田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も10年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌三越店長の挑戦し続ける人生

2017-06-27 20:21:40 | 講演・講義・フォーラム等
 高卒スポーツ枠(バスケット)で入社した羽山ひの木氏は、バスケットボールから離れた後、百貨店業界で挑戦し続け、ついには札幌三越店長にまで上り詰めたという。彼女の挑戦し続けた人生ストーリーを聴いた。 

                    

 6月21日(水)、スケジュールが合わなくなかなか受講できないでいた札幌大学の公開講座「地域創生入門」を3週間ぶりに受講することができた。
 第10講目のこの日は札幌三越店長である羽山ひの木氏「七転八起で社会(組織)を活きる」と題して講義された。

 羽山氏は高校女子バケットボール界の名門(北海道内において)の札幌香蘭女子学園高校(現在の山の手高校) 出身である。当時、札幌三越百貨店が実業団の女子バスケットボールチームを発足させるということでスカウトされ、入社したという。
 ところが怪我が相次ぎ、入社4年目にはバスケを断念せざるを得なく、退社を申し出たところ、慰留されて本当の三越人としての人生を歩むことになったということだ。

 その後の彼女は、バスケットで培ったチャレンジ(挑戦)精神で仕事に邁進したようだ。
 高卒、スポーツ枠入社、さらには20代での結婚、などというハンディをものともせず、アイデアを出し、それを実践していくことで、その力量を上司からも信頼を得、出世の階段を駆け上がったようだ。
 羽山氏は自分の仕事人生を次のように年代別に振り返った。
 ① 20代 上司がポイント!
 ② 30代 自らやりたい仕事にチャレンジする!
 ③ 40代 業務遂行力をあげ結果を出す!
 ④ 40代後半~現在 経営職としてビジョンを示す!

 これらのことを詳しく述べる中で、羽山氏は仕事の極意、経営の極意に関する至言を時折り挟んだ。それをメモできたかぎり紹介すると…。
 ◇失敗は将来の自分に生きてくる。
 ◇行動したことが認められると、仕事が好きになり、平凡な社員もその気になる。
 ◇厳しい環境の中でもチャンスはやってくる。
 ◇良い結果にも、悪い結果にも必ず理由がある。
 ◇部下の頑張りを見逃さず、声をかけ続ける。
などなど…。

               

 彼女の言葉を聞いると、やはりバスケットボール選手をしていたことが大きな強みになっていることが伝わってくる。逆境においてもけっして弱音を吐かず、常に挑戦し続けようとしてきた強い精神力のようなものを私は感じた。
 そしてそんな彼女の能力を認め、引き出した上司に恵まれたことも現在の彼女を形成したのだろう。

 羽山氏が挑戦し続けてきたことで得ることのできた札幌三越店長という地位だということがとても理解できた。果たして若い札大生は彼女の言葉をどのように聞いただろうか?
 彼女のメッセージが彼らに少しでも届いていることを願いたい。

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利尻・礼文の旅 回想 3

2017-06-26 16:50:37 | 
 わずか5日間の旅をあれこれと綴ってきた。旅を終えて1週間が経過した。旅の回想編もこのあたりで終了としたい。最終回はアラカルトとして「ウニ漁の風景」、「日本海オロロンライン」、「村祭りの風景」についてレポしてみたい。 
 
ウニ漁の風景 

               

 6月17日(土)朝、私はフェリーターミナル6時30分発の路線バスで、礼文島の北端スコトン岬を目ざしていた。
 車窓には日本海の朝の風景が広がっていた。
 すると、海岸沿いに一人乗り用の小舟がたくさん浮かんでいた。よ~く見ると、その舟に乗っている人たちは皆が皆、箱メガネで海中を覗き、長い竿を操って、ウニを捕獲しているのだった。
 海岸沿いに延々と続くその光景は、少なくとも50隻以上は操業していたのではないかと思われた。
 考えてみると、食材として珍重されるウニは、漁師が一つ一つ竿に挟んで海中から引き上げるという根気のいる仕事である。ウニ漁の光景を見ていて、ウニが高価なのも仕方あるまいと思えた光景だった。

               
               ※ 朝焼けの中、たった一艘のウニ漁の小舟が…。いい絵ですねぇ~(自画自賛…)

 ちなみに礼文島名物と言われる「ウニ丼」は、前夜私が食事した居酒屋では5,000円という値札が掲げられていた。私にはとても手の出ない値段であり、注文しなかったのはいうまでもない。

                    


日本海オロロンライン 

               

 「日本海オロロンライン」とは、小樽市から稚内市に通ずる国道、道道を指すようであるが、名称そのものが愛称であることから、一般的には石狩市の石狩川河口付近から稚内市までを指すようである。
 しかし、今回このオロロンラインを走ってみて、北海道らしさを最も感ずることができる区間は、天塩~稚内間の道道106号線の約58kmの区間ではないかと思った。
 海沿いを行くこの区間はサロベツ原野の中を一直線に結ぶ道路である。人家や電柱はまったく見えない。まさに“ザ・ホッカイドウロード”といった感じなのである。行き交う車も少なく、ラッシュ、渋滞が当たり前の大都市から訪れた人はどう思うのだろうか?

