スピンオフ銭明日編集長

スキューバダイビングを愛する銭明日編集長の日記

青春ノスタルジー

2012年05月22日 | Weblog
東京は大塚駅前に「千葉建夫事務所」とした看板で労務管理を生業にしている幼なじみの友人がいる。
小中学校同級生仲間で東京に出て来た出世頭であり成功者である。

彼は高校時代から一貫してバトミントンスポーツを通じて人生を組み立てて来たようである。
今や“池潮”で脚光を浴びているスポーツであるが、彼も若い頃は全日本レベルの選手であったし今も現役でラケットを握り続けているようである。
何よりもすごいと思うのは、長いこと日本バトミントン協会の理事として日本のリーダーをしていることである。

若い頃は彼のアパートが我々の根城のようなもので、自分も都落ちしてからも時々上京していたが、宿代を浮かせる為には6畳?ひと間のアパートは大変便利で世話になった。
人の迷惑も顧みなくても許される頃である。


      青春時代が夢なんて
        あとからしみじみ思うもの
         青春時代のまん中は
          道に迷っているばかり 


時々会っては、グチや悩みや将来を、夢も交えながら寝ないで語り合った。
朝になればそれぞれの生活の場に戻るのであるが、そんなことが不思議に生きる力となって湧き出てきたものである。
親しい呼び名は“タッテ”であったが、今は簡単に言えなくなったのが年月の長さであろう。

久しぶりに顔を見たくなって、その彼に声を掛けた。
うまく伝播して行ったようで、4月末のある日集合場所の大塚駅前に男5人女5人の10人も集まった。
特に女性に声を掛けたのは昔から心優しい隆夫君で、彼でなければこうは集らなかったのではないかと思う。



自分は分校の小学校からスタートした。
交通手段が無い時代であり、本校からの遠隔地には他にも多くの分校があった。
我々の増沢分校が本校と合流したのは3年生からである。

その分校で席を共にして過ごした、亨君や米子さんも来ていた。
暫しふる里の思い出話に大いに花が咲いた。
亨とは何故か気があって、リョー、キョーと呼び合う仲であった。
彼はスポーツに長けていてどうしても叶わなかった記憶がある、今はそのふる里の家もなくなったとか!



その後、近くで寿司屋をやっている同級生の店に廻って二次会と相なった。
川口市のK金属に電気技師として現在も勤めている宏君が居る。
私が起業して間もない頃、電気分野に弱くて当社に誘った時があった。
彼は会社で後継者を探さないので、生きている限り飯の種に困らないんだとか。



彼の絡み酒は我々仲間内では知らないものは居ない。
どうも今宵もそんな雰囲気になって来たので後ろ髪を惹かれながら場を去った。





5月18日、ふる里江刺のリーダーとして活躍していた、同級生佐藤宗男君の告別式に参列する。
惜しまれての急逝であったが、そういうことがあっても不思議ではない年齢に差し掛かっているのだとつくづく考えさせられる。ご冥福を祈る。   

                “合掌”


<銭明日二世こと菅村経悦>
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熱海の一夜はプライスレス

2012年05月19日 | Weblog
50年近い以前の記憶を手繰り寄せるのは正直難しい年齢になってきた。
以前にも何度かこのブログに登場願ったが、三菱製鋼という一部上場会社の社員であった事がある。
その社会人としてスタートをきった同期の仲間から“熱海に集まれ”と案内が来たのは4月の始めであった。



こんなことをマメにやってくれるのは、南砂町の居酒屋「カメヤ」の店主、山田泰義君である。
当時総務部の中で机を並べた親しかった仲間で、福島商業卒の飾り気がなく気さくな奴である。
同期の中では私がいの一番で辞めたが、彼もそう長くは居なかった筈である。
彼はサラリーマンから料理人の道を目指した毛色の変わった人生を歩んでいる。

修行時代のことは聞いたことはないが、カメヤを構えてからは年に何度か顔を出すようになった。
25年にはなるだろう居酒屋の親父として、南砂町で市民権をしっかり築いているようでいつも常連客に賑わっている。
俄か料理人とは違い、本格的な酒のツマミを手際良く、然も狭いカウンターを挟んだ目の前で、何品も一気に作っている姿に触れれば、何も言わなくとも腕のよさがわかると言うものである。
身体が弱い女性と一度結婚したようだが、若い時に逝去され実家の墓地に眠らせたそうだ。
それから彼に浮いた話は聞いていない、男の操ってやつかな。

