暁庵の茶事クロスロード

新たなご縁、主客の織り成すドラマ、茶事の持つ無限の可能性に魅了されて茶事を楽しんでいます

横浜開港150周年を祝う茶事を終えて

2009年09月23日 | 横浜開港150周年を祝う茶事
最後の「横浜開港150周年を祝う茶事」を終えました。
6月に2回、7月に1回、そして今回の9月20日の計4回、
私としては珍しくロングランの茶事でした。

今回のお客さまは翆晶庵・横山和子さんのお客さまで、
亭主の私は初対面の方がほとんどです。
大事なお客さまに失礼なく楽しく過ごしていただきたいと、
半東のHさんと少し緊張しました。

無事黒船に乗船し、横山さんの美味しい懐石料理を
フォスターの名曲を聞きながら
ワインとともに味わって頂きました。
「私たち、とってもシアワセねぇ〜」
「まるでアメリカにいるみたい・・」
という声が聞こえて一先ず安堵しました。

           

初炭を終え、主菓子の栗入りプディング「黎明」をお出しすると、
今日の主役、生粋のハマッコ・横山和子の登場です。

集められた資料を片手に当時の船上料理やアレンジした
懐石料理、そして横浜開港への想いをお話しています。
横山さんの登場を待ちに待っていたお客さまなので、
質問や応答がにぎやかで、横山さんもとても嬉しそうでした。

火相、湯相も決まり、後座では松風が
薄暗い船室で心地よく聞こえていました。
蝋燭の火の元での濃茶点前は、主客ともに集中し
大好きな時間です。

お気に入りの井戸茶碗で濃茶を練りました。
「大変美味しくいただいています」
亭主はほっとして客付きにまわり、
「先ほどはデッキで懐石を召し上がっていただきましたが、
 午後になって風が出てまいりましたので、
 船室の方へお移りいただきました」
と、部屋が暗く蝋燭の灯火の訳をお話しました。

茶銘、菓子、花、茶碗、開港にまつわる話などを
正客や連客と交わします。
このへんになると、正客だけではなく皆さまから
いろいろお話がでて座がくつろいで楽しくなります。
濃茶が出たあとなので、私はいつも大歓迎で嬉しいです。

薄茶も和やかに終わり、いよいよ最後のご挨拶です。
四回に渡る「横浜開港150周年を祝う茶事」が
これにて終了と思うと・・・感無量でした。

お客さま、半東さんのKさん、K君、Hさん、
水屋のNさん、そして横山さん、
皆さまとの一座建立の一会一会でした。
この場をお借りして、心より御礼申しあげます。
ありがとうございました!!

感激の余り、またお茶事をしたくなりました。
困った病気?です。

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   写真は、足立泰堂老師筆の「水上青々翆」と、
        海老真蒸の煮物碗です。

   

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ペリー公園とぺりー記念館

2009年07月04日 | 横浜開港150周年を祝う茶事
横浜開港を祝う茶事最中のある日、思い立って
ペリー上陸を記念するペリー公園とペリー記念館へ出かけました。
下調べをしないで飛び出してしまったので
なかなかペリー公園へ辿り着けません。

浦賀警察署へ飛び込み、場所を教えていただくと、
浦賀と思い込んでいたペリー公園は久里浜湾に面していました。
開港150周年のせいか、公園を訪れる人は意外と多く、
横須賀の米軍基地が近いため、アメリカ人もちらほら。

白く大きな2つの錨が海軍提督伯理(ペリー)の巨大な
モニュメントに今も輝きを添えています。
碑文
「北米合衆国水師提督伯理上陸紀(記)念碑」

伊藤博文の書ですが、一字間違えたままです。
時の権力者に誰も注意できなかったのかしら?

1852年11月24日ノーフォークを出帆してからマディラ諸島、
セントヘレナ島、喜望峰、モーリシャス島、セイロン島、シンガポール、
香港、上海、琉球に寄港して、1853年7月8日浦賀沖に至る航路が
レリーフとなって伯理の碑の下にありました。
交渉の末、1853年7月14日に伯理一行はここ久里浜へ上陸し、
浦賀奉行・戸田氏家に大統領からの親書を手渡しています。

ペリー記念館(写真)は白い二階建てのかわいらしい建物で、
風見鶏の船と錨が風を受けながら輝いていました。
浦賀村の人々が食料や水の補給に協力したお礼に、
伯理一行が置いていったというダッチオーブン(シチュー鍋)
を探しましたが、記念館に見当たりません。

         


ダッチオーブンは横須賀市自然・人文博物館(写真提供)に
展示されていることがわかりました。
ダッチオーブンで煮込んだカレー料理がこの地に伝えられ、
海軍さんのカレーとして横須賀名物になっています。

その日の昼食は、店名に惹かれてペリー公園隣の「黒船食堂」で
魚料理の定食を食べました。 シアワセ!