               

 そうした中、唯一手塩町に近いところに、忽然と大風車群が現れる。“オトンルイ風力発電所”だという。資料によるとその数実に28基!直径50.5mもある羽が回っている様は壮観である。この風車群がおよそ3キロにわたって続くのである。これまた、北海道ならではの光景といえるだろう。

               

 日本海オロロンライン…、ドライブ好きのあなた、一度走行してみることをお勧めします。


村祭りの風景 

               

 稚内からの帰り道、増毛町を過ぎて「大別刈」という集落に入ったときだった。集落が何やら華やいでいる雰囲気だった。よ〜く見てみると、どうやら村(集落)のお祭りのようだった。華やいで見えたのは、神社の参道に幟が旗めいていたこともあったが、私の目に止まったのは、家々の玄関に飾られていた「祭り花」がことさら華やいで見えたのだ。

                     
                     ※ このような祭り花を憶えている方はどれくらいいるのだろう?

 若い方はご存じないかもしれないが、私たちが子どもの頃は、村の祭りどの家々でも戸口に「祭り花」を飾ったものである。
 私はオホーツク海側の小さな集落出身なのだが、家々の戸口がピンク色の「祭り花」で飾られると心が躍ったことを忘れることができない。ところが今では、そのような風習が消えてしまっていた、と思っていた。
 そんな消えたと思っていた光景が通りすがりで見ることができたのだ!。その光景に「あゝ、この集落には、あの風習が残っていたんだ…」と思うと無性に嬉しくなり、車を止め、その光景をカメラに収めたのだった。
 しかし、その大別刈の集落でも、子細に見てみると、全ての家々が「祭り花」で飾っていたのではなく、ある特定の家の玄関だけだったのが少し寂しくも思った。

                

 小さな集落でも、今は一つにまとまることが難しくなっているご時世なのだろうか…。

 
 非日常を経験する旅って、ふだん見えていないものが、旅先だから見えてくるものがある。旅って、いいなぁ~。さあ、また次の旅を計画しようか?
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利尻・礼文の旅 回想 2

2017-06-25 18:31:51 | 
 旅は思わぬ出会いを演出してもくれる。今回の旅で、私は忘れることができない3人の方と出会った。その方々との出会い、思い出を綴りたい。 

陽気な女将の宿 

                    

 利尻島の民宿「お宿 マルゼン」の女将は陽気で、話し好きの人だった。
 彼女の名は渡邊トシ子、話から想像すると齢73~4歳という感じの方だった。
 宿のフロントの壁には、登山家の野口健氏、三浦雄一郎氏、岩崎元郎氏などと一緒に撮った写真が飾ってあった。
 お話を伺うと、彼女の次男の方は渡邊敏哉さんといって、利尻島でも有名な登山ガイドの方である。(サーフィンの世界でも有名らしい)その彼は、野口氏や三浦氏、岩崎氏が来島した際にガイドとして利尻島に登っているとのことだった。特に野口氏などはすでに3回も来島して、お宿マルゼンに宿泊しているという。
 渡辺敏哉氏は、つい先日放送になったNHK・BSの「にっぽん百名山スペシャル」でモデルの仲川希良さんをガイドして利尻島の春山登山をガイドした方である。
 渡邊家はもともと利尻島で手広く事業を展開していたそうだが、岩崎元郎氏が来島した際に、「利尻島に登山する人たちが気軽に泊まれる宿があったらいい」というアドバイスを受けて、会社の倉庫を改装して素泊りの宿「お宿 マルゼン」の経営を始めたそうだ。
 手広く事業を展開していた旦那さんは、事業を長男の方に譲り、現在は単身で札幌へ移住し、悠々自適の生活をしているという。女将さんも9月いっぱいで宿を閉め、10月からの札幌生活を楽しみにしていると語っていた。
 何を気に入られたのか、宿を退去する際に「ちょっと待ってて」といって自宅に引き返し、利尻昆布をお土産にくれた女将さんだった。

               


韓国の若者との出会い 

 利尻山登山の下山中のことだった。
 私は悪戦苦闘しながらも5合目まで下ったとき、後ろから追いついてきた若者が何か言っている。どうも英語のようなのだが、はっきりしない。
 何度かやり取りしているうちに、彼は「水をもらえないか?」と私に聞いていることが分かった。苦戦の登下山を続けていた私だったが、その時点ではまだ少しだけ飲み水を持っていた。
 私が今回の利尻登山に用意した飲み水は、500mlのペットボトル2本と、350ml入りのステンレスボトルにスポーツドリンクを入れたものを持参し、それぞれ残り一口くらいずつ残っていた。彼の窮状を見て、ペットボトルに入っていた水を提供した。内心は「私も残り少なくなって、自分はこの後大丈夫だろうか?」という思いもあったが、ここは武士の情けというものである、快く(?)彼に水を提供した。
 彼と2~3のやり取りをした。すると、彼は韓国から旅行で日本に訪れたそうで、韓国ですでに働いているということだった。
 水分補給で一息ついた彼は、若者らしくあっという間に私の視界から消えた。

