疲れてきたので今日は最後にしよっかな。
まあ、切れ目なく自己と対象は動き続けていて、それは、認識が働く前に、もう起こってきているというお話であります。
しかも、ここにこうある、慣れ親しんだ我々の活動は完全に未知のなかです。
なぜ、こうあるのか不思議に思うことありませんか?
自然に生まれて、自然に死んでいく。
そこに俺が私がは、元からないんですね。
起こってきて、今は、そういう思うことがあるのは自然にあることですが、それは事実ではないわけです。
なんだか、わかんないけれど、ここにあり、そのここは、なんだかわからないままに流れていく。
みんなそうです。
その生まれて死んでいく活動の中でも、毎日、自然に人間としての生をやっているけれども、風が吹いているのと一緒です。
もしも風に自我があったら苦しむでしょう。
俺は風だ。
この俺はなぜここを吹き抜けるのか!
そうして、そこに意味はあるのかなどなど。
自然が生きている。
自然に生きている。
確かめようもなく、間違いなく、誰もが、差別なく、生かされていて、そこに自己の登場する余地、は、考えの世界だけなのです。
そうして、その考えも、色々やってますが、よーく見てみてください。
考えのほうがやってきているんです!
まあ、もう寒いんで、寝ますね、笑
まあ、切れ目なく自己と対象は動き続けていて、それは、認識が働く前に、もう起こってきているというお話であります。
しかも、ここにこうある、慣れ親しんだ我々の活動は完全に未知のなかです。
なぜ、こうあるのか不思議に思うことありませんか?
自然に生まれて、自然に死んでいく。
そこに俺が私がは、元からないんですね。
起こってきて、今は、そういう思うことがあるのは自然にあることですが、それは事実ではないわけです。
なんだか、わかんないけれど、ここにあり、そのここは、なんだかわからないままに流れていく。
みんなそうです。
その生まれて死んでいく活動の中でも、毎日、自然に人間としての生をやっているけれども、風が吹いているのと一緒です。
もしも風に自我があったら苦しむでしょう。
俺は風だ。
この俺はなぜここを吹き抜けるのか!
そうして、そこに意味はあるのかなどなど。
自然が生きている。
自然に生きている。
確かめようもなく、間違いなく、誰もが、差別なく、生かされていて、そこに自己の登場する余地、は、考えの世界だけなのです。
そうして、その考えも、色々やってますが、よーく見てみてください。
考えのほうがやってきているんです!
まあ、もう寒いんで、寝ますね、笑
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