田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

また地球が揺れた!熊本地震

2016-04-17 22:37:03 | 環境 & 自然 & 観察会
 自然の猛威を前にした時、無常観に襲われてしまうのは私だけではないだろう。熊本地震の報に接し、なす術を知らない自分がいた。私たちは改めて自然(地球)に生かされていることを再認識しなければならないということだろうか?

                  
                  ※ 熊本の象徴「熊本城」の屋根瓦が剥がれ落ちてしまいました。
 
 今回の熊本の惨事は目を覆うばかりである。それは、日本人の誰もがあの東日本大震災を、神戸・淡路大震災を思い起こさせるものだったに違いない。

 私たちは非常に文明が発達した社会に生活していると思っていた。しかし、私たちが住んでいる地球について、解明されていないことが多すぎることを改めて認識させられた思いだ。何せ数十人もの命を奪う事象に対して何の予防法も、対処法も持ち合わせていないのだから…。
 今日はまた、地球の裏側のエクアドルでも大きな地震が発生したことをニュースは伝えていた。

                  

 私たちはこうした事態に遭遇したとき、どう考え、どう対処すべきなのだろうか?
 今回の事態でも、被害に遭った熊本の人たちの対処の仕方に大きな特徴があると私は見ていた。それはある種の諦観と冷静さである。
 諸外国であれば、よく我を忘れるかのごとく泣き叫ぶ姿がテレビの画面に写されるが、私がテレビの報道を見るかぎり、そうした光景は皆無であった。我が家が崩壊した現状を目にして、涙を浮かべる人が中にはいるものの、ほとんどの人は呆然とし、諦め顔だった。
 また、避難所に退避した人たち、食料や飲料水などの供給を受ける場では、我先にとなりがちだが、整然と行動していたのが印象的だった。

 こうした日本人の特性を、私は非常に誇らしく思う。こうしたことはどこから来るのだろうか?
 私が考えるに、一つは日本の教育の成果なのでは、と思っている。いろいろと批判も多い日本の教育であるが、つねに他人のこと、集団のことを考えて行動するという規範意識が身に付いているからではないか?
 もう一つは、古来から日本人は地震や火山の噴火、台風など自然の猛威に晒されることが多い日本列島で暮らしてきたため、自然に対するある種の畏れや諦観が、日本人のDNAとして刻み込まれているのではないか、と私は思ったりしている。

            

 しかし、こうしたことに対して「なす術を知らない」で済まされることだろうか?
 文明は、地球上の困難を次々と克服し、人間を救ってきた。地球のメカニズムについても、以前に比べると相当に解明されてきている。ただ、対象が我々の手の届かないところにあるために、まだまだ未知のことも多いようだ。
 英知を結集して、少なくとも地震の危険が迫ったことを予知する確実な方法の開発が一日も早く実現することを願いたいと思う。
 「なす術を知らない」では、あまりにも悲しい…。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。