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私の札幌生活も9年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

沢木耕太郎著 流星ひとつ(後編)

2014-02-08 17:22:53 | その他
 沢木はノンフィクションライターとして、取材対象から話を聞き出す一流のインタヴュアーであろうとしたようだ。事実この作品において、彼の絶妙な話の引き出し方によって、当初口の重かった藤圭子が徐々に饒舌になっていく様は圧巻である。

                 

 この作品の冒頭、沢木は藤圭子に向かって、インタヴューについて次のように語っている。

 「(前略)すぐれたインタヴュアーは、相手さえ知らなかったことをしゃべってもらうんですよ」
 「知らないことなんかしゃべれないよ」
 「知らなかったこと、というと少し言いすぎになるかな。意識してなかったこと、と言えばいいかもしれない。普通の会話をしていても、弾みで思いもよらなかったことを口にしていることがあるじゃない。よく。でも、しゃべったあとで、そうか、自分はこんなことを考えていたのか、なんてひとりで納得したりする。そういうことなんだ、知らなかったことをしゃべらせるというのは。相手がしゃべろうと用意していた答え以外の答えを誘い出す。そういった質問をし、そういった答えを引き出せなければ、一流のインタヴュアーと言えないと思うな」

                 
 ここに沢木のインタヴュアーとしての矜持が現れているような気がする。
 沢木のインタヴュアーとしての卓越さを、ある評論家は次のように評する。
「この本の最大の読みどころは、沢木の巧みなインタビューテクニックと、それに応えて徐々に心を開いていく藤圭子のやりとりそのものである。沢木は、藤圭子が答えにくそうにしていれば、話題を変え、自分のエピソードを披露して笑いを取り、それでも聞きたいことには執拗に食い下がる。近づき、離れ、また近づく。標的は、『芸能人・藤圭子』ではなく、『人間・藤圭子』だ」と…。
 そうして沢木は人間・藤圭子の水晶のように硬質で透明な精神や、透明な烈しさが清潔に匂っている様を描き出したのだ。

                

 さて、封印していた藤圭子のロングインタヴューを世に発表しようと沢木を衝き動かした要因とは…。
 藤圭子が亡くなった後、彼女の娘である歌手・宇多田ヒカルが彼女のオフィシャル・サイト上にコメントを発表した。その趣旨は「精神を病み、長年奇矯な行動を繰り返し、自身の感情や行動をコントロールできなくなったあげくの事態だった」というような内容だった。

 藤圭子は沢木とのインタヴューの後、自身の決意どおり引退してアメリカにわたり、そこで宇多田照實氏と出合い、結婚し、二人の間に生まれたのが宇多田ヒカルだった。
 沢木は宇多田ヒカルのコメントに接し、沢木が知っている輝くような精神の持ち主であった母藤圭子の姿を知らない宇多田ヒカルを不憫に思ったようだ。
 沢木は次のように考え、「流星ひとつ」を世に出すことを決心した。
 「28歳のときの藤圭子がどのように考え、どのような決断をしたのか。もしこの『流星ひとつ』を読むことがあったら、宇多田ヒカルは初めての藤圭子に出会うことができるかもしれない…」
と…。

                 

 そうした背景を知らなくとも「流星ひとつ」は十分に読み応えのあるノンフィクション作品である。その上、こうした背景を知るに及んで、一層の魅力(興趣?)を感じながら私はこの「流星ひとつ」を読み終えた。

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