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私の札幌生活も10年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 愛の予感

2016-09-19 20:54:15 | 映画鑑賞
 なんとも奇妙な映画だった。セリフがほとんど存在しないのだ。ある鉄工所に勤める男と、男が寄宿する民宿の食堂の賄婦の女の日常を繰り返し、繰り返し映し続ける映画である。ただ、二人の間には深いかかわりがあった…。 

                  

 一昨日レポした、北海道立近代美術館の映画会で「狙った恋の落とし方」を観た後の午後、この日2本目の本作を観賞した。

 私にとってはなんとも奇妙な映画だった。主人公が勤める鉄工所の職場に入って行くシーンを何度繰り返しただろうか?
 主人公の食事の場面を何度繰り返しただろうか?
 賄婦の女が卵焼きをするシーンを何度繰り返しただろうか?
 おそらく10回は下らないだろう、と思えた。その間、セリフは一切無しなのだ。
 このような手法を同一シークエンスのリフレインと称するらしい。

 映画の主人公と女の間には、実は深いかかわりがあった。その深いかかわりとは…。
 映画を紹介するあらすじを拝借すると、
 「ある日、新聞社に勤める順一(小林政広)の14歳の娘が、学校の教室で同級生の少女に刺し殺されるという事件が起きる。すでに妻も病気で亡くしていた彼は仕事も辞め、事件から1年後に北海道の鉄工所で肉体労働の仕事に就く。だが、彼が寝泊まりする民宿で給仕係として働いている加害者の母親、典子(渡辺真起子)と偶然出会い……。」

 映画は主人公が働く苫小牧の鉄工所と寄宿する民宿の日常を映し続けるのだが、時間の経過とともに微妙な変化が生まれてくる。まったくと言ってよいほど交流のなかった二人の間に、小さな変化が生まれてきたのだ。
 いつも主菜に手を付けず、卵かけごはんを啜り込むだけだった主人公が、ある日から主菜も残さず全て食べるようになったり、女に何か(プリペイドの携帯電話だったようだ)を渡そうとしたり…。しかし、女は男を寄せ付けない。
 ところがある時を境に、女の心境にも変化の兆しが見え始める…。

            
            ※ この映画の主演であり、監督でもある小林政広さんのなんとも表現しがたい表情です。

 映画はプロローグで、二人がそれぞれに事件が起こった後にインタビューに答える場面と、男が映画の最後で発する言葉だけが、セリフとして発せられる。
 その最後のセリフをしっかりと聞き分けられなかったが、その言葉が二人のこの後の「愛の予感」を思わせるものだった。

 それにしても凡庸な私にはなんとも不思議な映画であり、一度観たくらいでは映画の全てを理解することはできなかったというのが正直な思いである。
 
 映画はスイスのロカルノ映画祭においてグランプリを獲得した映画だそうだが、監督であり、主演の小林政広という監督はこのようなある種実験的な映画を指向する監督のようである。
 できればもう一度観て、深く味わってみたい映画だった。
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