(260)『自然と人間の歴史・日本篇』戦後の国際金融体制と日本

2017-08-09 09:56:05 | Weblog
(260)『自然と人間の歴史・日本篇』戦後の国際金融体制と日本

 1944年(昭和19年)になると、大戦後の世界の経済的な枠組みづくりが連合国の日程にのぼってくる。同年年7月1日~22日、連合国44カ国が、アメリカのブレトン・ウッズ(ニューハンプシャー州)に集い、連合国通貨金融会議を開催した。イギリスはこの会議に臨んで、「国際清算同盟」を組み、これにより新しく設けられる基金の基本的性格を多角的な清算制度にすることをもくろんだ。これに対するアメリカ案は、むしろ外貨の国際的な短期融資機関の設立に重点を置いた。会議ではいろいろと駆け引きが行われ、ケインズ案を加味した「国際通貨基金(IMF)設置に関する専門家の共同声明」(いわゆるIMF原案)と世界銀行案とを検討した結果、そこに集った主要な連合国のメンバーは22日、IMF協定(旧協定)及び世界銀行協定の調印にこぎ着けた。
 それによると、この協定において、一人「ガリバー」であったアメリカを除いて、加盟国は「金または1944年7月1日現在施行の量目および純分を有する合衆国ドル」に対して自国通貨の平価を定め、これをIMFに登録。その上で、直物(じきもの)為替相場を各々上下1%の範囲内に維持する義務を負うことになった。この協定の基軸部分の解釈を巡っては当を得た記述がある。
 それによると、「このようにして、IMF体制下において、国際間の貨幣が世界貨幣としての金であるならば、加盟各国の通貨の平価はすべて金で表示される。その結果、各国通貨の平価は、金量目(きんりょうめ)に転化する。金の量目は、金が貴金属である限り、重量で表示される。だから、それを尺度するには、重量尺度標準で示す以外にない。ところが、それに与えられ各国の名称は、けっして共通ではない。だから、IMF体制下にあっては、それをドルで示すことにした。それが、上に見た「各国通貨の平価は、・・・・1944年7月1日現在の量目、および純分を有する合衆国のドルにより表示する」という規定である。」(小野朝男「国際通貨体制」ダイヤモンド社、1976)。この制度をして「金為替本位制」、もしくは金為替一種であるドルを指さして「ドル為替本位制」と呼ばれることもあるものの、ここでは、それが最終的な決済手段が金である限り、「金地金(本位)制」と呼ぶことにしたい。

(続く)

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