磨呂の写真館 (辰野邦次)

自然の風景と動物・野鳥の日記です

谷瀬の吊り橋

2015年11月07日 07時47分24秒 | 日本の風景

以前に戴いた・・富有柿が凄く美味しいかったので・・何度か電話注文をして買っていましたが天気も良く急に奈良県西吉野へ行って来ました。。。ついでに~時間も有ったので・・何十年振りに谷瀬の吊り橋まで紅葉を見にがてら走りましたが、十津川に入ると台風の被害があちらこちらに残って言います(大規模な山腹崩壊が1080か所で発生)大規模な復興工事が進められて居ました。。。。

         谷瀬の吊り橋・H,27,11,6日撮影

紅葉・・綺麗でした。。。。

 

 

 

 

 

十津川村。。

 

駐車場へ車を停めると・・この場所が・・天誅組の本陣跡でした

明治維新の魁となった「天誅組(てんちゅうぐみ)」にも多くの十津川郷士が参加しました。 十津川郷士の勤皇精神は古くは神武天皇御東征の際、山深い吉野の山中を先導した「やたがらす」が祖先であるといわれています。

 

スリル満天!空中散歩「谷瀬つり橋」・・日本有数の長さを誇る鉄線のつり橋。
上野地と谷瀬を結ぶこの巨大なつり橋は長さ297メートル高さ54メートル。
そびえ立つ深い山々に囲まれ、眼下には清澄な十津川(熊野川)が流れまさに絶景!最高のロケーション。歩くたびにゆらゆらと揺れるつり橋はスリル満点!まるで空中を散歩している気分。十津川村NO.1の観光スポットです。

 

今では十津川村を代表する観光名所になった「谷瀬つり橋」はもともとは生活用のためのつり橋としてかけられたんじゃよ。
今から約60年も前の昭和29年(1954年)戦後の復興期のことじゃ。
谷瀬の人々らは川に丸木橋を架けて行き来しておったんじゃが、洪水のたびに流されとった。
そこで谷瀬集落の人々は1戸当たり20~30万円という、大金をだしあい当時としては思い切った800万円もの大つり橋を村の協力を得て完成させたんじゃのら。
当時の教員の初任給が7800円で米10キロが765円の時代じゃよ。
今のように物が豊かでなかった時代じゃが、
私財を投じた先人はお互いを助け合いとても心は豊かじゃった。

 

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