♦️896『自然と人間の歴史・世界篇』中国の外貨準備の変化(2015~2020)

2017-08-18 08:56:57 | Weblog

896『自然と人間の歴史・世界篇』中国の外貨準備の変化(2015~2020)

 好調な対外経済の影響で、中国の外貨準備高は、2015年頃からは、延び延びで来たのであるが、以後、大いなる変化が起きている。というのは、中国人民銀行が2017年2月7日に公表したデータ(速報値)によると、1月末の中国外貨準備高は12月末から123億ドル減少し、2兆9980億ドルとなった。1月の減少幅は12月の減少幅(410億ドル)と比べて大幅に少なく、7カ月ぶりの低水準であった。
 では、中期的な推移はどうなのか。これを2013年10月と2017年1月との対比でみよう。2013年10月14日、中国人民銀行(中央銀行)は2013年9月末の外貨準備高が3兆6600億ドル(約360兆円)と過去最高を更新したことを発表した。その規模は世界最大で、日本の同9月末の外貨準備高であった1兆2734億ドルの約2・9倍の規模に拡大した。米財務省によると、2013年7月末時点で中国が保有する米国債は1兆2773億ドルと世界最大で、中国の外貨準備高の約3分の1に当たる。中国が、米債務上限問題で米国債の債務不履行(デフォルト)の恐れが指摘されていることに懸念を深めていることがある。
 顧みると、中国の外貨準備高は、2011年3月末に3兆ドルを突破してからも増勢が続いた。そのため、当時の人民銀行の周小川総裁は「合理的な水準を超えている」と述べていた。2013年6月末時点から約1100億ドル増加した。こうなっている大方は、米国の量的緩和によるドル安で元の上昇圧力が高まったことを受け、元高抑制のために中国の通貨当局が外国為替市場において手持ちの元を売ってドルを買い入れる市場介入が増えた結果である、とみられる。その後もしばにくは一本調子で元が値上がりしていたのが、
2015年6月以降株価が急反落を見せたりしてきた中で、中国人民銀行は金融緩和政策の強化と相俟って、人民元の切下げ措置に踏み切った。
 これについての国際収支統計上の扱いだが、経常収支黒字は、その対価として「海外に対する純資産」が増えたことを意味するわけですから、これは資本収支赤字もしくは外貨準備増となるように組み立てられている。経常収支+資本収支(外貨準備を除いた狭義のもの)+外貨準備増=0。外貨準備を資本収支の中に取り込んだ広義の資本収支で見ると、この式は次のように簡略化できる。つまりは、海外純投資=経常収支となる。
 参考までに、この式でいま中国のある企業が米国に子会社を作るべく、1万ドルの対外直接投資を行う場合には、その分は「資本収支」の中の「直接投資」の項目中、「(海外)資産」が1万ドル増えることに寄与することになる。また、それと同時ですが、その同じ額が手持ちの現金から賄われることになるので、統計上は「資本収支」の中の「その他資産」の項目中、「(海外)資産」から1万ドルが減少することになる。経常収支+資本収支(+1万ドルー1万ドル)+外貨準備増=0。 
 参考までに、この時点までの統計上の中国の外貨準備高の推移は次のとおりであった。1985年:12,728(単位は百万ドル、以下同じ。)1990年:29,586。1995年:75,377。2000年:168,278。2005年:821,514。2008年3月末、中国中央銀行である人民銀行は「外貨準備高は3月末までに、1兆6,822億ドルに上り、去年の同じ時期より39.94%増えた。アメリカ財務省によると、中国が保有するアメリカ国債の総額は3月末時点で4,906億ドルに達した。2010年:2,866,079。2011年:3,202,789。
 その後しばらくしてからの2017年3月7日、2月末の外貨準備が前月比69億ドル増の3兆51億ドル(約342兆円)だったとと発表した。2016年2月以来の増加で、2か月ぶりに3兆ドルの大台を回復したもので、その後の海外送金や外貨為替での通貨元売り規制を強化したことで、元安圧力が一時的に和らいだことによるものと考えられる。ともあれ、米ドルの上昇を抑えるための中国人民銀行による元売り・ドル買い介入(手持ちの外貨準備ドルを取り崩すことによる)とともに、今後もつづけていくものと見られる。したがって、人為的な人民元切下げ措置の実施後の現在においても、人民元の暴落の危険はないとみてよい。

