まろりんこの気まぐれ日記

趣味のダイビングやワンコ、好きなこと、日々のことを超~気まぐれに綴ります♪
最近は寺社仏閣巡り(ご朱印)話が多いです☆

とりだんご♪

2015-07-31 16:31:57 | 日記
今日の天気は時々
大阪の気温、36℃行ったって~暑ぅ


つい先日のこと。
お店でとっても可愛いのを見つけた

まんまるの手乗りサイズのぬいぐるみ
とりだんご

インコちゃんやフクロウなど並んでる中から
わぁコレ可愛いと思わず買うてしまった



夜、仕事から帰ってきたダンナに
「このペンギン、めちゃ可愛いやろ~?」
と言うたら、

「それ、ペンギンじゃなくて文鳥ちゃうん?」

…えっ 


タグ見たら、「サクラブンチョウ」って書いてあった(笑)


…確かに、何でペンギンやのに
くちばしがピンク色なんやろ~?とは思ってた(笑)

とりだんごHP

手に乗せ心地はふわふわのお手玉みたい。
めちゃ可愛い~



静岡~横浜~東京~山梨旅行2015☆最終話 富士吉田編その3

2015-07-30 17:14:51 | 旅行
今日の天気は時々一時
一時かなり強烈な雨が降った


この旅行記、ようやく今回が最終話となりました~
全部読んで下さった皆様、ほんと有り難うございます
いや~、過去イチ長~い旅行記になったね。
改めて、ほんまいろんな所を訪れたんやなぁ~と感慨深いです

では昨日の続き

続いて訪れたのは、河口湖畔に鎮座する

冨士御室浅間神社


本宮 
富士山最古の社といわれています。
文武天皇の御世(699年)、藤原義忠が霊山冨士二合目へ奉斉したのが始まりと伝えられています。
現在冨士二合目には奥宮があるそうです。


こちらは里宮
天徳2年(958年)、氏子の祭祀の利便のため
村上天皇により河口湖の南岸にあるこの地に里宮が創建されたそうです。

ご祭神はもちろん木花開耶姫命
戦国時代には甲斐武田家三代に渡り崇敬され

祈願所のひとつやったんやて

ここ冨士御室浅間神社でも毎年4月29日に流鏑馬が行われているそうで

これはその的を模った塔なのかな~?


牛さん


本宮のご朱印を頂きました 富士山の印が嬉しい

河口湖畔からちょこっと入っただけやのに
木々が茂りとても静かな神社でした。

マンホールが可愛いリス柄 ピッタリやなぁ


時間はもう17時前。
冨士御室浅間神社前のバス停で、
参拝前にも居たタイから来た女の子2人組が
まだバスを待ってた。
なんか、バス来る気配が無いんやけど…?
困ってるんちゃうかな?と思ってたらやっぱり困ってた。
「17時20何分の電車で東京に行かなあかんのにバスが来ないの
それは大変やんっ
車で河口湖駅まで送ってあげました
間に合って良かった~
日本での良い思い出をい~っぱい持ってタイに帰ってもらえてたら嬉しいな


その後河口湖畔へ行き

FujiyamaCoookieを購入
可愛いでしょ~ 味もいろいろあって美味しかった
もう、富士山大好き


楽しかった今回の旅行
名残惜しいけど、大阪へ帰る時になりました…。
いろんな思い出や出会った人々を思い返しながら車を走らせていると

何あの建物??

気になるから寄ってみた。

ら、「ほうとう屋さん」やってビックリ

ほうとう不動 東恋路店


店内の空間がめちゃ広い 音が響いて面白い
このへんな形の建物は、富士山に掛かる雲をイメージしたんやて
なるほどなぁ~。


鍋敷きも可愛い お店のロゴマークになってます。
富士山と河口湖なんかな?


