ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

さいたま市桜区の南端にある桜草公園では、ジョウビタキなどに出会いました

2018年02月24日 | 季節の移ろい
 さいたま市桜区の南端にある桜草公園では、いくらか春めいてきて、いろいろな冬鳥などの野鳥が飛来しています。

 この桜草公園は、さいたま市を北西から南東に向かって斜めに流れる荒川沿いにある秋ケ瀬公園の一番下流側に隣接しています。

 2月下旬になり、三寒四温のためか、粉雪が少し降ったり、春めいた暖かい陽光にあふれたりと、気温の上下が激しいころです。

 桜草公園では、ニホンサクラソウ(日本桜草)などのさまざまな山野草が花を咲かせる草原は、杭が立てられ、中には立ち入り禁止になっています。天然記念物に指定されているからです。



 並んでいる真ん中の杭の上にモズが1羽、留まっています。

 桜草公園の立ち入り禁止の中で育ったヨシ原などが今年1月下旬に野焼きされ、そのむき出しになった地面には野鳥が来ています。ここに時々、珍しいアリスイが登場するとの噂からまた行ってみました。

 桜草公園の立ち入り禁止の草原を守るは杭の上には、ジョウビタキが留まっています。





 このジョウビタキは、少しずつ移動していきます。



 桜草公園の近くにあるやぶには、アオジが来ています。



 桜草公園の近くにある雑木林には、カシラダカが留まってます。



 桜草公園の近くにある場所には、タヒバリ(あるいはビンズイ)が数羽、来てエサを探しています。



 今の時期はタヒバリとビンズイの見分けは難しいです。このタヒバリの群れは動き回ります。





 お目当てのアリスイには、残念ながら出会えませんでしたが、桜草公園は春めいてきていると感じました。

日本経済新聞紙の「私の履歴書」の松井忠三さんの会社経営手腕には興味津々です

2018年02月24日 | 日記
 2018年2月の1カ月間の日本経済新聞紙の朝刊の最終面「文化」欄に掲載されている「私の履歴書」の著者は、良品計画の元会長の松井忠三さんです。

 この良品計画の元会長の松井さんの話は、有名大学を卒業して日本を代表する大手企業に入社し、課長時代などに才覚を現わしたというよくある経営者の話とはずいぶん異なる中身です。

 その良品計画の元会長の松井さんの2月22日編(21回目)は、良品計画の社長に就任する経緯の話です。

 日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版には見出し「社長就任 会長の硬い表情に腹括る 初の株主総会は怒号の嵐」です。



 2000年12月29日に仕事納めを終え、木内政雄会長(西友副社長)から「部屋に来てくれ」といわれます。2カ月前に辞表を出したので、この辞表が受理された話だと思って、会長の部屋に行くと「社長をやってくれ」といわれます。

 当時の有賀馨社長は創業以来初の減益になることの責任を痛感し、木内会長に辞表を出したと事情を説明されます。

 そして、2001年1月11日の第3四半期の業績発表の日に社長に就任します。想定外の事態に対応するための嵐ような日々を過ごし、就任会見で話す内容を考える間もなかったために、当時は「俊敏な経営で自由闊達(かったつ)な会社に戻したい」と当たり前のことを述べる程度に留まります。

 2000年は長崎屋とそごうが破綻し、西友も再建策に翻弄されていた年です。

 良品計画は2000年に新店出店による店舗面積増がこれまでの10倍の40パーセントに達していました。この中では、3300平方メートルという手がけたこともない大型店舗も出したそうです。

 これがすべて裏目に出ます。商品力が弱っていた中での無理な出店によって、赤字店が続出したそうです。

 そして、初の減益決算で迎えた2001年5月23日の株主総会は怒号の嵐となったそうです。

 松井忠三さんの第11回目の2月12日編では、1972年に東京教育大学(現在の筑波大学)を卒業して、郷里である静岡県の県立高校教師になるために教員試験を受けます。しかし、不合格になります。当時の学生運動の逮捕歴が不合格の原因と推定しています。

 この結果、当時、大手スーパーとして成長を始めたダイエーと西友の入社試験をそれぞれ受け、1973年(昭和43年)に西友に入社します。ダイエーは大学で留年していることから、新卒扱いでの入社試験を受けさせてくれませんでした。

 この当時は、日本の流通小売業を改革する大手スーパーとして、ダイエーと西友がしのぎを削っていました。そして、日本の小売業・流通経路などを改革していました。既存の販売経路を破壊して行きます。

 そのダイエーは事実上、破綻し、イオン傘下に入っています。また、西友も米国ウォルマートの傘下に入って、生き延びています。2000年当時には想像もできなかった経緯・結果です。

 西友から生まれた良品計画は、その起業理念の良さから、成長過程では紆余曲折はありましたが、存在価値を示しています。