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「花の橘屋」 十五世市村羽左衛門

2009年07月03日 | 横浜開港150周年を祝う茶事
井上良斎が茶碗を製作して偲んだ
十五世市村羽左衛門は大正から戦前にかけての
歌舞伎を代表する役者さんです。
辺りを払うような美貌から「花の橘屋」と呼ばれました。

「お祭り左七」舞台写真の羽左衛門さんは、
目が大きく、すっきりと彫りの深い顔立ちで、
「たちばなや〜!」
と声を掛けたいほどイナセです。

1874年(明治7年)11月5日の生まれ。
出生は複雑で、アメリカの軍人と旧福井藩主の娘(庶子)との間に
生まれた私生児という説が有力で、四歳で十四世市村羽左衛門
の養子になっています。
1900年(明治33年)10月に十五世市村羽左衛門を襲名しました。

アメリカでも絶大な人気があったみたいです。
1945年(昭和20年)8月30日、ダグラス・マッカーサーが
厚木飛行場に占領指揮のために降り立った時、同行した
副官フォービアン・パワーズは日本の新聞記者へ開口一番
「羽左衛門さんはどうしていますか?」

時すでに遅く、羽左衛門は終戦間近い1945年(昭和20年)
5月6日に疎開先で亡くなっていました(享年70歳)・・・。

そんな十五世市村羽左衛門を追憶して、井上良斎が
心をこめて製作した「渦」茶碗。 
きっと橘屋の大ファンだったのでしょうね。
歌舞伎大好きの私にとっても「横浜開港150周年を祝う茶事」に
ご縁があってとっても嬉しいです。

茶碗に描かれた渦は
黒船ボーハタン号が浮かんでいる海の渦であり、
開港から現代まで激しく変化していった時代を象徴する
渦のようにも思えてくるのでした・・・。


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写真は1925年(大正14年)7月 東京歌舞伎座『江戸育於祭佐七』(お祭り佐七)。
出典:ウィキペディア(Wikipedia)
                           

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井上良斎の茶碗と窯場

2009年07月02日 | 横浜開港150周年を祝う茶事
「横浜開港150周年を祝う茶事」では横浜にゆかりのある
陶芸家の茶碗でお茶を差し上げたい・・・と思いました。

ご縁があって井上良斎作の茶碗を入手することができました。
共箱に「十五世市村羽左衛門追憶 渦茶碗 
神奈川焼 井上良斎」と書かれていました。

茶碗は白磁に少し色がついた総釉で、形は呉器茶碗に似ています。
高台は高く、外側に開いた撥高台です。
手に取ると、とても薄手で、繊細な作りです。

大きな渦模様が茶溜りにすっきりと描かれていて、
抹茶を飲むにつれて渦の中心に近づいていくようです。

横浜市南区に長く住み、作陶を続けた三代井上良斎の存在を
私が知ったのはつい最近のことです。

初代良斎は江戸末期に尾張瀬戸から江戸へでて、
浅草に窯を築き、隅田焼を名乗りました。

17才で家業を継いだ三代井上良斎は、輸出に便利な
横浜高島町(横浜駅東口構内)へ窯を移しました。
しかし、1923年(大正12年)の関東大震災で被災したため、
新に南区永田東の傾斜地に登り窯を築きました。

近くの南区庚台には横浜真葛焼の宮川香山の窯場もありました。
二人の窯場のある丘陵の下には大岡川が流れていて、
舟運を利用して陶磁器を横浜港まで運ぶことができたのです。

1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲の日、
かつての横浜焼を代表する宮川香山と井上良斎、
二人の運命は明暗を分かちます。
この空襲で宮川香山は家族、従業員とともに焼死し、
井上良斎と登り窯は被災を免れました。

戦後、井上良斎は神奈川焼を名乗って創作陶芸家として活躍し、
横浜文化賞、芸術院賞などを受賞して、芸術院会員にもなりました。
1971年(昭和46年)に82歳で亡くなっています。

登り窯と作業場のある旧宅は今でも健在で、
「永田の登り窯と自然を守る会」(代表・川井さん)によって
大切に保存されています。

登り窯がある傾斜地には清水が湧き出し、小さな池、水路、
畑があり、野の花が咲き乱れていました。
井上良斎が住み、製作に励んでいた頃と
少しも変わっていないのでは・・・
と思うほど、自然豊かな一画です。

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アンティークの香合

2009年07月01日 | 横浜開港150周年を祝う茶事
「横浜開港150周年を祝う茶事」まで1週間に
迫った6月のある日、産貿センター(中区)で行われた
横浜骨董市へ寄ってみました。

骨董市は大好きですが、なかなか機会がありません。
陶器、茶道具、書画、家具、アメリカングッズなど
どのお店も覘いてみたくなり、困りました。
海外からのお客さんも多く、横浜らしい賑わいです。

目指すのは西洋アンティークで、今度の茶事に使う
香合を探しています。
三軒目の出店で古びた小箱に出合いました。

1820年頃にイギリスで作られたもので、
細工しやすい錫製です。
蓋の表に絵が鋳込まれています。
ルーペで覘くと、豚が男の人のズボンをひっぱっていて、
赤ん坊を抱いた婦人や鋤を持った農夫が
その様子を眺めています。
ユーモラスでのどかな農場の風景が気に入りました。

店主の若い女性に尋ねてみました。
「これは何に使ったのかしら?」
「・・・それがわからないんですよ。
 ほらっ!蓋に英語が書かれていますが、
 英字がつぶれていて読めないのです。
 読めると手掛かりになりそうですが・・・。」

その小箱を入手し、香合に見立てました。

「何に使われたものか、わからないのですが・・・」
「これは嗅ぎ煙草入れだと思いますよ。
 以前イギリスへ行った時、ダンヒルの博物館で
 これと似た錫製の嗅ぎ煙草入れを見たことがあります」
とお正客さま。

「嗅ぎ煙草は短い時期にしか使われなかったので
 とても貴重なものですし、海を越えて此処にある
 ご縁といい、今日の開港の茶事にぴったりの香合ですね」

有難いお言葉とともに、思いがけなく小箱の素性がわかり、
嬉しいです。


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                        のち 


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