 登山口の3合目までようやく降り立った私は、自販機からスポーツドリンクを買い求め、一息ついた後、残り市街地までのおよそ4.5キロを歩いて宿に向かうことになった。(お宿マルゼンは朝の送迎サービスはあったが、帰りは自分の足で帰らねばならない)
 1キロも歩いたころだったろうか。黒塗りの乗用車が私の傍に寄ってきた。運転している人の顔を伺うと、件の韓国の青年だった。
 「さきほど、私に水をくれた方ですね。私を知っていますか?」という。なんと彼はレンタカーで島を訪れていて、私が歩いているのを見て、迎えに来てくれたらしい。
 これには感激した。僅かな飲み水を提供しただけだったのに、彼は彼なりの恩を感じていてくれたということのようだ。
 喜んで彼の申し入れに従ったのは言うまでもない。彼の車には韓国語仕様のカーナビが整備されていた。ということは、僅か利尻島で2日の滞在のために、フェリーで車を運んできたのだ。韓国の若者もリッチだなぁ…。(彼の、彼との、写真を撮らなかったのがかえすがえすも残念である)
 

登山家 山田淳氏とツーショット! 

 利尻島から稚内へ帰るフェリー乗り場でのことだった。「あれっ?見たことがある人だ。確か登山の世界では名の知れた方だ!」、「さて、誰だろう?」…、そう思いながらフェリーに乗り込んだ。
 当日、フェリーは混んでいて、船内の客室はすぐにいっぱいになり、私は晴天だったこともあり、デッキの椅子席に座ることにした。すると、その方もやはり引率してきたツァーの登山客と一緒にデッキ席に座っていた。
 この歳になってからは、ミーハー的な振る舞いは抑えるようにしてきたのだが、好奇心を抑えることができなかった。彼がツァー客の把握などを終えたころを見計らって、近づき「あの~、確か有名な方ですよね」、「東大を出られて、脱サラして登山をする人のために会社を起ち上げられた方ですよね」と話しかけさせてもらった。すると彼は「山田です」と応じてくれた。(私は確かNHK・BSで彼のことを知ったのだった)
 「すいません。記念にサインをいただけないでしょうか?」と図々してくお願いすると、彼は気安く「いいですよ」と言って、私が差し出した紙片の片隅にペンを走らせてくれた。
 そこには「また山で会いましょう! 七大陸最高峰登頂 山田 淳 6/19」と書かれていた。

          

 山田氏があまりにもフレンドリーだったことで、私はさらに図に乗って「写真を撮らしてもらっていいですか?」と尋ねた。その願いも山田氏は快諾してくれた。
 すると、私と山田氏のやり取りを聞いていた山田氏引率のツァー客の方が、「一緒に写真に写ったらどうですか?私がシャッターを押しましょう」と言ってくれ、思いもかけず山田氏とのツーショットとなってしまった。

               

 山田氏と別れてから、改めて山田氏のことをネットで調べた。(順序が反対なのだが…)
 すると、山田氏は東大在学中の2年半で世界七大陸の最高峰の登頂に成功し、当時の世界最年少記録(23歳9日)を打ち立てた方だそうだ。その後、山岳ガイドや、マッキンゼーのコンサルタントなどをしていたが、2010年に「登山人口の増加」と「安全登山の推進」をミッションとして「株式会社フィールド&マウンテン」のアウトドアベンチャー企業を設立。同社にて、登山靴などの登山道具のレンタル事業や、フリーペーパーの発行、イベントの企画サポート、などを行なっているという。
 詳しくは尋ねなかったが、今回は会社の企画で利尻山登山を実施し、多くの賛同者と共に訪れた、その帰りだったのだろう。
 フレンドリーに、気安く接してくれた山田氏の人がらに感謝、感謝である。
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利尻・礼文の旅 回想 1

2017-06-24 17:01:32 | 
 久しぶりの旅だった。4泊5日の小さな旅だったが、やはり非日常の中に自分をおくことは新たな発見があって心楽しいものだ。今回の利尻・礼文の旅から新たな気付きや、出会いを一日2~3テーマずつレポしてみたい。 

フェリーもボーディング・ブリッジ時代? 

 稚内港から礼文島行きのフェリーに乗り込むときだった。フェリーターミナルからフェリー船内に導かれるとき、まるで飛行機に乗り込む際のボーディング・ブリッジを歩んでいるような気分だった。フェリーターミナルから一度も外へ出ることなく、船内に導かれたのだ。
 それは稚内港ばかりではなかった。礼文島の香深港も、利尻島の鴛泊港も同様だった。
 以前乗船した、鹿児島~沖縄間の奄美群島の島々を行くフェリーや、天売・焼尻のフェリーではそういうことはなかった。
 時代はどんどん利便性が進化しているようだ。
 それにしても、大きな船体の出入り口とボーディング・ブリッジを繋ぐためには、オーバーに言えば、ミリ単位の操船が求められると思うのだが、そうした意味では操船技術も進化しているということだろう。