(続く)

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♦️895『自然と人間の歴史・世界篇』日本とロシアとの経済協力を巡って

2017-08-18 08:54:46 | Weblog

895『自然と人間の歴史・世界篇』日本とロシアとの経済協力を巡って

 日本と、ロシアとの経済協力の話し合いがもたれるおり、日本側はこれに領土交渉を交え、なんとか「北方領土返還」への道筋をつけたい意向であるらしい。そこで、第二次世界大戦前後から今日までの両国の関わり合いを振り返ると、まずは1941年4月13日、日本とソビエト連邦との間に、日ソ平和条約がモスクワで調印された。これの日本語での全文は、つぎのとおり。
 「大日本帝国天皇陛下及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦最高会議幹部会ハ両国間ノ平和及友好ノ開係ヲ鞏固ナラシムルノ希望ニ促サレ中立条約ヲ締結スルコトニ決シ之ガ為左ノ如ク其ノ全権委員ヲ任命セリ
大日本帝国天皇陛下
外務大臣従三位勲一等松岡洋右
「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦駐剳特命全権大使陸軍中将従三位勲一等功四級建川美次
「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦最高会議幹部会
「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦人民委員会議議長兼外務人民委員「ヴヤチエスラウ、ミハイロヴイチ、モーロトフ」
 右各全権委員ハ互ニ其ノ全権委任状ヲ示シ之ガ良好妥当ナルヲ認メタル後左ノ如ク協定セリ
第一条
  両締約国ハ両国間ニ平和及友好ノ関係ヲ維持シ且相互ニ他方締約国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スベキコトヲ約ス
第二条
 締約国ノ一方ガ一又ハ二以上ノ第三国ヨリノ軍事行動ノ対象ト為ル場合ニハ他方締約国ハ該紛争ノ全期間中中立ヲ守ルベシ
第三条
 本条約ハ両締約国ニ於テ其ノ批准ヲ了シタル日ヨリ実施セラルベク且五年ノ期間効力ヲ有スベシ両締約国ノ何レノ一方モ右期間満了ノ一年前ニ本条約ノ廃棄ヲ通告セザルトキハ本条約ハ次ノ五年間自働的ニ延長セラレタルモノト認メラルベシ
第四条
 本条約ハ成ルベク速ニ批准セラルベシ批准書ノ交換ハ東京ニ於テ成ルベク速ニ行ハルベシ
 右証拠トシテ各全権委員ハ日本語及露西亜語ヲ以テセル本条約二通ニ署名調印セリ
昭和十六年四月十三日即チ千九百四十一年四月十三日「モスコー」ニ於テ之ヲ作成ス
松岡洋右(印)、建川美次(印)、ヴエー、モーロトフ(印)」
 右証拠トシテ各全権委員ハ日本語及露西亜語ヲ以テセル本条約二通ニ署名調印セリ
昭和十六年四月十三日即チ千九百四十一年四月十三日「モスコー」ニ於テ之ヲ作成ス
松岡洋右(印)、建川美次(印)、ヴエー、モーロトフ(印)」
 この条約は、1941年4月25日に両国での批准が終了し、発効した。当時のソ連の念頭にあったのは、軍事膨脹を続けるドイツであったろう。日本側のそれがアメリカであったことも、言うまでもない。ところが、この文書の「五年ノ期間効力ヲ有スベシ」の5年に満たない間に、連合国の一員としてのソ連が、1945年8月9日、この条約を一方的に廃棄し、大陸に展開する日本軍に攻撃を仕掛ける。ソ連は、これを連合国の意により行った。したがって、ソ連が単独の意思で日本軍を攻撃したというのは当たらない。
 しかし、条約違反ではないかという向きもあるに違いない。確かに、これだけで見ると日本側はいかにも不意をつかれた格好・外観なのだが、実はそうでもなかった。戦後に判明したところでは、日本側でも本条約は自身の「南進政策」を続けるための方便であったのではないか、と感じられなくもない。というのは、日本軍の南方戦線で「南部仏印進駐」が強行された同年7月にあっては、既に対ソ連を目する武力行使の準備が「関東軍特種演習」(関特演)の秘匿名で準備されていた節がある。それまで関東軍で行われていた作戦とは内容が異なるものであるため、この名称で呼ばれていた。
 これを別の向きから補強するものに、コーデル・ハル(アメリカの国務長官にして、1933年3月~1944年11月までの在任))による回顧があって、こうある。
 「1941年12月8日、私は新任ソ連大使で前のソ連外務人民委員だったマクシム・リトヴィエフと会談した。(中略)リトヴィエフは三日後に私の求めに応じて訪ねて来たが、「ソ連政府はいま米国と協力して日本に対抗することは出来ない。ソ連は大規模な戦争をドイツとの間に行っており、日本から攻撃される危険をおかすことは出来ない」と伝えて来たと私に述べた。私はつぎのように答えた。
 「ソ連の立場はよくわかる。今年の初め頃、私はドイツの対ソ攻撃が迫っていることをソ連に警告したことがあったが、同様に信頼すべき情報によると、日本は日ソ中立条約の条件にもかかわらず、ヒトラーが要求すればいつでもソ連その他ドイツと戦っている国を攻撃することを約束している模様である。この取り決めでは、日本は先ず米国を攻撃し、この攻撃にドイツとイタリアが参加し、あとでドイツの要求があった時に日本がソ連に侵入することになっている」」(コーデル・ハル著、宮地健次郎訳「ハル回顧録」中公文庫、2001、315~316ページ)
 ともあれ、当時の日本側作戦資料などは、戦争終結までに証拠隠滅をねらった関東軍によって大方が焼却されてしまっていることから、その全容までは明らかになっていない。
 さて、かくも悲惨な戦争が終結して10年余を経た1956年10月、モスクワにおいて、次の『日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言』(『日ソ共同宣言』)が調印された。
 「(前略)
 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦の全権団の間で行われたこの交渉の結果、次の合意が成立した。
1、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の戦争状態は、この宣言が効力を生ずる日に終了し、両国の間に平和及び友好善隣関係が回復される。
