今日は、私の誕生日に大好きな先輩経営者が送ってくれたメールを紹介しよう。
人生五十年と昔は織田信長は唄い舞ったが、私は本能寺の変で討たれた信長より一歳だけ長生きしている。
送られた先輩からのメールに応えられるような人生を送りたい。
◆◆先輩からのメール
論語の第一人者である伊與田覺先生の書いた、『「人に長たる者」の人間学』にある文章に、「曲礼」(きょくらい)が教える人生の歩み方という一節がある。
中国古典に「曲礼」(きょくらい)という『礼記』の一篇があります。
「曲」というのは「くわしい」という意味です。
その「曲礼」の中に「年齢」のことが書いてあります。
人は生まれて
10年を「幼」という。学ぶ。
(教えを受ける年齢ということです)
20を「弱」という。冠す。
(冠をつける年齢だということです。「弱冠」というのはここからきたようです)
30を「壮」という。
30代はエネルギーが旺盛です。まさに壮です。
40を「強」という。
40になると、それがさらに強くなる。
50を「艾」(がい)という。
艾(がい)というのは、頭に白いものがまじってくるという意味のようです。
ごま塩頭というやつですね。
ただ、艾には、刈りとるという意味もあるようですが、30代、40代は意気盛んである故に、いろんなムダなものをつけている。
そういうムダなものを取り去り、省いていく。
そういう年齢だということだと思います。
60を「耆」(き)という。
(君には十分にこの”域”に達していますね)
「耆」(き)。
これがおもしろいですね。
「老」の上の字に「旨」で「き」といいます。
「旨」というのは「うまい」ということです。
「うまい」というのは、あまいとか酸っぱいとかという単純な味ではない。
5つの味をミックスした、たとえようのないデリケートな味のことをいいます。
だから、これに手ヘンをつけると、「指」指というのは独得のデリケートな働きをしますね。
魚ヘンをつけると、「鮨」
独得のうまい食物です。
つまり、「耆」というのは、人生のあまいもからいも、あらゆる体験を通して、なんともいえない人間の風味がでてくる年齢だということです。
この伝でいえば、60代は人生の黄金期といえそうですね。
70は「老」という。
70は「老」。これは「老い」という意味もありますが、「練れる」「熟する」という意味もあるのです。
「耆」がさらに練られ、熟していく年齢です。
80、90を「耋」(てつ)という。
そして、80、90は「耋」。
「老」すなわち「練」がさらに至るということです。
こう考えると人間の一生は楽しいものです。
「曲礼」が教えるように、年を取りたいものです。
そのためにも日々「修養」です。
人生五十年と昔は織田信長は唄い舞ったが、私は本能寺の変で討たれた信長より一歳だけ長生きしている。
送られた先輩からのメールに応えられるような人生を送りたい。
◆◆先輩からのメール
論語の第一人者である伊與田覺先生の書いた、『「人に長たる者」の人間学』にある文章に、「曲礼」(きょくらい)が教える人生の歩み方という一節がある。
中国古典に「曲礼」(きょくらい)という『礼記』の一篇があります。
「曲」というのは「くわしい」という意味です。
その「曲礼」の中に「年齢」のことが書いてあります。
人は生まれて
10年を「幼」という。学ぶ。
(教えを受ける年齢ということです)
20を「弱」という。冠す。
(冠をつける年齢だということです。「弱冠」というのはここからきたようです)
30を「壮」という。
30代はエネルギーが旺盛です。まさに壮です。
40を「強」という。
40になると、それがさらに強くなる。
50を「艾」(がい)という。
艾(がい)というのは、頭に白いものがまじってくるという意味のようです。
ごま塩頭というやつですね。
ただ、艾には、刈りとるという意味もあるようですが、30代、40代は意気盛んである故に、いろんなムダなものをつけている。
そういうムダなものを取り去り、省いていく。
そういう年齢だということだと思います。
60を「耆」(き)という。
(君には十分にこの”域”に達していますね)
「耆」(き)。
これがおもしろいですね。
「老」の上の字に「旨」で「き」といいます。
「旨」というのは「うまい」ということです。
「うまい」というのは、あまいとか酸っぱいとかという単純な味ではない。
5つの味をミックスした、たとえようのないデリケートな味のことをいいます。
だから、これに手ヘンをつけると、「指」指というのは独得のデリケートな働きをしますね。
魚ヘンをつけると、「鮨」
独得のうまい食物です。
つまり、「耆」というのは、人生のあまいもからいも、あらゆる体験を通して、なんともいえない人間の風味がでてくる年齢だということです。
この伝でいえば、60代は人生の黄金期といえそうですね。
70は「老」という。
70は「老」。これは「老い」という意味もありますが、「練れる」「熟する」という意味もあるのです。
「耆」がさらに練られ、熟していく年齢です。
80、90を「耋」(てつ)という。
そして、80、90は「耋」。
「老」すなわち「練」がさらに至るということです。
こう考えると人間の一生は楽しいものです。
「曲礼」が教えるように、年を取りたいものです。
そのためにも日々「修養」です。










