暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

スウェーデンからのお茶だより・・・瑞暉亭の今昔-2

2016年09月05日 | スウエーデンの茶友から
                       
                       
                           緑に囲まれた、今の瑞暉亭(ずいきてい)
昔の瑞暉亭(つづき)

2.藤原銀次郎(王子製紙社長、茶名・藤原暁雲、1869-1960)の寄贈

イーダ・トロツィグ(Ida Trotzig)の熱意はついに民族博物館館長であるG.リンドブロム博士を動かし、博士は駐スェーデン日本公使を通して国際連盟日本支部に茶室の寄贈を正式に要請しました。
それを知った日本瑞典(スェーデン)協会副会長で王子製紙社長の藤原銀次郎は寄付の会を作るなど、茶室寄贈のために動き出したのです。

                       
                        瑞暉亭の寄贈者、藤原銀次郎氏

実現までいろいろあったようですが、「スェーデンに日本文化、特に本格的に茶道を伝えたい」というイーダ・トロツィグの熱意は、そのまま茶人でもある藤原銀次郎(茶名・藤原暁雲)の想いとなっていったことが推察されます。
藤原銀次郎は本物の日本の茶室環境を伝えることにこだわりを持って、素晴らしい茶室一式を寄贈したのです。
(藤原銀次郎氏個人の寄贈かどうかは意見が分かれるところですが、中心になって計画を進めていったのは確かだと思います)

1935年3月、数寄屋大工・浮賀谷徳次郎の設計施工により、ストックホルムに建設するのと寸分違わぬ茶室の仮組立が東京・三田の慶応大学敷地内で行われました。
3月20日に日本瑞典協会総裁であった秩父宮殿下並びに妃殿下が茶室を御観覧され、
秩父宮殿下(1902-1953)によって「瑞暉亭(ずいきてい)」と命名されました。

                     
                      瑞暉亭の命名者・・・秩父宮殿下
                          
                  
                         今の瑞暉亭内部

1935年4月、数寄屋大工・浮賀谷徳次郎と助手・谷口國男はスェーデンの貨物船M.S.Shantung號でスェーデンへ船出しました。
分解された茶室はもちろんのこと、露地や植栽、手水鉢、腰掛などの茶庭の一式、そして茶道具や調度品まで船積みされて・・・。

無事ゴテブルグ(イェーテポリ)に到着し、荷をストックホルムへ運び、スェーデン人の大工・ミィルソンとオーセーの二人を助手として直ちに茶室の建築にかかります。
日本の数寄屋大工の棟梁とスェーデンの大工、文化の違いや手法の違いもあり、最初こそ行き違いもあったようですが、浮賀谷徳次郎(当時63歳)の真面目で熱心な仕事ぶりや、数寄屋建築の技術に感服し、やがて互いに強く心を通わせるようになりました。
日本と瑞典の大工が協力して働いている茶室建設中の写真が文献に残されており、興味深く拝見しました・・・。

                  
                       憧れの美しき水の都・ストックホルム

                  
                  瑞典(スェーデン)の国旗
                 
茶室落成式には瑞典(スェーデン)皇太子殿下のご臨席を賜ったそうです。
イーダ・トロツィグや藤原銀次郎はもちろんのこと、日本と瑞典の関係者の喜びはいかばかりかと・・・。    

1935年(昭和10年)に建設された瑞暉亭は1969年(昭和44年)10月に焼失。
焼失までの34年間、人々の想いが詰まった茶室でどんな茶会や茶の稽古がされたのでしょうか?
昔の瑞暉亭の記録や写真が残っていたら是非教えてください。

次回は少し時間を頂いて、今の瑞暉亭についてご紹介できたら・・・と思います。


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