2、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間に外交及び領事関係が回復される。両国は,大使の資格を有する外交使節を遅滞なく交換するものとする。また、両国は、外交機関を通じて、両国内におけるそれぞれの領事館の開設の問題を処理するものとする。
3、日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、相互の関係において、国際連合憲章の諸原則、なかんずく同憲章第二条に掲げる次の原則を指針とすべきことを確認する。
(a)その国際紛争を、平和的手段によって、国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように、解決すること。
(b)その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使は、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むこと。
 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、それぞれ他方の国が国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有することを確認する。
 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、経済的、政治的又は思想的のいかなる理由であるとを問わず、直接間接に一方の国が他方の国の国内事項に干渉しないことを、相互に、約束する。
4、ソヴィエト社会主義共和国連邦は、国際連合への加入に関する日本国の申請を支持するものとする。
5、ソヴィエト社会主義共和国連邦において有罪の判決を受けたすべての日本人は、この共同宣言の効力発生とともに釈放され、日本国へ送還されるものとする。
 また、ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要請に基いて、消息不明の日本人について引き続き調査を行うものとする。
6、ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、千九百四十五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。
7、日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、その貿易、海運その他の通商の関係を安定したかつ友好的な基礎の上に置くために、条約又は協定を締結するための交渉をできる限りすみやかに開始することに同意する。
8、千九百五十六年五月十四日にモスクワで署名された北西太平洋の公海における漁業に関する日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の条約及び海上において遭難した人の救助のための協力に関する日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の協定は、この宣言の効力発生と同時に効力を生ずる
 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、魚類その他の海洋生物資源の保存及び合理的利用に関して日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦が有する利害関係を考慮し、協力の精神をもつて、漁業資源の保存及び発展並びに公海における漁猟の規制及び制限のための措置を執るものとする。
9、日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。
 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要請にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞諸島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。
10、この共同宣言は、批准されなければならない。この共同宣言は、批准書の交換の日に効力を生ずる。批准書の交換は、できる限りすみやかに東京で行われなければならない。
 以上の証拠として、下名の全権委員は、この共同宣言に署名した。
千九百五十六年十月十九日にモスクワで、ひとしく正文である日本語及びロシア語により本書二通を作成した。
 日本国政府の委任により、鳩山一郎、河野一郎、松本俊一。ソヴィエト社会主義共和国連邦最高会議幹部会の委任により、N・ブルガ-ニン、D・シェピ-ロフ(「日本外交主要文書・年表(1)、784ー786頁.条約集、34ー59」)
 この「9」において「ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要請にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞諸島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」と記されたことから、此の日を境に両国政府による交渉は思い新たに、未来の友好協力関係構築に向けて歩んでいくことになった。つまり、両国が過去へのわだかまりを捨て互いに歩み寄った意義は、大きい。
 ところで、日ソ経済協力の中身には、どんなものがあるだろうか。その一つに、LNG(液化天然ガス)の共同開発・輸入が考えられるのではないか。LNGは、マイナス摂氏162度で液体(体積は約600分の1)になり、船に積んで日本に運べる。おりしも、2017年1月6日、東京電力ホールディングス子会社の東電フュエル&パワーと中部電力sの共同出資会社「JERA(ジェラ)」が、米国産シェールガス由来のLNG(液化天然ガス)を国内で初めて輸入した。積載船が同日、中電上越火力発電所(新潟県上越市)に到着した。
 2015年度のLNGの国別輸入比率は豪州(22.9%)が最多で、マレーシア(18.7%)、カタール(15.8%)、ロシア(8.5%)(財務省の貿易統計)。アメリカの東海岸ないし南海岸からの輸入ルートで考えれば、先頃拡張されたパナマ運河を通って大平洋に出る輸送ルートがコスト安の要因となっている。一方、ロシアからLNGを調達する場合は、今のところ船だが、ロシアとはパイプラインで繋がりうる。そういう意味では、ロシアLNG、米国産LNGを調達する動きは加速していく可能性を秘めているのではないか。

