(278)『自然と人間の歴史・日本篇』第二の黒船(繊維)

2017-08-09 10:44:10 | Weblog
(278)『自然と人間の歴史・日本篇』第二の黒船(繊維)

 繊維分野の戦後の発展を辿ると、どうなるか、丸尾(筆者)なりの説明をさせていただく。
 52年3月から5月まで、勧告操業短縮。約20%の精紡績機が格納、つまり封印されました。
 52年、中小企業の安定に関する臨時措置法、次いで53年からは中小企業安定法として恒久化しました。
 55年12月、対米綿製品輸出の一方的自主規制を開始しました。
 56年には繊維工業設備臨時措置法。原料としての61年4月に予定される綿花輸入自由化に対応して、精紡績機の登録制がとられ、さらに過剰設備の買い上げ廃棄が始められました。
 56年12月、政府間協定に基づく対米綿製品自主規制を開始しました。
 57~61年、対米輸出自主規制が続きました。
 61年、米国と綿製品短期協定が結ばれました。
 62~74年、同長期協定が結ばれました。
 62年3月、LTA(綿製品貿易に関する多国間著益協定)に調印しました。
 64年、繊維工業設備等臨時措置法では化学合成繊維糸が規制対象から外されました。
 67年7月、特定繊維工業構造改善臨時措置法が制定・施行されました。
 65年の構造不況への対応を目標として制定され、過剰設備の廃棄、設備の近代化、企業規模の適正化が3本柱となっていました。
 69年、米国のニクソン大統領が日本及び極東3国(韓国、香港、台湾)に毛織物化学合成繊維製品の輸出規制を要求しました。
 69年11月、日米繊維予備交渉とニクソン-佐藤会談が行われました。
 70年6月、日米繊維交渉が事実上決裂しました。
 1971年8月、ニクソン大統領が新経済政策を発表しました。
 71年10月、米国が日本に対して新通商法を適用すると表明しました。
 72年1月、日米繊維協定が本調印となりました。

(続く)

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