               
               ※ 写真の真ん中の部分が船腹に伸びて乗客をターミナルに導きます。

               
               ※ ボーディングブリッジを通り、船を降りる乗客たちです。


離島のコンビニ事情 

 6月16日、礼文岳登山を終えた私はバス時間まで相当に時間があったため、島の中心である香深集落へ向かってのおよそ10キロを歩くことにした。
歩き続けて1時間半ほど経過し、香深集落まではまだまだと思っていたところ、突然セイコーマートの店舗が現れた。イートインコーナーもあり、疲れていたので私は躊躇なく店内に入り、ざるそばを頬張った。
 その後、店の方に「島の中でコンビニはここだけですか?」と問うた。すると「そうだ」という。「へぇ~」と思いながら、私は翌日の朝食と昼食を買い求めたのだった。(今回は礼文島も利尻島も宿は素泊りだった)
 それにしても、なぜ集落の中心にコンビニを設置しなかったのか、という疑問が残った。
 その日の夕食を摂りに中心部の居酒屋に入ったとき、店の主人にその疑問をぶつけてみた。すると主人は「いろいろあってねぇ…」と言葉を濁した。
 それを聞いて、私は以前に聞いたことがあることと合わせて次のように想像した。
 コンビニが道内に次々と進出してきた事態に対して、島内の商店主は危機感を抱いたのだと思われる。その結果、一致団結してコンビニへの業態変更の勧誘には乗らないことを申し合わせたのでは、と想像される。
 それから時代が推移して、コンビニの出店を考えたオーナーは、中心街でないところへ出店することで既存の商店主たちから了解を得たのではないだろうか?(あくまで私の想像だが…)

 利尻島でもコンビニはセイコーマートの一軒だけだった。こちらは鴛泊の中心街に位置していた。
 それにしても、セイコーマートは道内の小さな町村にも積極的に出店するような取り組みをしていると聞く。二つのセイコーマートともに比較的新しく見えた。コンビニが島内に出店したことは島の人たちにとっても嬉しい出来ごとだったに違いない。

                
                ※ 礼文島の香深の中心街からかなり離れた( 4キロ)ところにあったセイコーマートの店舗です。


6月のサクラ 

 礼文島で宿泊した「民宿 山光」さんは、施設が新しく気持ちの良い宿だった。
 女性の若いオーナー(?)に部屋へ案内されたときに、窓を開けて「礼文は今がサクラの季節なんですよ」といって、裏庭に咲くサクラを見せてくれた。見るとサクラはちょうど満開を迎えていた。
 花を見ると、どうもエゾヤマザクラとは違って見えた。そこでオーナーに聞いてみると「父が苗を取り寄せて、丹念に育てたもので、ソメイヨシノとかもあるはずです」とのことだった。ソメイヨシノは札幌近辺が北限と聞いている。果たして日本の北端の礼文島でソメイヨシノが育つのか、疑問ではあるが少なくともエゾヤマザクラではないことだけは確かのようだった。

               
               ※ 「民宿 山光」の裏庭で咲き誇っていたサクラです。
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北海道低山紀行 71 利尻山(鴛泊コース) 後編

2017-06-23 22:44:19 | 北海道低山紀行 & Other
 8合目までの登りは利尻山登山の序章に過ぎなかった。本当の利尻山登山は8合目から始まったといってよいほど、私には過酷を極めた。しかし、その先に待っていたものは? 

               
               ※ 利尻山の山頂と、尾根筋に見える赤い屋根が避難小屋です。

 8合目(長官山)に至って、ようやく利尻山の山頂が目の前にあらわれた。その姿は鋭く天を突く、という感じだった。
 8合目で少し長めの休みを取った後、天を突く利尻山々頂を目ざしての登行を開始した。初めは長官山を下るかたち進んだが、途中で唯一の雪渓を渡るところがあった。事前情報では雪渓がけっこう残っているとも聞いていて若干心配だったが、結局その一か所だけだった。そこからさらに下り8合目から約15分後、コルの部分に「利尻山避難小屋」があった。この施設はあくまで緊急の避難小屋であって、宿泊はできないそうだ。

               
               
 この避難小屋のあるコルのところからは傾斜がぐんと増して、私にはつらい登行となった。はじめはミヤマハンノキが頭上を覆う低木地帯を登っていく。斜度が急なつらい登りだったが、時おり顔を見せる高山植物がいっときの安らぎを与えてくれた。
 避難小屋から45分かかり「9合目」に到達した。ここら辺りではすでに森林限界を超えていて風がまともに当たり寒さを感じたために、防風のためにレインウェアを羽織った。山頂は望めるものの、まだまだ遥か遠くに感じる9合目だった。

               

               
               ※ 高山ゆえ、まだ育ちがおそいエゾエンゴサクです。

               
               ※ 所々で姿を見せてくれたイワベンケイです。

               
               ※ この時期利尻山でとても目立ったエゾノハクサンイチゲです。

               

               

 最後の詰めである。この辺りから登山道の様相は一変し、赤茶けた火山礫が目立つ急斜面となった。
 また、行く手の右側は山容が大きく崩れ、ぽっかりと谷底が見え、今なお崩壊が進んでいるという。途中には、両側がロープで規制されて人一人通れるだけの細いところもあった。ここのところは緊張するところではあったけれど、聞いていた危険な場所という感じはしなかったというのが私の正直な感想である。
 下山途中の人の中で、山頂の風があまりにも強いので、途中の岩陰で昼食を摂っている人がいた。

               

               

               

               