(続く)

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♦️895『自然と人間の歴史・世界篇』中国経済1(2009~2017)

2017-08-18 08:49:34 | Weblog

895『自然と人間の歴史・世界篇』中国経済1(2009~2017)

 2016年の全人代で、次の案件が議決された。その投票結果は次の通りだ。
 政府活動報告への賛成は2814、反対は27、棄権は16。第13次5か年計画への賛成f2778、反対は53、棄権は25。中央・地方予算への賛成は2467、反対は299、棄権は90。最高人民法院活動報告への賛成は2600、反対は208、棄権は46。最高人民検察院活動報告への賛成は2560、反対は239、棄権は51(2016年3月17日付け毎日新聞)。
 顧みて、21世紀に入り、世界経済の「エンジン=牽引役」が変化した。世界経済成長への先進国の寄与度(2000年~2007年、IMFデータベースの計数)は60.5%、新興国の寄与度(同)は39.5%。その後、世界経済成長への先進国の寄与度(2008年~2015年、IMFデータベースの計数))は8.5%、新興国の寄与度(同)は91.5%に大きく変化した(2016年5月16日付け)。この新興国プラス分の相当部分を中国経済の貢献分が占めているものと見られる。

(続く)

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♦️206の1『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカ経済3(2009~2017、広がる経済格差)

2017-08-18 08:46:03 | Weblog
206の1『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカ経済3(2009~2017、広がる経済格差)