1人前ずつデカい鉄鍋で出て来るほうとうは
お野菜てんこ盛りでめちゃ美味しかった~
お土産にここのほうとうを買うて帰って家で作ったけど、
近所のスーパーで売ってるのと全然味がちゃうくて
めちゃ美味しかったわ~

最後にまた一つ思い出が出来ました
さぁ、大阪へ向けて出発や~


静岡~横浜~東京~山梨旅行2015
これにて終了~

…何話書いたやろ



静岡~横浜~東京~山梨旅行2015☆富士吉田編その2

2015-07-29 17:53:24 | 旅行
時々
久々の夕立やめっちゃ蒸し暑い


では昨日の続き

続いて訪れたのは、下吉田駅の近くにある

冨士山下宮 小室浅間神社
次の日に開催されるお祭りの準備をしてはるところをお邪魔しました。

桓武天皇の御代のこと。
征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の折、
この地より富士山を拝し戦勝祈願をしました。
数年後、戦勝の神恩に感謝し
社殿を造営したのが始まりだそうです

こちらの神社には

お馬さんが居るねん
この神社では毎年秋に流鏑馬祭りが開催されるそうで
そのお馬さんやねんて
カッコエエやろな~

参道には

こんなハート形のコブ(?)のある桜の木があるよ~
探してみてね


そして、境内の御神木桂の木の根元に
なんと大塔宮護良親王の御首級が密かに埋葬されてる
という古文書があるらしい
…つい先程知ったので、どこにその御神木があったのかは…???
護良親王とは後醍醐天皇の皇子で、
鎌倉幕府討幕に尽力し征夷大将軍になったけど
その後足利尊氏やお父ちゃんと対立し、
鎌倉の東光寺(現在の鎌倉宮の地)の土牢に閉じ込められ殺害された皇子です…。
鎌倉宮のお話はコチラを見てね2012年3月8日のブログ


頂いたご朱印です
御祭神はもちろん木花開耶姫命
やから桜桜の印が可愛い~
こちらの御朱印帳もめっちゃ素敵やねん
木花開耶姫命と富士山と桜やの
今度伺った時は是非頂きたいなぁ


続いて訪れたのは
小室浅間神社からちょうど真北の方にある
新倉冨士浅間神社

705年にこの辺りの氏神様としてお祀りするために創建された新倉冨士浅間神社。
807年に起こった富士山の大噴火の時には
時の天皇平城天皇が勅使を送り
この地で国土安泰富士山鎮火祭が執り行われたそうです。
戦国時代には信玄公の父・信虎公が北条氏との戦いの折
この地(新倉山)に陣を張り戦勝祈願して勝はったんやて

ここ新倉冨士浅間神社といえば
新倉山浅間公園にある忠霊塔からの

この写真が有名ですよね~(頂いたチラシより)

忠霊塔の裏山に登り、撮ってみたで~

…富士山がちょっと残念やったけど


まだ里桜が咲いてたよ~ てっぺん見えん富士山と

富士山から東の方に

こんな不思議な雲が見えたので撮ってみた 変わった雲や~


頂いたご朱印です
「富士山眺望日本一」の文字が嬉しい


次回、ようやく、よ~うやくこの旅行記の最終回です(笑)
続く



静岡~横浜~東京~山梨旅行2015☆富士吉田編その1

2015-07-28 18:27:23 | 旅行
今日の天気は時々
毎日暑うおますなぁ~
バテるわ

では前回の続き

美味しいほうとうを堪能した後は
4カ所の『浅間神社』を訪れます

まず向かったのは、山中湖から河口湖へ向かう途中にある
北口本宮冨士浅間神社

景行天皇40年(西暦110年)のこと。
日本武尊(ヤマトタケル)が東征の折、ここ大塚丘に立ち寄り富士山を仰ぎ
「北方に美しく広がる裾野をもつ富士はこの地より拝すべし」と言いはったそうな。
よって大鳥居が建てられ、浅間大神と日本武尊をお祀りし創建となったそうです。
その後、富士山の噴火を鎮める為
延暦7年(788年)に社殿が建てられました。
武田信玄公も造営しはったそうです

古くは富士山の様な高い山、美しい山は
人が入ることは禁忌で
富士山もこの地から遥かに拝み祭祀を行っていました。
平安時代になり山岳信仰が普及したことにより登拝が盛んになり、
人々は山頂を目指すようになったのです
ここ北口本宮冨士浅間神社は
吉田口登山ルートの起点になってるんやて~。