 疲労しきった体を懸命に高みへ上げる動作を続けていて、ふと顔を上げると、利尻山山頂に見られるローソク岩の細い岩柱が見え、さらには小さく利尻山山頂に建つ祠が目に入った。もう一息である。
 とうとう山頂に立つことができる、と思うと現金なものである。急に元気も出て、スタートから5時間45分後、ついに利尻山々頂に立つことができた。
 体力の低下著しく、標準時間を大幅に上回る登行時間となったが、よくぞこの私が山頂に立てたもの、と感慨に浸った。

               

               

               

               

               

 頂上は強風が吹いていて寒かった。しかもたくさんの人が狭いところに密集していたため、山頂の写真を一枚撮っただけで、私は風の当たらない岩陰に避難した。
 眺望はそれほど良いとは言えず、礼文岳のようなパノラマ写真は撮る気がしなかった。
 私は風の当たらない岩陰にどっかと腰を下ろし、妻への登頂メール、そしてブログでも山頂から投稿をするなど、ゆっくりと40分間過ごした。

               

               
     ※ この光景は面白いなぁと思って掲載したものです。沢に残った雪渓が溶け出し、やがては下界の川に流れる様子がよく見て取れる図だと思ったのですが…。

 下山、疲労しきった私の脚の筋肉は弾性を失い、恐る恐るの下山となった。印象的には登山時よりも後続に抜かれてしまうことが多かったのでは、と思われる。
 私のプライドを保てたのは、例の中高年のグループよりは早く下山できたということだろうか?

 下山時に一つのエピソードがあった。それは5合目だったろうか?後ろから追いついてきた男性が英語で「水を分けてほしい」と私に懇願した。その時点で私の持っていた水は残り少なかった。しかし、彼の懇願に負け、残り少ない水を彼に分け与えた。
 ずいぶん図々しい人だなぁ、と思いながらも彼の懇願を受け入れた。ところがそのことが後になって私に幸運をもたらしたのだ。そのことについては、明日からの「利尻回想」編で詳しくレポしたい。

 結局、私は下山に4時間10分をかけて、なんとか3合目登山口に帰り着くことができたのだった。私の中で、けっして記憶から消えることのない利尻山登山はようやく完結したのだった。

【利尻山〈鴛泊コース〉 登山データ】
標 高  17218m (標高差 1509m)
駐車場  3合目の北麓野営場の駐車場が利用できる。
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     登山口(3合目)→(110分)→第一見晴台(6合目)→(75分)→第二見晴台→(30分)→長官山(8合目)→(120分)→利尻山々頂→(85分)→長官山→(85分)→ 第一見晴台→(80分)→登山口(3合目)
時 間  上り(5時間45分)  下り(4時間10分)  ※ 休憩時間含む
天 候  晴れ、山頂部は強風
登山日  ‘17/06/18
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北海道低山紀行 71 利尻山(鴛泊コース) 前編

2017-06-22 20:40:52 | 北海道低山紀行 & Other
 憧れの山の一つ、利尻山はなかなかタフな山だった。何せ登山口(3合目)からの標高差が1,509mである。長く、険しい上りが延々と続いた。 

               
          ※ 6月18日、朝4時の利尻島の日の出風景です。宿の窓から、ペシ岬を望んだところです。小さく浮かんでいるのはウニ取りの小舟です。

 6月18日(日)、興奮していた私は朝2時に目が覚めるともう寝付くことはできなかった。早々に準備を整え、外に出てみると空はスカッと晴れていた。
 5時に宿(民宿 お宿マルゼン)の主人の車で3合目の北麓野営場の登山口まで送ってもらった。(宿のサービスである。しかし、下山時は自分の足で街まで帰ってこなければならなかった)

               

 野営場周辺は整備されていて、野外レクリェーションの施設が整っているようだった。
 同じ時間帯に中高年の団体さんがバスで到着し、同じく利尻山を目ざしているようだった。
 5時05分、私は朝の心地良い冷気の中、スタートした。最初は舗装された登山路が続く。
というのも、登山口から400mほど先に日本銘水100選に選ばれたという「甘露泉水」という美味しい水が得られるところがあり、そこまで行く観光客用の道のようだ。
 甘露泉水で私もペットボトル1本に泉水を汲み、いよいよ本格的に登山のスタートを切った。

               

               

 最初は利尻山の長い裾野部分である。ゆっくりと斜度は上げつつも、林間を行くトレッキング気分だった。ただ登山道にはゴロ石が転がっているところが多く、沢部分を行く登山道であることが分かる。ゴロ石に乗って足をくじくことがないように気をつけながら進んだ。
 まだ高山植物は現れなかったが、唯一ホウチャクソウと思われる釣り鐘型の白い花が目に入った。

               

               

               

 スタートして40分後、第一のチェックポイント「4合目」を通過した。登山道の様子に大きな変化は表れない。
 気が付いたのは登山道がよく整備されていることだった。倒木は全てチェンソーで切られて登山道を確保していた。あるところでは、その倒木を使って板材にして乾燥させているところもあった。将来的にはその板材で登山者の休憩施設でも造るのかな?と思ったのだが…。
 マツの木の葉が今年になって緑色の葉の先に黄緑色の葉を付けているところがいかにも初夏(山では春?)らしい光景に思えた。

               

               

               

               


 スタートから1時間20分を経過し、「5合目」に到達した。ここで初めて小休止(5分間)を入れた。利尻山登山の特徴の一つは各合目の表示がしっかり表示されていることと、その合目は比較的広い場所が確保されていて、休みやすくなっていることが登山者には嬉しい配慮である。