 2013年9月、カリフォルニア大学バークレー校のエマヌエル・サエス教授が報告書「突然金持ちに――アメリカにおける高額所得者の誕生」を発表しました。この報告書は、1913~2012年の米内国歳入庁(IRS)のデータを分析し、拡大する一方の所得格差について考察を行ったものです。
 この報告書によれば、アメリカのいわゆる「1%の金持ち」の所得は2008年9月のリーマン・ショック(金融危機)当時からほぼ完全に回復しているのに比べ、残り99%の人たちの所得には、回復はほとんど見られません。
 昨年のアメリカでは、上位10%の世帯の所得が総所得の50.4%を占めました。これは、1917年以降で最大の割合となっています。上位1%の人々の所得が総世帯所得に占める割合は過去最大で、19.3%でした。
 それから所得の伸び率ですが、アメリカの2009~2012年でみた上位1%の人々の所得伸び率は31.4%でした。ちなみに、2007~2009年にはマイナス36.3%の伸びでしたから、今回はそれをほぼカバーする内容となっています。これは2009~2012年のアメリカ全体の所得伸び率のじつに95%に当たります。これに対し、同時期に、下位99%の人たちの所得の伸び率はわずか0.4%でしかありませんでした。
 同教授の論文についてはもう一つ、「米国におけるトップ富裕層の研究」(2016年9月3日付け発表「Striking it Richer:The Evolution of Top Incomes in the United States
(Updated with 2012 preliminary estimates))から一部を紹介させていただく。
“What’s new for recent years?
2009-2012: Uneven recovery from the Great Recession From 2009 to 2012, average real income per family grew modestly by 6.0% (Table 1). Most of the gains happened in the last year when average incomes grew by 4.6% from 2011 to 2012.
However, the gains were very uneven. Top 1% incomes grew by 31.4% while bottom 99% incomes grew only by 0.4% from 2009 to 2012.
Hence, the top 1% captured 95% of the income gains in the first three years of the recovery. From 2009 to 2010, top 1% grew fast and then stagnated from 2010 to 2011. Bottom 99% stagnated both from 2009 to 2010 and from 2010 to 2011. In 2012, top 1% incomes increased sharply by 19.6% while bottom 99% incomes grew only by 1.0%. In sum, top 1% incomes are close to full recovery while bottom 99% incomes have hardly started to recover.
Note that 2012 statistics are based on preliminary projections and will be updated in January 2014 when more complete statistics become available.
Note also that part of the surge of top 1% incomes in 2012 could be due to income retiming to take advantage of the lower top tax rates in 2012 relative to 2013 and after 1
Retiming should be most prevalent for realized capital gains as individuals have great flexibility in the timing of capital gains realizations. However, series for income excluding realized capital gains also show a very sharp increase (Figure 1), suggesting that retiming likely explains only part of the surge in top 1% incomes in 2012. Retiming of income should produce a dip in top reported incomes in 2013. Hence, statistics for 2013 will show how important retiming was in the surge in top incomes from 2011 to 2012.”
 エマニュエル・サエズ教授のこの論文によると、「要約すれば、上位1%の所得は(金融危機後に)ほぼ完全に回復し、下位99%はほとんど回復し始めてもいない状況だ」とのことです。
 具体的には、2009年から2012年までの3年間で、上位1%の人の所得が31%増える一方、残りの人たちは0.4%しか増えませんでした。また、所得上位10%の富裕層が12年に稼いだ所得が全体に占める割合は、1917年以降で最大になりました。所得上位10%の富裕層が2012年に得た所得は14万6千ドル超で、所得下層10%の所得の約12倍に相当するとのことです。
 ウォール街占拠運動は、2011年9月17日から、ニューヨークのウォール街で始まり、2012年3月24日まで続き、アメリカ国内のみならず、全世界で注目を浴びました。ウォール街に続く通りやズコッティ公園に何週間もテントを張っていた抗議者は、社会のたった1%が多くの富を占有していることに疑問を呈しました。1%対99%の構図は、単なる語呂合わせのものではなく、現実の分析に基づいたものであったので、人々はその訴えに耳を傾けざるをえなかったのでしょう。

(続く)

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♦️894『自然と人間の歴史・世界篇』広がる世界の経済格差

2017-08-18 08:38:03 | Weblog

894『自然と人間の歴史・世界篇』広がる世界の経済格差

 2014年に発刊されたトマ・ピケティの『21世紀の資本』により、経済格差の拡大の歴史的データが明らかにされた。まずは、データから「資本主義の基本法則」とは何かが探求され、つぎの二つがあるという。
(1)第一法則としては、次のとおり。
α(資本分配率)=r(資本収益率)×β(資本所得比率)
 ここでα(アルファ)は資本収益(資産ストックから得られる利益)の国民所得に対する比率であって、通常これは「利潤シェア」ないし「資本分配率」と呼ばれるものに近い。しかし、ピケティはこの資本収益の概念に、資本利得や家賃収入なども含めている。r(ガンマ)は資本収益の資本ストックに対する割合をいう。β(ベータ)は資本ストックの国民所得に対する割合をいう。
 この法則によって、β(資本所得比率)が一定の場合、r(資本収益率)が上昇するとα(資本分配率)が上昇する反面、労働分配率(労働所得の割合)が低下するという資産家優位の構造を統計的に明らかにした。
(2)第二法則としては、次のとおり。
β(資本所得比率)=s(貯蓄率)/g(経済成長率)
 ここでg(ジー)は経済成長率をいう。s(エス)は貯蓄率)をいう。
 この法則により、g(経済成長率)が低下し、s(貯蓄率)が増大するにつれ、β(資本所得比率)が上昇する、その分資産家優位の構図を統計的に明らかにした。
 第二には、経済格差拡大の要因は何かを考える。
 次に、以上で得られた2法則を前提に、ピケティは不平等をもたらす根本的な要因を、r(資本収益率)>g(経済成長率)にあると捉えた。r(資本収益率)がg(経済成長率)より高ければ、資産保有者は資産からの所得を投資に回すだけで経済成長率を上回る所得を手にすることができる、というわけだ。

