『(74)』『岡山の今昔』吉備高原

2017-03-13 21:50:42 | Weblog
『(74)』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』吉備高原

 現在の岡山県には、吉備高原(きびこうげん)と呼ばれる、海抜200~600メートル位のなだらかな傾斜を上がったところに、平坦な高原がある。東西南北にして、瀬戸内海沿岸低地と中国山地間に、東西は岡山県から広島県にかけて広がる。その面積だが、ざっと岡山県域の3分の2を占めている。この高原面には、約1600年前の海侵によって堆積した砂岩や泥岩の地層が今も侵食をまぬがれ局地的に残っているとのこと。気候としては、「やや内陸性」といっていいのかどうかはわからないものの、県南部と比較してかなり冷涼な地域となっていると聞く。
 その中を、旭川と高梁川が100~200メートルもの深い谷を刻み込んで流れている。この高原はこうしてできた訳だが、全体に、谷に隔てられた台地状の形をしていて、これを「隆起準平原」と呼ぶ。そうはいっても、この場合の平原とは、全体として緩やかに波状に起伏する小起伏の山地の略なのであって、平野というには、隆起がある上、でこぼこも存在するということであろうか。地質学者の宗田克己氏の『高梁川』に、こうある。
 「吉備高原の準平原面が、ほぼととのったころ、すなわちいまから五〇〇万年前、第二の瀬戸内海が誕生した。瀬戸内海はこれより先、二五〇〇万年前に、岡山県全域をおおうものほどのものとして誕生している。そしていまの瀬戸内海が第三の瀬戸内海として誕生したもので、高梁川誕生と発達は主として、この第三のいまの瀬戸内海にかかわるものである。
 さて県南の低地や丘陵、少なくとも数十メートルくらいまでの微高地は、この第二瀬戸内海の先例を受けたものといってよい。いま見る県南の大地のような丘陵は、みんなこのことによって、その頭を削られたものである。そしてこの瀬戸内海も、徐々に海退し、これにともなって、河流や潮流は、いまは埋没している低地帯の基盤を、掘りこんで、いま一般の河川の河口付近で見られる、分流による微地形のような地形をつくることになった。なお一方では、徐々の地盤隆起にともない、各地に沼沢地で、大きいものは、高松ー総社地区のものをあげられるであろう。」(岡山文庫59)
 この吉備高原だが、地図でざっと見ると、さしあたり加賀郡吉備中央町なり、上房郡賀陽町あたりが、ほぼ中心に位置しているようである。この地は、東から南は岡山市、総社市、西は高梁市、北は真庭市、美咲町に隣接している。この地形の変化がよく分かる所としては、川上郡川上町の西部、もう広島県に程近い場所にある弥高山が名高い。この山の海抜は654メートルと比較的高い。晴れた日には、頂上から吉備高原はもちろん、北は中国山地、南は瀬戸内海の島々、さらに四国の山並みまで眺望できるらしく、関東で言えば飯能山麓の関八州展望台あたりといったところだろうか。この山の麓には、キャンプ施設が整い、運がよければ古歌にも詠まれた雲海を目の当たりにできるらしい。
 この山の頂上に立って、西の方角を辿ると、眼下の川上郡川上町、から道郡の成羽町(なるわちょう)、高梁市総社市北部並びに総社市北部の山間地を経て、吉備高原の中心(上房郡賀陽町あたりか)がはるかに眺望できるのであろうか。気候面では、やや内陸性で県南部と比較して幾分冷涼な地域だとされることから、水稲に加え、ここならではの高原野菜、果物に花木、動物相手では酪農、肉牛の肥育などと、実に多彩だ。また、岡山空港に隣接し、中国横断自動車道岡山米子線賀陽インターチェンジからのアクセスが確保されているとのことだ。
 あるいは、この高原に流れる川に宇甘川(うかいがわ)があって、旭川の支流の一つである。金川(現在の岡山市金川)まで流れて旭川に合流する。その宇甘川を県道31号線に沿って遡ること暫くして、谷間が極度に狭まるところにさしかかる。号して「宇甘渓」(現在の岡山市加茂川町、その前は御津郡加茂川町)という。全長は約5キロメートルである。急流に浸食され、岩肌がそそり立つ。かなりの絶壁となっているらしい。奇岩・音岩も見られるとか。そんなこんなの岩肌を飾るように赤松やケヤキ、イロハカエデなどの紅葉が見られる、親しみやすい景勝地となっている。

(続く)

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