               

 5合目を過ぎると、登山道の様相が変わってきた。徐々に、徐々に斜度がきつくなり始めた。私のカメラは5合目から6合目までの間にたった3枚しか撮っていない。目立った景色の違いがなかったからかもしれないが、登る方がきつくなりはじめ、写真を撮る余裕がなくなってきたからかもしれない。
 それでもまだこの辺りでは体力的には力が残っていたのかもしれない。5合目から25分で「6合目」に到達している。6合目は通称「第一見晴台」とも称されているところだったが、下界は雲に覆われていた。
 6合目でもやはり5分間の小休止を取ったが、同じく休んでいた方に私は「ここからがきつくなるようですね」と話しかけていた。

               
               
               

               

               

 話をしていた通り、傾斜はどんどん急になってきた。登山道を覆う木は低くなり、時おり山の上部の方も望まれるようになってきた。
 7合目に向かう途中には、この日初めて目にする携帯トイレ用のブースが建っていた。私ももちろん宿で購入した(400円)携帯トイレを持参したが、幸いこの日は使用することなく登山を終えることができた。
 6合目から30分、かなりの疲労感を覚えながら「7合目」に到達した。しかし、7合目の標柱には「胸突き八丁」と表示されていて、これからが本当の厳しい上りだと暗示していた。

               

               

               

 7合目から登りは、「胸突き八丁」の名のとおり、本当に厳しく、辛い上りが続いた。救いは木の背丈が一段と低くなり、見通しが効くようになったことだった。7合目から45分後、集団が休んでいる広いところがあった。心身とも疲れていた私は「8合目に到達した」と思った。事実、標柱もあった。しかしそこは8合目ではなく「第二見晴台」という表示で、8合目はまだ上方だった。

               

               

               

               

               

               

                     

 気を取り直し、再び厳しい上りを続けること30分。私はようやく「8合目」、通称「長官山」に到達することができた。
 通称「長官山」とは、昭和6年10月から北海道庁長官を務めた佐上信一氏のことを指すようだ。8合目には、「利尻岳登り登れば雲湧きて 谿間遥けく 駒鳥乃鳴く 幡川詠」という石碑が立ち、裏には「昭和8年6月26日 北海道廰長官 佐上信一○○」とあった。(○○の部分は解読不能)おそらく当時の佐上長官がこの地に立って詠んだ詩だと思われる。

               
               

 その8合目(長官山)からは、目ざす利尻山の山頂がようやく私たちの前に顔を出し、厳しく屹立していた。
 ここまで苦しい登りが続いたが、さらなる試練が私を待ち受けていた。
(後編は明日綴ります)
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フットパス in 礼文島 花巡りのみち

2017-06-21 20:29:38 | フットパスウォーク
 この日(6月17日)礼文島は残念ながら厚い海霧に覆われていた。景色が良いとされるスコトン岬、ゴロタ岬は霧の中…。しかし、この日の最大目的だったレブンアツモリソウのいかにも高貴そうな花を目撃することができた。 

               

 礼文島は“花の浮島”とも呼ばれ、数々の固有種があることで知られている。それらを愛でるためにいろいろなフットパスコースが用意されている。コースは◇桃岩展望台コース、◇礼文林道コース、◇礼文滝コース、◇岬めぐりコース、◇久種湖畔コース、◇8時間コース、◇礼文岳コース、と礼文岳登山を含めて7つのコースが用意されている。

 私は日本ウォーキング協会が「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選定されている「岬めぐりコース」、別称「花巡りのみち」(13km)を歩くことにした。
 朝いちばん(6時30分)の路線バスに乗り、バスに揺られること1時間(バス代1,220円)スタート地点の「スコトン岬」に降り立った。

               

               

 スコトン岬は厚い海霧に覆われて、何も見えない上、風も強かった。
 わずかに視界が効くスコトン岬の写真を撮った後、さっそくフットパスウォークを開始した。
前後に3~4人、同じコースを歩く人たちがいた。霧が濃く、少し離れると姿がおぼろになるほど霧の濃い中を進んだ。道端にはところどころに名前の分からない花が見られた。
 また、当地で江戸後期にロシアとの貿易が華々しい活躍を演じた「銭屋五兵衛記念碑」がちょうど見晴台のようなところに立っていたが、もちろん見晴らしはまったく効かなかった。

               
               ※ 少し前を行く二人連れが霧に霞むほど、霧は濃かった。

               
               ※ 礼文島の固有種であるレブンシオガマです。

               
               ※ これは調べても分かりませんでした。

               

 コースはそれまでの舗装路から、細い砂利道に変わった。
 この後、その辺りのちょっとした山であるゴロタ山(標高180m そこがゴロタ岬でもある)まで標高差110mを一気に登るコースである。周りは霧で何も見えないが、路の両脇には薄紫のチシマフウロが鮮やかに咲き誇っていた。
 本来ならゴロタ岬からはスコトン岬まで望めて、その眺望がすばらしいらしいのだが、残念ながら何も見えなかった…。

               

               

               
               
