(245)『自然と人間の歴史・日本篇』ファシズムへの突入(国家総動員へ)

2017-08-09 08:41:53 | Weblog
(245)『自然と人間の歴史・日本篇』ファシズムへの突入(国家総動員へ)

 1938年(昭和13年)第一次近衛内閣 によって第73帝国議会に「国家総動員法」の法案が提出され、制定、公布(4月10日)された。この法に関連する法令の制定・改廃の中では、1937年の臨時資金調整法と輸出入品等臨時措置法の制定があり、これらの戦争法令が合わさって国民経済の統制経済化が現出していく。国家総動員法の第一条には、「国家総動員」とはどんな事態をいうのかを定義していて、「戦時(戦争ニ準ズベキ事変ノ場合ヲ含ム以下之ニ同ジ)ニ際シ国防目的達成ノ為全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様人的及ビ物的資源ヲ統制運用スル」ことだとされる。これは、企画院において陸軍が主導して案をこしらえものであって、軍部の思惑がここに秘められている。
 驚くべきは、この法令の施行に関係する、異様なまでの明治憲法下での「勅令」(1939~1942年)の多種・多様さであろうか。経済法学者の正田彬氏は、これらを次の4つに分類しておられる。Aとしては、人的と元の統制および利用に関するもので、従業者雇入制限令、国民徴用令、賃金等統制令などが当てはまる。そのBは、物的資源の統制および利用に関するもので、生活必需物資統制令、価格等統制令、小作料統制令、電力統制令、金属回収令など。そのCとして、資金の統制および運用に関するもので、会社利益配当及資金融通令、銀行等資金運用令、株式会社統制令などがある。産業資金の供給面で、直接金融(資本市場などから企業が社債や借入金などの形で直接資金の供給を受けること)から国家の意図する銀行などからの間接金融を優先させることも行われていく。Dとしてあるのは、事業の統制および運用に関するものであって、重要産業団体令、金融統制団体令、企業許可令、戦時海運管理令、貿易統制令などがあった。さらにEとして、文化統制および運用に関するものも出されていて、新聞事業令、新聞紙等掲載制限令これに該当していた。
 これらの中から本法令の最重要点を拾うと、やはり国民経済への統制と労働者への統制であろうか。その基本としてあったのは、あらゆる物資、サービスでの軍事優先である。各事業は平和的不急部門(丙類)と軍事的緊急部門(甲類)に分けられる。前者の予算が削られ、後者の予算が肥大していく元となってゆく。例えば、繊維は丙類であり、岡山県の倉敷紡績や倉敷絹織などは、繊維産業関係予算の削減により、綿花の輸入や設備投資などが大きく制限されていく。また労働者が軍需産業以外に漏れ出さないことや賃金統制なども意図されていて、国家による労働力の最適配分が最優先されてゆくのであった。
 1938年(昭和17年)、日中戦争勃発時の1938年(昭和13年)7月を100とし、1942年(昭和17年)8月時点の岡山市生活必需品価格指数(総平均)は194.8となり、約4年間で9割強上がったと報道されている(『合同新聞』8月16日付け)。これには、戦争による軍事産業の優先で民間産業が圧迫されていたことが働いている。岡山県下においても、1942年(昭和17年)に米、衣料品、マッチ、木炭、味噌、醤油、牛肉などの配給・切符制が強化されたことがある。
 結局、1937年(昭和12年)に発足した第一次近衛内閣がやったことといえば、戦争の会誌と、それに伴う経済統制などであった。この内閣は1939年(昭和14年)に入ると、万事が責任を持てなくなってきたのか、主にグン゛府から手詰まりを指摘されるようになり、同年1月には平沼内閣に交代した。しかし、日独伊)(日本・ドイツ・イタリア)の3国同盟問題での閣内不統一から8月には安部内閣が発足した。しかし、これでも安定した政局とはならず、1940年(昭和15年)1月に米内内閣にとって代わられ、さらに同年7月には第二次近衛内閣に代わるというめまぐるしさであった。

(続く)

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