暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

「女ひとり 70歳の茶事行脚」に寄り添って (その6 雪の中の茶事&エピローグ)

2016年08月14日 | 暮らし
                     
 
(つづき)
☆ 2016年2月
雪が降りしきる東北・奥会津にバンを走らせる半澤鶴子さんの姿がありました。
大腸ガンの手術から1年経っています。
家族は心配して反対しましたが、「命懸けで行く・・」と茶事行脚へ出かけました。

今回は「雪の中の茶事」を考えていました。
「山の営み、大地の営み、いろいろな大きな息づかいを自分で体験してみたい。
 ゆっくり雪と対峙してみたいなぁ~」と思いながら。

雪に深く覆われた河原(福島県大沼郡金山町)に茶事の場所を定めました。
カンジキを履き雪を踏み固める半澤さんが頼もしくも、楽しそうにも映ります。
長い青竹を引きずって来て、青竹4本を組んだ自在、雪と調和して清々しい設えでした。
雪の中から芽吹いた食材を掘り出します・・・それは大地の恵みを受け、次の世代へ繋げる命の力そのものです。

                     

お客さまは、道すがらに出会った高校3年生の女子3名さま。
自在に掛けられた鍋からよそう「雪中梅のみぞれ椀」、
3人の人生の門出、芽吹きを祝って、雪の中から採取した「酸葉(すいば)」がふるまわれます。
「美味しい!」「こんなの初めて食べました・・・きれい!」「あったか~い!」
心から感じ、楽しんでいる言葉が次々と発せられます。
雨漏り茶碗のように大きな滲みのある茶碗、茶の横縞のモダンな茶碗など魅力たっぷりの茶碗で、
薄茶を嬉しそうに飲んでいる3人の姿が脳裏に焼き付いています。

3人の中に地震の後、福島県相馬から避難してきた女の子がいました。
「大変なこともあるけれど、ここに来たから新しい友達にも出会えたし、良いこともいっぱいあって・・・」
若者は自らの今を受け入れ、折々の出会いを大切にして生きていました。
それは「花一輪に飼い馴らされて・・・」という言葉そのものでした。

雪の中の茶事は、70歳と17歳、人と草花、一期一会の、命と命を通わせる営みとなりました。


☆ エピローグ
最後に、半澤さんの次のような語りで「女ひとり 70歳の茶事行脚」は終わります。
「命に限りがあること、その切なさがあって、人がいたわりあって、やさしさを忘れていたのが自然とやさしくなって・・・
そんな中から生まれて来たのが茶事の世界かなぁ~と、改めて実感した旅だったように思います」

千葉県東金市の自宅の茶室、
古代紫色の小紋の着物、白地の帯、紅い帛紗を付けた半澤さんが独座観念してました。
あの滲みのある侘びた茶碗でシャカシャカとリズミカルに薄茶を点て、静かに独服する半澤さんの映像で番組は終わりました。
鶯も無事の帰宅を喜んでいるようでした。  ホーホケキョ・・・

                      
                                ほころびた梅一輪

☆ 独座観念と独座独服


独座観念・・・井伊直弼の「茶湯一会集」より
(・・・前略、茶会の後)
炉前に独座して、今暫く御咄も有るべきに、もはや何方まで参らるべき哉、
今日、一期一会済みて、ふたたびかえらざる事を観念し、或いは独服をもいたす事、この一会極意の習いなり、
この時寂莫として、打語らうものとては、釜一口のみにして、外に物なし、
誠に自得せざればいたりがたき境界なり


独座独服
毎回心を洗うような茶事をしてくださる茶友Kさんが何気なく言った言葉が思い出されました。
「出来るときに出来ることを・・・と思い、今はお客さまに来て頂いて茶事をやらせてもらっているけれど、最後に行き着くところは独座独服・・・と思っているの」
まだお若い(注・・暁庵より)Kさんから茶人の覚悟のようなものを伺って、
その時は驚きましたが、今は少しはその心境に近づいた気がしています。

「女ひとり 70歳の茶事行脚」をやり遂げられた半澤鶴子さんの独座観念、清々しくも眩しくもあり、心から拍手を送ります。
いつか半澤鶴子さんの茶事でお会いするご縁がありますように念じております・・・・  (おわり)

                              「ふっ~」  やっとが終わりました


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