『美作の野は晴れて』&『自然と人間の歴史・世界篇』&『自然と人間の歴史・日本篇』&『岡山(美作・備前・備中)の今昔』

自分史と、世界史と、日本史と、岡山の民衆史です。『自然と人間の歴史・世界篇』と『自然と人間の歴史・日本篇』は全面改訂中。

『54』『岡山の今昔』瀬戸大橋線沿線

2016-12-13 18:51:57 | Weblog
『54』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』瀬戸大橋線沿線

 瀬戸大橋線は、岡山を出発して南に下り、1988年(昭和63年)4月10日に開通した瀬戸大橋を通って、瀬戸内海の5つの島(櫃石島(ひついじま)、岩黒島、羽佐島、与島及び三ツ子島で、すべてが香川県に属する)を跨ぐようにして、四国の終着駅・高松までを結ぶ。道路・鉄道併用橋としては世界最長を誇る。道路橋は、瀬戸中央自動車道と呼ばれる。鉄道の停車駅は16駅があって、各駅停車もある。この線の名称の由来は、JR四国とJR西日本の共通愛称で、正式には岡山県側から宇野線、本四備讃線、予讃線の3線を辿って行く。児島駅以北はJR西日本の管轄下にある。
 さて、旅を急ぐ人もおられるかもしれない。そんな時は、岡山駅~高松駅を結ぶ快速「マリンライナー」に乗ると便利だ。岡山を出た列車は高架を抜け、山陽本線を乗り越え、さらに新幹線をくぐって進む。JR線大元(おおもと)、宇野線備前西市(びぜんにしいち)、宇野線妹尾(せのお)、宇野線備中箕島(びっちゅうみしま)、宇野線早島(はやしま)、宇野線久々原( くぐはら)、宇野線茶屋町(ちゃやまち)と行く。
岡山駅~茶屋町駅は宇野線として走り、植松駅の少し手前で宇野線と分かれる。それから、宇野線植松(うえまつ)、木見(きみ)、上の町(かみのちょう)、それから児島(こじま)と行く。途中の植松・木見・上の町の各駅は、いずれも無人の高架駅。児島駅を出発して市街をしばらく走ると、列車は鷲羽山(わしゅうざん、倉敷市)トンネルに入る。
 鷲羽山は、瀬戸内でも有数の景勝地とされる。児島半島の南端付近、備讃瀬戸に乗り出すような地形の先端にある。標高133メートルの山が、海面から屹立している。山姿が類稀である。両翼を広げ大空を羽ばたいている鷲に見えるとことから、江戸時代中頃に誰彼となくこの名が付けられた。ごつごつした岩石肌の露わな山頂の「錘秀峰」からは、180度ある程の広角度で見晴らしがよい。ここから見下ろす風景は、文豪・徳富蘇峰により「内海の秀麗ここに集まる」と絶賛された。山の全体が、1930年(昭和5年)に「下津井鷲羽山」として国指定名勝に指定、さらに1934年(昭和9年)には、この地区を含む瀬戸内海一帯が日本最初の国立公園「瀬戸内海国立公園」に指定された。
 霞がかっていない日には、瀬戸内海に浮かぶ釜島、櫃石島、六口島、松島、与島、本島、広島、豊島などの島々が眼下に見渡せる。それらの向こうには、四国の山々まで見渡たであろうか、あれは小学校の遠足時であったろうか、その時の記憶をたぐり寄せてみるのだが。もちろん、瀬戸大橋はなかった。それでもバスで鷲羽山に上る時下るとき、あれは水島の工業地帯の海沿いの尖端部あたりであったのかもしれない。その時のきらきらした白いタンクや、赤白まだらな煙突群などをちりばめた光景が、あれから半世紀余が過ぎた今でも、ほとんど色褪せることなく脳裏に焼き付いて離れていない。
 このあたりの海は、古代、近世から明治の中期位までは、瀬戸内地域の天然の良港として栄えたことで知られる。向かって左、東側には田之浦(たのうら、倉敷市)が、向かって右の西側には下津井(しもつい、倉敷市)の港町である。後者は、東隣の田之浦と結んで、備前を通る西海航路の起点となっていた。江戸中期以降は北前船が盛んに寄港して交易していた。萩野家などの多数の問屋の蔵が建ち並んでいた。当時の遊山や金比羅参りへの中継地にもなっていて、当時四国へ向かう旅人の多くはここから讃岐へ渡っていたらしい。かのドイツ人医師のケンペルも、1691年(元禄4年)に長崎から瀬戸内海を経由して畿内そして江戸へ向かうおり、海上から下津井港を描いた、その絵を『江戸参加府記』に掲載している。1640年(寛永17年)には、牛窓にもあった幕府の異国船遠見番所が下津井に出来た。1660年(万治3年)になると、さらに在番所が設けられたことで、海上警備や出入りの船の監視・取締まりが強化されていった。さらに、参勤交代にここを通る西国大名や将軍の代代わりにやってくる朝鮮使節団の接待の場所としても、あれやこれやで便宜であったらしい。さらには、漁港としてもなかなか羽振りが良かったようで、『下津井節』なる漁歌に、こうある。
 「1.下津井港はヨー、入りよて出よてヨー、まとも巻きよて、まぎりよてヨー、トコハーイ トノエー、ナノエーソーレソレ。
 2.下津井港に、錨を入れりゃ、街の行灯(あんど)の灯(ひ)が招くよ・・・・・」
 さて、本線に戻ってこの鷲羽山トンネルを抜けると、瀬戸大橋の始まりとなる。橋の構成は、6つの橋と4つの高架橋で本州と四国とを結ぶ。自動車道を通っての場合、橋を通って観光客が立ち寄れるのはパーキングエリア(休憩所など)と観光施設が設置されている与島(よしま)とのこと。
 鉄路の方は、まずは下津井(瀬戸)大橋に取りかかる。それらの総延長は、橋の部分が9.368キロメートルで、高架部分も入れると13.1キロメートルにもなる。橋の形(建築用語)だが、下津井(瀬戸)大橋の方は吊り橋(写真で橋の根元を見ると、「桁下31メートル」の表示がある)、その先に方の中程の岩黒島橋が「斜張橋」、さらにもう一つ、ハコ型をしたのが「トラス橋」と説明される(『日本の名景ー自分さがしのベスト50』河出書房新社、2007)。
 このあたりの瀬戸内は、晴れの日が多い。瀬戸内のまぶしい太陽の光が車内を満たし、眼下には紺碧の海の絶景。好天に恵まれると、橋を渡って四国へ向かう中、「おおっ」と眺望が開ける地点が幾箇所もあるとのこと。ただし、その気になって見ていないと絶景ポイントは直ぐ通り過ぎてしまうようだ。最後の橋である南備讃瀬戸大橋に差しかかる。眼下には、香川県側の工業地帯が広がる。このあたりは、かつて塩田として栄えた。四国の地に入ってからは、宇多津(うたづ、香川県綾歌郡宇多津町)へ向かう線路と分かれて大きく左へカーブし、予讃線(よさんせん)を東へ向かってしばらく行くと坂出駅着く。そこから飯野山(通称は「讃岐富士」)などを眺めながら、讃岐平野ならではの風景の中を一路東へ。やがて、車窓右からくる高徳線と合流して、列車は四国の玄関口・高松駅へと行き着く。

(続く)

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