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祭り

源氏物語絵巻に見られるように、
「葵祭」は相当昔から
多くの見物人を集める祭りだったようです。

その昔、
天皇の未婚の娘の一人が、占いで選ばれて、
伊勢神宮での神儀を取りおこなう斎王となり、
斎宮へ送られました。
都の安泰と天皇家の安泰を祈る使命が課せられています。
何か特別の政変などがない限り、
その姫は帰ってくることができませんでした。

まるで人身御供のような我が身、
逃れようのない運命に、若い娘がどのような覚悟で臨んだのか
権力をゆるぎないものにするための装置の一つだったと思います。

伊勢神宮の北西約10キロ地点に建造された斎宮は、
都の御所に似た立派な御殿だったそうです。
そこで斎王はたくさんのお付きに囲まれた豪奢な暮らしをしていたに違いありませんが、
年に数回伊勢神宮を往復をするだけで、
男性と出合うことは許されません。
生きる上で一番大切な「自由」がないのです。
そのしきたりは、数百年間、平安時代末期まで続いたということです

都から、斎王を送る、その行列は、
とりわけ豪華で印象深いものだったと想像できます。
斎王の運命の物語が、
新たな祭り「葵祭」を作らせたといえるかもしれません。
道中の川で何度も禊を行う様子まで
「葵祭」は模しています。
(葵祭では「およよ」と呼ばれる輿に乗るのは「斎王代」と呼ばれています。)

*写真は12世紀ころに描かれた絵巻物から「葵祭」の様子。

「葵祭」にしても「祇園祭」にしても、
あるいは「ねぶた祭り」や「竿灯まつり」などなど
日本各地にはユニークで面白い祭りがいっぱいあります。
従来の地味な神事を、目を見張るような、
あるいはワクワクドキドキするような祭りに仕立て上げていった人たちは
どんな人たちだったのでしょう。
アイデアマンであり、ディレクターでエンジニアで
デザイナーでミュージシャンでダンサーで
プロデューサーで監督で実行者だったと言えるかもしれません。
最高に楽しいことだったと思います。

いまや各地の祭りも、
継承するので精一杯になっているようですが、
祭りの笛の音や太鼓の音が聞こえてくると、
じっとしていられない人たちが、
日本中にはきっとたくさんいると思います。
私も、もっといろんな祭りを見て歩きたいと思っています。






















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