(259)『自然と人間の歴史・日本篇』制定時の日本国憲法第9条の政府解釈

2017-08-09 09:54:53 | Weblog
(259)『自然と人間の歴史・日本篇』制定時の日本国憲法第9条の政府解釈

 日本国憲法制定時における、第9条の政府による原(元々の)解釈については、次のようなものであった。
 「みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送り出された人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、悲しい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。だだ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことを決めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国より先に行ったのです。
 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友達ににってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。」(文部省『あたらしい憲法の話』実用教科書((株))、1947年8月2日発行)
 こんにち日本の私たちは、これまでに比類ない程の国際化時代に直面している、このような中で平和を考える時、これにあるような憲法第9条制定時の主旨・内容をしっかりを踏まえることが大事であろう。その際においては、わけても、これにあるような1947年当時の片山哲内閣の第9条解釈は一点の曇りすらない「非武装」なのであった。「そんなこと当たり前ではないか」と言われるかも知れないものの、なにしろ70年以上も前のことであった。それからであるが、やがて朝鮮戦争が起こって来ると、この政府見解に揺らぎが生じてくる。
 そんな中で人々の記憶に色濃く残っているものとして、1952年11月当時の吉田茂内閣の第9条解釈がある。同条文を良しと結論づけた上で、第9条2項の「戦力」概念を「近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成を具えるものをいう」(内閣法制局の統一見解)と拡張する。ついては、そのことにより、「保安隊および警備隊は、戦力でない。その本質は警察上の組織であり、戦争を目的として組織されたものではなく、客観的に見ても、その装備編成は近代戦を有効に遂行しうる程度のものではないから、憲法の「戦力」ではない」としていたのを、よくよく吟味して然るベきであろう。この当時の政府統一見解は、なお第9条の改正の必要を認めていなかったのであるから(詳しくは、例えば橋本公亘(はしもときみのぶ)氏の「憲法」第三編「統治の組織および作用」青林書院新社、1976年改訂版を参照されたい)。

(続く)

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