は、世界戦争の動きにより、反枢軸諸国をいためることが重慶を長つづきさせぬものと考えます。従って、活力を与えるものをおしつける必要があるものと思います。・・・・・やはり機をとらえて撃たなければならぬと思います。」(出所は『杉山メモ』、引用は臼井勝美(うすいかつみ)『日中戦争ー和平か戦線拡大か』中公新書、1967)
 一国の軍事力は、その国の経済力の問題でもある。相手があることから、彼我の経済力格差がどのくらいあるかが最重要な問題であったろう。このやりとのでは問題とされなかったのかもしれないが、経済力で余りにも差のある英米を相手に安易に構えるという道に踏み出しつつある姿が読み取れる。この頃には、米英の対日経済封鎖と、すでに対中国戦争の長期化とのダブル・パンチをくらって混迷を深めていた日本経済は、いよいよゆきづまりの状況を呈してきており、この難局を打開すべく思い切った決定を下そうという空気が満ちていくことになったのである。

(続く)

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