               
               ※ コース上でとても目立った薄紫の色が鮮やかなチシマフウロウです。
             
                    
               ※ こちらはセンダイハギです。
               
 一気に登ったゴロタ山を今度は一気に下って海岸線に出る。礼文島は細長い島であるが、その東側は比較的発展し、集落も多いが、西側は集落も少なく全島を巡る道路もないようだ。そのような西側の集落の一つ「鉄府」を目ざす。なるほど、道は作業道のような砂利道だった。この頃になると、霧が晴れて青空が顔を出し始めた。
 「鉄府」の集落も廃屋が目立ち、寂れた感は否めなかった。島の中心の「香深」からも遠いため人が移り住んでしまうのもしかたのないことか?
 「鉄府」の集落からは再び立派な舗装路に変わった。コースは島を横断する形でレブンアツモリソウの群生地を目ざす。

               

               

               
               ※ ヒメウギアヤメはやや盛りを過ぎていたのかもしれません。

               
               ※ 鉄府の集落にはこうした廃屋が目立ちました。
              
               
               ※ 鉄府の集落を小高い丘から撮ったところです。

 実は、前日礼文島に着いた時、フェリーターミナルで「レブンアツモリソウの群生地への立ち入りは6月16日で終了します」という告知が張り出されていた。それを見たとき、礼文岳登山とフットパスの日程を替えようかな?と頭をよぎったのだが、そうするとその他のスケジュール調整の必要も生じてくるので、「レブンアツモリソウを見ることができなくても仕方がない」と考え、予定通りに行動していた。

 群生地の管理事務所のところに着くと、やはり群生地への遊歩道の開放期間終了のお知らせが表示されていた。観光バスでやってきた多くの人たちも管理事務所の前から引き返しているのが見えた。
 さて、ここから私の粘り腰である。管理事務所を訪ねて、管理人に対して「遊歩道が閉まったことは知っています。遊歩道以外のところでレブンアツモリソウを観察できるところがあったら教えてくれませんか?」と問うた。すると、親切そうな管理人は事務所を出てきて、道路向かいの崖のところを指し、「あそこに2輪ほど咲いています」と教えてくれた。さらには「もう少し離れたところで咲いているところがありますよ」と言ってくれた。

               
               ※ レブンアツモリソウの群生地を巡る遊歩道は前日で公開が終わっていました。

 私は崖をよじ登り、しっかり咲いているレブンアツモリソウの優雅な姿をカメラに収めることができた。
 続いてもう一か所のところへ行ってみると、こちらは十数輪が固まって咲いている見事なレブンアツモリソウがあり、小躍りしながらそれをカメラの収めた私だった。

               
               ※ 崖をよじ登って撮った貴重な一枚です。

               
               ※ ところがその崖から少し離れたところに、こんなにたくさんのレブンアツモリソウが…。
               
 すっかり満足した私は、コースのゴールであり、帰り便のバス停がある浜中に向かった。
 バス停に着くと先客がいた。その方と話すうちに、「私は赤いレブンアツモリソウを見た。直ぐ近くだから見に行ったらよい」とアドバイスしてくれた。幸い、バス時間間で少し時間があったので、アドバイスに従った。
 7~8分も歩いただろうか、島の幹線である道路わきに見事に咲く数輪の赤紫のレブンアツモリソウを見ることができた!
               
               
               ※ 赤紫のレブンアツモリソウが!!と思ったのですが、どうやらホテイアツモリということのようです。

※ ところが、この赤紫のレブンアツモリソウのことをブログでレポしたところ、山野草に詳しい知人のsakagさんから「それはホテイアツモリではないか」との指摘があった。おそらくその指摘が正しいのだろうと思われる。というのも、礼文島のどの案内パンフを眺めても、赤紫のレブンアツモリソウのことは掲載されていないからである。

               
               ※ 2016年に廃校になったという浜中集落にあった神崎小学校です。島には最盛期は9校もあった小学校が、現在は3校だそうだ。
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北海道低山紀行 70 礼文岳(489.8m)

2017-06-20 17:14:05 | 北海道低山紀行 & Other
 小さな山だと思っていたが、なんのなんの…。アプローチが長いのだ。しかも登山路は途中で2度ほど大きく下る個所があっため、登山にけっこうな時間を要した。しかし、礼文島では最高峰なだけに山頂からの眺望は見事だった。 

               
               ※ 礼文岳登山の概念図です。図では「ニセピーク」と称しているところを、私は「にせ頂上」ど呼称しました。

 フェリーターミナルのある香深(かぶか)地区から路線バスで約20分、登山口のある「内路(ないろ)」という地区でバスを降りた。バスにはトレッキング客が大勢乗っていたので、何人かは一緒に登るのかなと想像していたが、案に相違してそこで下りたのは私一人だった。
 バスを降りたところに立派な案内板が立っていた。
 その横に鉄製の階段があり、山には不似合いな登り始めに違和感をもったが、すぐに自然道になった。
 ところがその自然道に雑草が生い茂っていて、この先どうなるのだろう?と心配したが、まもなくそんな心配は杞憂に終わるほど登山道は整備されていた。

               

               
               ※ 礼文岳登山は写真右端の階段を上がるところから始まりました。               

               
               ※ 上り始めの雑草が生い茂っている様子にはちょっとびっくりしたのですが…。
               
 最初は海辺から一気に高度を上げ、眼下に内路地区の小さな漁港が目に入るようになった。そこを登り終わると、平坦な道にかわり淡々と森の道を往く感じの登山路となった。
 登山道わきには聞いていたほど花は多くなかったように思った。(花に関心が薄い私だから目に入らなかったのかもしれない)
 私が目にした花はキジムシロ(?)、ハクサンチドリ、オオバナノエンレイソウ、そしてここでも非常に目立ったマイヅルソウくらいだった。

               
               ※ 登山路をちょっと上がると、内路集落や港が見えてきました。
               
               

               

               
               ※ これはキジムシロ(?)

