田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

オヤジたちの修学旅行 前編

2016-10-08 20:50:58 | 札幌(圏)探訪
 「日本一終発の早い駅から列車に乗って、北の龍馬館を訪れよう!」をテーマにオヤジたち4人で秋の一日列車の旅を楽しんだ。新十津川駅を午前9時40分、かわいい保育園児のよさこいソーランの舞に見送られ、日本一早い終発列車はそろりと動き出した。 

               
               ※ 新十津川駅で可愛い保育園児に出迎えられたが、Part 1では新十津川まで届かなかった。

 2009年、中央区が主催した「オヤジの仲間づくり講座」の参加者の中から有志が集まり「オヤジの仲間づくり21の会」なるものが発足した。発足時は8人の仲間がいて、さまざまな仲間内の研修会を行い、懇親交流会を行っていたのだが、一人抜け、二人抜けしているうちに、三年前くらいからわずか4人の会になってしまった。
 それでも細々と、4人が輪番で幹事役を務め、今は年4回の会合を持ち親交を深めている。

 その幹事役が今回私に回ってきたのだ。
 「さて、何を?」と考えたときに、「冬の石狩川河岸を遡る」で何度もお世話になったJR札沼線(愛称:学園都市線)が今春のダイヤ改正によって終点の新十津川駅が「日本一終発の早い駅」という名誉(?)ある冠を戴冠したことを思い出した。
 「これだ!」と思った。日本一終発が早いだけではなく、札沼線そのものの存廃がいつも囁かれる路線なので、今のうちに乗っておくことに意味が出てきそうな気がしたからである。
 
 企画はさっそく動き出した。
 まず、ダイヤを調べると、札幌から「日本一終発の早い列車」に乗るためには、朝6時58分発の札沼線で新十津川駅を目指さねばならないことが分かった。「日本一終発の早い列車」は、その列車の折り返しの列車なのだ。つまり新十津川駅は一日一本の列車の便しかないのだ。
 旅程を記すと、次のとおりである。
◇ 6時58分 札幌駅発   ⇒  7時38分 石狩当別駅着(乗り換え)
◇ 7時45分 石狩当別駅発 ⇒  9時28分 新十津川駅着
◇ 9時40分 新十津川駅発(日本一終発の早い列車)

 これでまっすぐ札幌駅まで帰ってくるのでは芸がない。
 そこで、新十津川駅を出て、浦臼駅で途中下車し、通称「北の龍馬館」と称している「浦臼町郷土資料館」を見学し、浦臼町内で昼食を摂り、札幌駅まで還るという企画を組んだ。

 列車料金は札幌⇔新十津川往復で3,280円だった。ところが、JR北海道では土曜・休日にかぎり札幌近郊(新十津川もぎりぎりセーフ)を巡ることが可能な「一日散歩きっぷ」というサービスがあることが分かった。この料金が2,260円と格安だった。幸い実施日が今日8日が土曜日だったために適用の日であることから「一日散歩きっぷ」を利用することにした。

               

 そして、今日8日当日、空は小雨模様だったが、本日の行動のほとんどは列車内なので、天気はあまり心配せずに実施することにした。
 朝、眠い目をこすりながら6時30分には4人のオヤジたちが札幌駅に集合した。
 早めに10番ホームに移動したところ、私たちが乗る予定の6時58分の前に出発する6時39分発の列車がホームに入っていた。
 札幌のホームで待つのも、石狩当別駅のホームで待つのも同じことと判断し、予定を変え6時39分発の列車で札幌を出発した。結果、この選択は正解だった。

 札幌駅⇔石狩当別駅間は交流電化区間のために、いわゆる電車が走っている。それに対して、石狩当別⇔新十津川間は非電化区間のために気動車が運行している。
 私以外は「あいの里教育大駅」以降は初めての乗車だということで、それぞれが車窓を眺めながら、車で走る時との違いを感じているようだった。

               
               ※ 朝早い列車とあって、車内は閑散としていた。

 40分で石狩当別駅に到着したところ、ホームにはすでに新十津川行きの気動車が入っていて。乗車可能だった。乗車してみたところ、予想に反して意外に客が多いことに気付いた。それらの客の様子が、どうも地元の人というよりは、カメラを抱えた鉄道マニア風の人が多いようなのだ。
 土曜日である。私と同じように考えた(いや、私がマニアの人たちと同じように考えた)人が多いようだった。
 私たちが乗るはずだった札幌駅6時58分発の列車が到着すると、そこからもぞろぞろとマニアらしい乗客が乗り込んできて、客席はほぼ満杯となった。

 いつもこのように千客万来であれば、廃線などということが話題にはならないはずなのに…。しかし、廃線が話題になったからこそ、多くの人が駆け付けたのだろうし…。
 複雑な思いを乗せて、キハ40形 気動車は新十津川駅を目指して発車した。

               

               

 ところで、今回乗った「札沼線」は本来、札幌駅⇔石狩沼田駅間をつなぐ路線だった。ところが石狩沼田駅⇔新十津川駅間は1972(昭和47)年に早々廃線になったそうだ。それでも正式名称としては残っているのだが、その後、沿線に北海道医療大学や北海道教育大学が誕生したことから愛称が「学園都市線」と称されるようになったようだ。そのことを表すポスターが駅舎内に掲示してあったので、その部分を写真に収めた。

                         

 新十津川駅はまだまだ遠い、明日の後編にてレポすることにする。


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