豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

己の本性なのです

2017-06-08 18:39:28 | 日記
こんばんは。

本日も無事ブログ更新できそうです。

いつもの如く離れでパソコンを借りて書いています。

父親が「うーん!」と唸っている。

時計がハーモニーを奏でているチコチコチコチコ、ドッドッドッ。

音を言葉にすると、その本来性は損なわれる。

窓から射す光は今日は明るく、それを見ると自己の照らされてある姿を感ずる。

体は疲れているが精気の通りは感じる。

静かな中にブーンと言う音も交じっているのだが、これは冷蔵庫の音だろうか。

パソコンに置いている手首が汗でジトッとしている。

額にも同じような汗を感じる。

父親がおならした(笑)

妹の結婚式や姪っ子が友達と映る写真が置かれている。

いきなり鳥がギィーギィーと鳴き、同時にピピピピと違う鳥のような声もする。

喉がイガイガしている。

下腹が微かに重く感じる。

頭の麻痺に注意が向き、バランスの悪さも同時に感じている。


さて、というわけで本日は16時ごろに目覚めました。

洗面と歯磨きをして坐禅を40分行います。

和室に籠って、扉はすべて閉めて、昔教わった下腹の据え方の動作から入る。

坐っていると母親が起こしに来たらしく何度か名前を呼び、襖を開けて、無言でどこかへ消えた(笑)

坐っている最中もずっと思念的な流れが続いているが、そこに、注意を割って入らせていく。

今現在、ここにある、リアルな感覚、五感の開放である。

その五感の味わいを楽しむのが目的ではなく、その味わいが、真の自在へと導くことが目的である。

が、頭脳も心理も、静かにしていくのが、その方法である。

言葉と想念と動作と感覚をすべて止めていく、止めてみる。

その中で現れてくる、それ以前のもの、自然なるもの、対象ではなくもの、そういうものと繋がっていく。


で、座禅を終えると読書ですね。

煙草を吸いながらコーヒーです。

マイルドセブンのエクストラライトとAGFのインスタントコーヒー。

読むのは『ベルゼバブの孫への話』

今回はアシアタシーマッシュの聖なる仕事がすべて破壊されていく流れです。

ある両親の『かわいこちゃん』レントロハムサニンは「自由」を叫んで、統治を破壊する扇動を行います。

それに敏感に反応する『新型の知識人』

この知識人というのが、いつも、破壊の原因へと人を導いていくようです。

そして、その知識人が、お金と権威が原因となる信頼性によって、得た、その独創的アイデアを広める。

遂に派が形成され、守旧と革新の相互の憎悪が高まり。

得意の、自分と同類の者の頭を叩き割り、殺害しようという、どうしようもない衝動から、相互破壊が始まり、同時に、すべての善きものを一掃するのであった。


で、読書を終えてから、母親の家で食事です。

テレビで虐待を受けた子供たちの自立支援の特集をしていた。

食べたのは、ハンバーグとコロッケとサラダ、味噌汁、ご飯でした。

父親が「ズボン穿かないと寒いぞ」と言っていた。

母親はスーパーで、まったく商品とまったく違う金額を取られていたことに憤慨していた。


それからブログ更新ですね。


さて宗教の話題ですが、今日も短くいきます。

見たなら、見られたものだけがある。

聞いたなら、聞かれたものだけがある。

これが悟りの様子です。

そこの間に自己が挟まっているのが分離です。

じつは、この自己と、その見る聞くは同じなのです。

その透明の中にすべてがあるときに、透明は認知できないがために消える。

すると『コレしかない』というあの地平に達するのです。

そこには悟りはありません。

その行っていく、その生きていく、その無常、千変の日常、その、時々の在り様が、あるだけなのです。

つまり特別性はまったくありません。

にもかかわらず、ここで迷いが晴れているのは自己を見たからなのです。

その自己を見る事が、宗教の目的です。

それは何よりも近くにあるものなのです。

なにしろ己の本性なのですから(笑)


ほいでわ、またねー!