冨士山大鳥居
日本の木造の鳥居の中で最大級の大きさなんやて~
60年に一度建て替えられるそうです
昨年やったみたいよ~。


随神門

随神門をくぐると、左側に

とても立派な手水舎があります。


御神木冨士太郎杉  樹齢千年以上なんだとか


根本がもうなんか、凄いねぇ~


逆サイドには、こちらも御神木冨士夫婦檜  同じく樹齢千年


拝殿
御祭神は、木花開耶姫命 彦火瓊々杵命(旦那さん)、大山祇命(お父上)。


彫りが素晴らしい
富士講のひとり、村上講の村上光清は莫大な資金をかけて
江戸時代の享保18年から元文3年(1733~1738)まで6年の歳月をかけ
境内社殿の大造営を行いました。
現在の社殿はその当時から大きな被害は受けていないそうです。荘厳~


頂いたご朱印です

そして、とても素敵やったので

絵馬も頂きました。
赤富士がめっちゃカッコええ

たくさんの大きな木に囲まれた北口本宮冨士浅間神社は
とても厳かな雰囲気でした


次回へ続く



静岡~横浜~東京~山梨旅行2015☆山中湖編

2015-07-24 17:16:33 | 旅行
今日の天気は

今回の旅行記…過去イチの長さや

では昨日の続き
…の前に、
甲府行って思ってんけど、
甲府をはじめ山梨には武田家や信玄公ゆかりの寺社などがほんといっぱいあって、
さらに驚いたのが、一般の方のお家(多分)の瓦などにも
武田の家紋が入っていたり。
ほんと、至る所で武田菱や武田関連の物を目にして
こんな地元に愛されている戦国武将は他にないな~、
山梨の方の武田愛をもの凄く感じました
やっぱり信玄公はスーパースターや

甲府をあとにし、次に向かうは本栖湖
この時期一面に咲いてる芝桜を観に行こうと思っててんけど、
精進湖の手前で大渋滞
そうやった…、関東から離れて大分経つからすっかり忘れとった
GWの富士五湖ってめちゃ混むんやった…
特に本栖湖方面は車が動かん状態
おまけに雨まで降ってくるし
本栖湖は諦めました

で、お目当てのお昼ご飯にも時間がヤバそうになって
急いで裏道を駆使してなんとか到着~

山中湖にある幸房ほうとう

以前ここには『芦花(ろか)』というほうとう屋さん(居酒屋?)があって、
埼玉に住んでいた時に何度か来たことがあります。
ここのほうとうがめっちゃくちゃ好きやってん
ところが…、残念なことに火事で全焼してしまい閉店されたそう
あの味にもう会えないのかな…と残念に思ってたら、
何と以前芦花で働いていた方が
跡地に新しくこのお店をオープンされました~
芦花のあのほうとうを引き継いではるという噂を聞きつけ
これは絶対に伺わなければ~と来たわけさ~

お味は…懐かしい、大好きな味
お野菜たっぷり~。
お味噌お味噌してなくてあっさり頂けるこのほうとうは
やっぱり一番好きや~


馬刺しも頂きました

懐かしい味を堪能しました。ご馳走様でした~
山梨に来たらまた絶対寄る

精進湖辺りは雨やったけど
山中湖は晴れ

でも富士山は裾野しか見えん…残念

さぁ、大阪に帰るまでに
まだ行きたい所は沢山あるで~
続く



静岡~横浜~東京~山梨旅行2015☆甲府編その4

2015-07-23 15:54:18 | 旅行
今日の天気は一時
ほんまよう降る…

まろりんこの大好きなL'Arc~en~Ciel
9月に大阪・舞洲であるライブ
ファンクラブ先行で2日目のチケットは取れてんけど、
一般先行で1日目も取れた~
これで2日とも参戦できる~
行く皆さん、楽しもなぁ


では昨日の続き

この日の晩ご飯は、JR甲府駅そばにある

寛酔(かんすい)


甲州地鶏のお店で、
お通しの美味しい鶏スープから始まり、
地鶏のいろんな串焼きや唐揚げ、つくねなどなど
空腹にまかせてあれやこれやとよ~さん頂きました
味が濃厚でぷりっぷりの甲州地鶏、めっちゃ美味しかった~
ご馳走様でした