               
               ※ ハクサンチドリ

               
               ※ オオバナノエンレイソウ

               
               ※ 繁殖力旺盛(?)なマイヅルソウ

 淡々とした林の中を往くと、やがて少しずつ傾斜がきつくなったと思ったら第一見晴台となって見晴らしがようやく良くなり、遠くに礼文岳山頂も望めるようになった。
 そこからはようやく斜度もきつくなり始め、登山らしさを増してくる。

               
               ※ 時にはこんな岩場もありました。

               
               ※ 第一見晴台から見た礼文岳山頂です。

 けっこうな岩場も経て25分後に、地元の人が「にせ頂上」と読んでいるピークに到達する。なるほど登りきったところではあるが、もう一つのピークが見えているので、「にせ頂上」と呼ぶには無理があるようにも思われる。
 その「にせ頂上」から、一度急激に下りた後、最後の登りを登りきると頂上だった。
 頂上は小さな草地と岩場からなっていた。
 天気に恵まれ、360度全島が見渡せる眺望だった。利尻山の山頂付近が雲に覆われているのがちょっと残念だった。

               
               ※ にせ頂上からこんな岩場をいったん下りて…。

               
               ※ 山頂はもう直ぐです。

               
               ※ 礼文岳の山頂標識です。

          
          ※ 礼文岳山頂からのパノラマ写真です。

                                         
 私が山頂で憩っていると、私より年長の方が登ってきた。山登りのベテランのようだったが、「やぁ~、アプローチが長くて、思っていたより苦労しましたねぇ」と語っていたが、私と同じ感想だったようだ。この方は鹿児島からやってきて北海道の山を登っているとのことだった。
 標高だけではけっして測れない、山の奥深さを教えてくれた礼文岳だった。

【礼文岳〈内路コース〉 登山データ】
標 高  489.8m (標高差 485m)
駐車場  登山口に乗用車が10台くらい駐車できるスペースがある。
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     登山口→(70分)→第一見晴台→(25分)→にせ頂上→(15分)→礼文岳山頂→(100分)→登山口 
時 間  上り(1時間50分)  下り(1時間20分)  ※ 休憩時間含む
天 候  晴れ、微風
登山日  ‘17/06/16

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帰宅

2017-06-19 19:56:45 | 
 稚内からおよそ350キロを約6時間かけて、先ほど帰宅した。予定とはやや違ったのだが、私自身にとっては充実した5日間の旅だった。

          
          ※ 日本海オロロンラインとは、小樽~稚内間を指すようだが、もっともそれらしい風景といえるのは、天塩~稚内間であろう。
            写真のように人工的な造営物が何もない風景が延々と続く様は見事である。 
          

 当初の予定では、本日は利尻島観光の予定だった。
 ところが! レンタバイク or レンタカーを利用するには免許証が必要なのだが、免許証を稚内に駐車した車においてくるという失態を演じてしまった。
 周遊観光バスを利用する手もあったのだが、どうも純な観光客になることには抵抗があり、利尻島観光は断念することにした。

 となると、帰心矢の如しである。
 私の中では、この旅最大の目的であった利尻山登山を果たしてことで、すっかり充足感に満ちていた。妻からかかってくる毎日の安否確認コール(けっして“帰れコール”ではないのだが…)も私を後押しした。
 結局、利尻島発一番フェリー(8時30分発)に乗船し、帰宅することになった。
 旅の構想としてはもう一つの山を、ということも考えてはいたのだが…。

 車中の6時間、今回の旅を振り返りながらのドライブだった。
 明日からのレポは、もちろん礼文岳登山、礼文島フットパス、利尻山登山のレポがメインであるが、その他にもテーマがいろいろと思い浮かんだ。
 それらもレポできたらと思っている。テーマとして今思い浮かぶのは…。
 ◇離島のコンビニ事情 ◇赤いレブンアツモリソウ顛末 ◇一杯の水 ◇民宿のおかみ ◇著名登山家 山田淳氏との出会い ◇日本海オロロンライン ◇村祭りの風景 などなどである。これらの話題も、例えば「利尻回想」と題してレポできたらと思っている。

 明日から数日、この旅全体を振り返ってみたい。
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利尻山登山

2017-06-18 18:59:31 | 
朝5時05分に3合目登山口から登山を開始し、15時40分に登山口に帰り着きました。
山頂で40分間休んだ以外は、各合目で小休止を取っただけ。
行動時間、実に10時間!精も根も尽きてしまいました。
詳しくは帰宅してからレポします。
今夜は早々に寝ることにします。



*写真は下山時に8合目まで下ったときにちょうどフェリーが出航したところを撮りました。
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