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私の札幌生活も10年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

パラリンピアン藤田選手は語る

2016-12-13 21:03:42 | 講演・講義・フォーラム等
 リオ・パラリンピック自転車ロードレースの銅メダリストの藤田征樹選手は何ごとにもポジティブだった。自分に生起する全てのことを前向きに捉える素晴らしい精神の持ち主である。そうした人間性がパラリンピック3大会連続のメダルを獲得させたように思った。 

                   
             ※ 当日、藤田選手はスーツ姿だったが、最もイメージの近い一枚を使用させていただいた。

 12月9日(金)、北海道心の教育推進会議が主催する「人権教育指導者研修会」がかでる2・7で開催され参加した。けっして私は人権教育の指導者ではないのだが、藤田選手のお話をぜひ聴いてみたいと思ったし、受講資格を問わないと主催者が言っていただいたので受講することにした。

 藤田征樹選手は茨城県在住だが、北海道出身という縁もあって講演を要請されたようだ。当日は「パラリンピアンとして思うこと」と題して、講演という形ではなくインタビュートークという形で、司会者が藤田選手に問う形で進められた。

 藤田選手は稚内出身の方で、スポーツ好きの少年だったようだ。
 大学2年時に交通事故に遭い、両脚を膝下から切断したそうだ。以来両脚を義足に頼って生活しているという。
 両脚を切断したとき、いろんなことができなくなるという不安もあり、受け入れるために時間が必要だったという。しかし、時間の経過と共にいろいろできることが分かり、前向きに考えることができたという。そしてまずトライしたのがトライアスロンだったそうだ。
 やがて自転車に出会い、膝下切断後わずか4年後には北京パラリンピックに出場し、銀2、銅1のメダルを獲得したそうだ。

 藤田選手は大学で工学系を専攻したことを活かし、現在建業機械メーカーの研究職として勤務しているという。併せて競技生活も並行して励み、北京に続き、ロンドン、リオと3大会連続して出場し、メダルも獲得しているということだ。

                   
                   ※ リオパラリンピックで競技用の義足を装着して立つ藤田選手です。

 藤田選手の言葉で印象に残ったことは、リオパラリンピックでは障がい者に対して特別視することなく、さりげない対応だったことを喜んでいたことだった。また、オリパラという言葉が世間に流布するようになって、オリンピックとパラリンピックを同時開催してはという声に対しては、無理に推進する必要性は感じていないという。
 その言葉に、私は藤田選手の健全な、そして冷静な判断力を持ち合わせた方だなぁ、との思いを強くした。
 ただ、日本社会において、障がい者を見る目が良い方向に向かっているようには感ずるが、本質的な部分ではまだまだだと思う、と発言された言葉を私たちは重く受け止める必要があると思う。
 藤田選手は言う。障がいを知ることで、世の中が変わる。また、障がいを知ることより、個人を知ってほしいと…。
 この言葉は重い。つまり、藤田選手は障がいを特別な目で見るのではなく、障がい者をごく普通の一人の人間として接してほしい、というメッセージだと私は受け止めた。

 障がい者スポーツの伝道師・藤田選手のますますの活躍を祈りたいと思った。

 研修会の後半は、「障がい者の人権を考える」というテーマでの演習が行われたが、私自身に日常の中で、障がい者の人権をどれだけ尊重しているか、と問われたときにその意識がとても低いことを実感させられた研修会だった。
 藤田選手のお話を伺えたことと併せて、実り多い研修会だった。


※ 藤田選手のスーツ姿や競技用義足、メダルなどを写真に収めたのだが、私の手違いで消去してしまった。そのためウェブ上で公開されている写真を借用させてもらった。

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