旅行6日目、最終日。
この日まず訪れたのは

甲斐善光寺


立派な朱塗りの山門

甲斐善光寺は武田信玄公が開基です。
川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れた信玄公が永禄元年(1558)、
御本尊善光寺如来をはじめ、諸仏寺宝類をこちらへ奉遷したのが始まりです。
その後、武田氏滅亡により
御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々としたけど
約40年後、豊臣秀吉により善光寺に戻されたそうです。
信玄公のライバル、上杉謙信との5回にわたる川中島の合戦は
御本尊善光寺如来像の争奪戦だったともいわれてるんやて~
現在の金堂・山門は、寛政八年(1796)に再建されたものです。


金堂
ちょうど、7年に一回の御開帳の時に参拝できました
木の柱(回向柱)は御本尊善光寺如来像と結ばれているので
参拝者が回向柱に触れると
御本尊に直接触れるのと同じ功徳が得られるといわれています

金堂はやはり信州善光寺と形が似てるね~。
撞木造(しゅもくづくり)とよばれる形式なんだそうな。


では金堂の中へ

金堂中陣の天井には日本一の鳴き龍
床に描かれた足あとマークの上に立ち柏手を打つと
「ビィィィィ~ン」となんとも響く音が。
あと、お戒壇巡りも出来ますよ~。
真っ暗な中を壁をつたって進んで行くんやけど、
手より体や顔を先に出して行くと
ダンナみたいにケガするよ(笑)


頂いたご朱印です。
「御開帳記念」の印が嬉しい~


甲府で自分用に

印伝の長財布を購入
印伝は甲州に400年以上も伝わる革工芸で、
鹿皮に漆で模様をつけたものです。
いろんな柄があってめちゃ迷ってんけど、
今回の旅の記念に葡萄柄にしました。めちゃエエ感じでしょ


続いて、最終訪問地である富士五湖へ向かいます
これが…大変やった
次回へ続く



静岡~横浜~東京~山梨旅行2015☆甲府編その3

2015-07-22 15:54:57 | 旅行
今日の天気は一時

一昨日の晩、ビックリすることがあった
我が家のフエルトプランター菜園のお茄子に
ジョウロで水を撒いてたら、
お茄子の枝の上の方から
黄色く光る物がポトリと落ちるのが見えた。
「???」
つるむらさきの葉っぱに止まったその光は
何と…



どっから来たん
ウチのすぐそばには蛍が住むような環境…無いで

逃げんようにそ~っと、記念に動画を撮りました 
小さ~い光しか撮れんかったけど


今年は近所の蛍ポイントで数匹しか観れんかったから
思いがけずウチで観れてめちゃ嬉しかったよ~
それにしても、何蛍かな?


では前回の続きです

昇仙峡から、再び甲府市街へ

次に訪れたのは

武田神社
大正8年(1919)創建の、武田信玄公をお祀りする神社です。


信虎・信玄・勝頼の武田家三代が居住した躑躅ヶ崎館の跡地に建てられました。


めちゃ胸板の凄い狛犬…強そう


拝殿

拝殿の両側に

「武田菱」と「風林火山」の大盃が


手水も「武田菱」


灯籠にも「武田菱」 カッコええ~


幟ももちろん「孫子の旗」
石垣がまたカッコええ~


看板に、信玄公の家臣の邸がどこにあったかが載っています。
もう、あの人この人、うわぁ状態です(笑)


甲陽武能殿には、子供の日の兜飾りが。
名前は、甲斐武田氏の軍学書「甲陽軍艦」より引用されています。
「甲陽」は甲斐の国の輝く様を表しているのだそう。


富士山が見える~ 信玄公も眺めてはったんやなぁ~。


頂いたご朱印です
軍配団扇に風林火山の文字が。

宝物殿もあるので、武田氏をたっぷり堪能できますよ~



続いて訪れたのは、武田神社のほど近くにある

武田信玄火葬塚
天正元年(1573)、織田信長との合戦の直前に病死した信玄公。
信玄公の遺言により3年間秘喪され、
その後この地で荼毘に付され、
塩山・恵林寺に埋葬されました。


