(293)『自然と人間の歴史・日本篇』公害列島化(水質・土壌汚染)

2017-08-09 21:00:42 | Weblog
(293)『自然と人間の歴史・日本篇』公害列島化(水質・土壌汚染)

 このような日本列島における公害の蔓延に対し、企業側がとった態度は実に「資本の論理」そのものの、なりふり構わぬものだった。
 ここで4大公害裁判のなかから、簡単にその歩みを振り返っておきたい。まず、公害の原点とも言われる水俣病のおよその経緯を辿ってみよう。
 1956年5月、水俣病のあることが公式に確認された。
 1959年12月、水俣病の認定制度が始まった。
 1965年、新潟水俣病を公式確認した。
 1968年9月、国が水俣病を公害認定した。
 1970年8月、認定申請を棄却された川本輝夫さん(被害者の一人)が行政不服審査請求を行った。
 1971年8月、環境庁が川本さんの請求を認め、請求棄却処分を取り消す。
 1971年10月、熊本県が川本さんを水俣病と認定した。
 1971年12月、川本さんらの自主交渉派がチッソ本社前で、これまでの態度を改めるよう座り込みを始める。熊本地裁において、チッソに被害者に対し損害賠償を命じる判決が出された。裁判が一審で確定したことで、勝訴した原告患者らも自主交渉に参加した。
 患者認定基準の歴史としては、1971年、環境庁事務次官通知があり、「いずれかの症状があり、有機水銀の影響を否定できない場合は水俣病」とされます。認定約1600人、棄却約1000人であった。
 1973年3月、水俣病患者とチッソが補償協定を締結した。
 1973年7月、双方が補償協定書に調印したことで、原告団はチッソ本社前での座り込みを解いた。
 1973年9月、患者に対し、医療費などを支給する公害健康被害補償法が施行となる。
 1977年、7月環境庁(当時)が水俣病認定の基準を厳格化する通知を出した。俗に「77年基準」と呼ばれている。その内容とは、症状として①手足の先にいくほど感覚が鈍くなる、②動作が不自由、③身体のバランスが取りづらい、④見える範囲が中心方向に狭くなる、⑤聞こえにくいというものだった。
 1995年12月、未認定患者に一時金260万円などを支給する救済策が決まった(未認定患者に一時金を支払う政治解決策を閣議決定)。これを「第一次の政治決着」と呼んでいる。
 1995年12月、政府が患者に一時金260万円を支払うことでの解決策を患者側に示した。
 2004年10月、最高裁が関西水俣病訴訟で国と熊本県の責任を認める判決を出した。「第一次の政治決着」に応じなかった関西訴訟の原告について、最高裁が国の患者認定基準より幅広い基準で保証を命じたものである。
 2009年7月、未認定患者救済の水俣病被害者救済特別措置法が成立し、未認定患者に一時金210万円や医療費などを支給する「第二の政治決着」があった。
 2010年4月、特別措置法に基づき、一定の症状がある人への一時金を柱とする救済策を閣議決定した。
 2012年、水俣病被害者救済特別措置法に基づく救済策の申請が7月31日で締め切られた。同2012年7月、医師の立場からチッソの原因究明に尽力した熊本大学医学部の原田正純医師が77歳で他界した。
 2012年7月、政府の救済策の申請が締め切られた。
 2013年4月、水俣病の患者認定を巡る裁判で、最高裁が従来より幅広い認定を認める判決を出す。同最高裁判決の中では、「感覚障害のみの水俣病が存在しないという科学的実証はない。症状の組み合わせがなくても認定する余地がある。」との判断だった。同2014年3月、環境省環境保健部長通知。最高裁判決でも「基準は否定されていない」との立場から、基準はそのままにして、基準の運用を変えようとする通知にしたもの。
 2014年3月、環境省が感覚障害だけで水俣病認定し得るとの新指針を通知した。
そして迎えた2016年10月29日には、水俣病の犠牲者慰霊式が行われた。

(続く)

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