(続く)

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♦️893『自然と人間の歴史・世界篇』核軍縮の光と闇(2016~)

2017-08-18 08:34:22 | Weblog

893『自然と人間の歴史・世界篇』核軍縮の光と闇(2016~)

 2016年10月27日(ニューヨーク現地時間)、国連の核拡散防止条約に関する国際会議(正式名称は「国連総会第1委員会」)で、核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」について、来年の2017年3月と6~7月に法的措置を交渉する国連会議を開催するように求める、との決議の採決が行われた。
 採決の結果は、賛成123か国(メキシコ、オーストリア、エジプト、南アフリカ、スウェーデン、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)など、)、反対38(米国、英国、フランス、ロシア、イスラエル、日本、韓国、オーストラリアなど)、棄権16(中国、インド、パキスタン、オランダなど)
 日本は、従来の棄権ではなく、提案に反対票を投じた。これに至った理由としては、今回の提案が核保有国と非保有国との対立を煽っている旨、説明を行った。しかし、米国の傘の下にある日本が米国に同調して、今回従来の棄権から反対に回った形は否めない、というのが世界の大方の見方となっている。
 日本が今回説明しにくい投票結果となった傍証としては、米政府がNATO(北大西洋条約機構)加盟国に配布した17日付の文書がある。この文書では、核兵器禁止条約について「第2次世界大戦後の安全保障体制を下支えしてきた」とし、今回の決議案は、自らが主導してきた「長年の戦略的安定性を損ねかねない」と強い危機感を表明した。
 今回の決議案は、国連核軍縮作業部会で8月に採択された報告書が下敷きになっているというのが専らだ。それゆえ、米国はほぼ2か月をかけて、これを逐一、自国の利益に照らして検証してきたものとみえる。その結果、報告書に示された将来の条約に含まれうる要素の全21項目をやり玉に挙げるに至る。具体的には、このうち核兵器の使用や脅しの禁止、核戦争計画への参加の禁止など9項目を挙げ、「条約に署名すれば、米国から核による防衛の申し出があっても、拒否せざるをえないかもしれない」と警告した。
 そして、一部の通信が伝えるところによると、米国は25日火曜、NATO諸国に対しだめ押しの警告を発したらしい。これが本当なら、同じく米国の核の傘に入っている、つまり米国の核兵器で条約で守ってもらっている立場にある日本にも何らかの形でかかる情報伝達がされたのは、疑いなかろう。
 反対投票を投じたことが明らかになってから、岸田外相は「私としては交渉には積極的に参加し、主張すへきことは主張していきたいと考えている」と述べたものの、確定的な表現とはなっておらず、日本がこの先どんな行動に出て行くかは未知数と受け取られているのは否めない。この決議が為される前からの米国が、同盟国に対し「2017年から協議が始まることになれば、それを無視するよう求めた」とも取り沙汰されており、日本の一外相としては精一杯の受け答えであったとも言えるからだ。
 このような国際的な場での日本政府の態度変更は、何よりも賛成123か国に驚きと怒りを持って受け止められていることだろう。なぜなら、提案国は核保有国主導の核軍縮が進まないことへの不満をベースとして今回の決議案を提出したのであって、とりたてて「核保有国と非核保有国の間の対立を助長し、亀裂を深めるものだからだ」と決めつけるには、無理がある。加えるに、日本は唯一の被爆国なのであって、その立場からすんなり出てくるのは、賛成か、精々棄権に回ることであった筈で、これ以前の日本もそんなスタンスで立ち居振る舞いしていたのではなかったか。

(続く)

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