奥にある武田信玄公御墓所


ほんとねぇ…、もし信玄公があと何年か生きてはったら
歴史は物凄くめちゃくちゃ大きく変わってたと思うんよねぇ。
戦国武将の中でも、ずば抜けたスーパースターやと思うわ

この辺りには、他にも
信玄公や正室三条夫人、勝頼公ゆかりの寺院があります。
時間の都合で行けんかったけど
興味のある方は是非訪れてみてね

次回へ続く



静岡~横浜~東京~山梨旅行2015☆甲府編その2

2015-07-17 14:45:45 | 旅行
今日の天気は

朝方は台風の物凄い風の音で何度か目が覚めたよ。
もう今はほぼ雨だけが残ってる大阪です。
よう降るわ
皆さんもくれぐれも気をつけてね。


では昨日の続き

昇仙峡からさらに山奥へ


甲府の街が見える~

次に訪れたのは

金櫻神社
昇仙峡を登りつめた地にある金峰山を御神体とした神社です。
第十代崇神天皇の御代(約2,000年前)、
各地で疫病が流行した折に諸国に神を祀って
悪疫退散と万民息災の祈願をしはりました。
ここ甲斐の国では金峰山山頂に
御祭神である少彦名命を祀ったのが起源だそうです
なので、山頂に奥宮があり
こちらは里宮だそうです。


復元された、左甚五郎作といわれる昇・降竜
どちらの龍も水晶を持ってます。
ここ金櫻神社の御神宝は、この地で発掘された「水晶」。
水晶は山梨県の名産品やもんね

甚五郎モノはいくつか見てるけど、
やっぱり凄いな~
ほんま、今にも動き出しそうやん
実際、動いてどうのっていうエピソードも各地に残ってるもんなぁ。


本殿の横にはとても大きな

御神木の鬱金桜があります。


ちょうど咲いてました~ 綺麗や~
大阪ではもう見納めた桜を思いがけず見れるとは。めちゃ嬉しい~
この桜は古くから民謡で「金の成る木の金櫻」と唄われてるんやて。
なので金運にご利益があるんやて


頂いたご朱印です


昇仙峡方面へ少し下った所にある

夫婦木(みょうとぎ)神社
こちらには、何とも変わった御神木があるのです。
周囲10m程ある大きな御神木は
中が空洞になっていてまるで女性の象徴のよう。
で、その中にはまるで男性の象徴のようなものが。
これが天然のものやから、なお凄いし驚き
武田信玄公以来この御神木は祈願すれば必ず成就するといわれ、
和合・生産・繁栄・結びの神として崇められて来たそうです
甲府市観光協会のHPに写真が載ってるけど、
機会があれば是非見に行ってみて下さい。
何とも不可思議でほんま驚くから


頂いたご朱印です


次回は信玄公を祀る神社へ行きますよ~
続く

…こうやって見ると、ほんまようさんの見所を廻ったんやな~。
旅行記がなかなか終わらん(笑)
過去イチ長いかも~?
まだまだ終わらんからね



静岡~横浜~東京~山梨旅行2015☆甲府編その1

2015-07-16 16:19:18 | 旅行
今日の天気はのち

台風が近付いてます
雨はまだやけど物凄い強風
せっかく育てたお茄子が強風で吹っ飛ばされたらかなんので
今朝ちょっと小さめのヤツも収穫。

つるむらさきは今晩炒め物に。
お茄子は焼き茄子にしようかな?
台風で今日明日と籠城を決め込んでるまろりんこです


では昨日の続きです

恵林寺をあとにし、甲府へ

甲府に行ったら絶対会いたかったこの方

武田信玄公

…思わず思ってしまった事を、
たまたま隣に居た子連れのママさんがつぶやいて驚いた
「結構ポッチャリやな」
でもカッコイイっす


ちょうどお昼時
信玄公の像の近くにあるお目当てのお店へ。

とんかつ 力 ヒレカツ定食
やわらかくて美味し~い
そして、お目当ての

鳥もつ煮
今や山梨のB級グルメとして有名な鳥もつ煮
このお店の創業者が生み出したんだそうな
初めて食べたけど、こっくりめちゃ美味し~い
で、特に丸いヤツが美味しかったので
女将さんに「この丸いのは何ですか?」って聞いたら
雌鶏が持ってる卵の黄身になる部分やねんて
おかわりしたいくらい美味しかった
ご馳走様でした~
あぁ、思い出したらまた食べたくなったわ



信玄公の後ろ姿に別れを告げて

次に向かったのは昇仙峡

おおっ、昇仙峡といえばこの景色覚円峰
平安時代、覚円という僧侶がこの頂上で修行をしてはったそうな。
私はこんな高いトコ無理や


川の水量が結構あって激しいので、岩が削られて丸みを帯びています。


石門
凄~い 落ちて来そうで怖~い
重なり合ってる岩をよ~く見たら

隙間あるやん 余計怖い


 岩凄い…


仙娥滝
「仙娥」というのは、中国の神話に登場する
月に昇った仙女のことやねんて。
名前にピッタリの美しい滝です~


お天気も良く、新緑が映えてめっちゃ綺麗でした~
紅葉の季節も綺麗やろなぁ~


笑ろた


次回へ続く
ブログ書いてる間に雨降ってきたわ



静岡~横浜~東京~山梨旅行2015☆塩山編

2015-07-15 16:54:31 | 旅行
今日の天気は

暑い昨日はほんま暑かった
日射しももの凄いから
もう梅雨明けでええんとちゃうん…かな?


では前回の続きです

この日朝から向かったのは
『甲斐』のスーパースター武田信玄公の菩提寺恵林寺


四脚門(赤門)
織田信長により全山焼かれた後
徳川家康により再建された門です。


三門


三門に掛かる快川(かいせん)和尚の遺偈。

安禅不必須山水(あんぜん必ずしも山水をもちいず) 
滅却心頭火自涼(心頭滅却すれば火おのずから涼し)


特に下の「心頭滅却すれば~」の部分はとても有名ですね

武田家を滅ぼした織田軍がここ恵林寺に押し寄せ、
ここに匿われていた者達の引き渡しを要求。
ところが、快川和尚は断固拒否。
怒った信長は三門に僧たちを閉じ込め火を放ちます
燃え盛る炎の中、快川和尚がこの遺偈を唱えたといわれています。
もとは中国の杜荀鶴の詩です。

三門をくぐると正面にある開山堂

彫りが凄~い
ここ開山堂には、開山の祖・夢窓国師と中興の祖・末宗和尚
そして先出の快川和尚が祀られています。


ちょっぴり可愛い大きさの三重塔


では大本堂へ向かいましょう


庫裏の手前にある信玄公訓言


庫裏で受付を済ませて中へ。


床青葉ちっく


石庭 白砂が眩しいくらい。


うぐいす張りの長~い廊下を進むと
この先の明王殿に武田不動尊が安置されています。
この武田不動尊は、信玄公が自らを模させたと言われています。
信玄公の等身大やって
コチラにその不動尊の写真が載ってます恵林寺HP
静寂の中、ゆっくりとお参りさせて頂きました

明王殿の裏手に

信玄公墓所があります。
後ろには武田家家臣のお墓があります。
信玄公をお守りしてるんやろね~。

さらに進んで行くと

柳沢吉保公・正室墓所があります。
徳川五代将軍綱吉公の側近で、ここ甲府の藩主やったんやて。
吉保公像も安置されています。


さらに進んで行くとあるのが夢窓国師の庭園

とても素敵なお庭です
渡り廊下の途中にええ具合に腰掛があって、
ここから眺めるお庭が本当に最高に素晴らしいねん…
ず~っと眺めていたい…。
次の予定がなければ、半日でも1日でもず~っと居たいくらいでした



庫裏の鬼瓦に『武田菱』


ここにも『武田菱』 カッコええ



頂いたご朱印です
武田不動尊…めちゃ素晴らしかった



富士山や
何と、富士山のてっぺんが見えたのは
この旅行でこの日だけでした…


この後、すぐ近くにあるはやぶさ温泉で汗を流し
次は甲府へ向かいます
続く