先日も店に寄ったが《ここの主人は人が良く、お酒を進められれば、断ることが出来ませんので、進めないで下さい》と貼り紙がしてあった。
そう言えば不整脈があり、心臓のバイパス手術を受けたとか。
職業病的で避けられないことだろうが、独り身なら心配なことだ。
その山田から“菅村が来なければ始まらないから”とくすぐられ、熱海に足を運んだのは4月28日であった。



集まった連中の殆どは途中転職組であるが、その中に同期以外の先輩の手塚仁志さんもいた。
この方も東北は米沢商業出の6年上の先輩で総務の仕事を多く教わった。
そして亀戸や錦糸町の一杯飲み屋で山田達と良く馳走になった。
高度成長前夜の高くはないサラリーだっただろうにと思うと、頭が下がった。



そのあとに寄る総武線平井の駅裏のバー“慕情”の美人ママが今でも脳裏から離れない。
そんな他愛のない思い出話で盛り上がった貴重な熱海の一夜であった。


<銭明日二世こと菅村経悦>
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13日の金曜日 その2

2012年05月16日 | Weblog
アポ島での夜、突然始まった下っ腹の痛みと下痢。
旅の常備薬を飲んだがトイレへの駆け込みを繰り返し、殆ど睡眠できず翌朝を迎えた。
ダイビングには高い体調管理を要求されるのに、この状況ではとても無理と判断し、この日は完全静養となった。


タートル

相棒、守屋氏の方が症状は酷いようであったが、彼は食べた物を全部出し尽くしたようで、夕方迄に体調は落ち着いてきた。
自分はと言えば、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、その後アポ島、パングラオ島、バリカサグ島、セブ島へと移動したが完治にはほど遠い症状のままである。


タートル

以前にも水あたりを経験したが、その際に医者からは毒素のようなものが体内から全て抜けない限り完治には至らないと言われていた。


ミノカサゴ


ウミウシ


クマノミのハウス


ヒトデ?


アポ島のウバウオ


ウミウシ


ウミウシ

4月19日、体調が悪いままセブ国際空港7時50分発の成田行きPR434便の機内で間もなくの帰国フライト待ち。
突然、機内灯が消えると相棒の守屋氏が口走った「嫌な予感がする」と。
間もなく機内から搭乗待合室に移動させられた、どうも右翼周辺に問題が発生したようである。

数時間後、ホテルを用意したのでそちらでランチタイムをと言うことであったので、言われるがままにホテルへ移動しランチとなった。
どうなることやらと思っていたが、間もなく空港へ再度移動させられた。
今度こそ出発かと思っていたなら、またまたホテルへとタライ回しの挙句、午後3時頃欠航と相なる。

その日はディナーも寝酒もまずく、ベットも心地よいものではなかったが物事は考えようで、飛行途中での故障でなくて良かったと思うことにした。

翌日は無事に戻ったがケチの付き始めは、俗に言う“13日の金曜日"であった。
ダイビングを始めて15年、本数も275本、この道楽に卒業の二文字が浮かび上がって見えた?

− 完 −

<銭明日二世こと菅村経悦>
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13日の金曜日 その1

2012年05月15日 | Weblog
年度も新たになって決算対策の見通しもついた4月の始め、恒例になっている道楽ダイビングに出かけた。
行き先は例のごとくセブビサヤ地方、相棒は今回も守屋氏と二人旅となる。


盟友の守屋氏

ところが今回は散々の旅となった。
いつものように通い慣れたネグロス島ドマゲッティに宿をとり、翌朝ネグロス島の子供と言われているアポ島へ出掛けた。
目的地までは、この国のダイビング船の形となっている竹で両サイドのバランスを保つ加工を施したバンカーボートで向かう。


ネグロスの子のアポ島

アポ島まではホテル前のビーチから30〜40分で行く距離である。
ところが中間あたりの海上で後方の水中から突然”バキン”と異音が聞こえてきた。
ダイビングショップのオーナーであり、船主であるグレンの顔色が変わった。


バリカサグ島

間もなくエンジンのスクリューのトラブルを船長から報告された。
今は携帯電話もあり必要以上に慌てることはないようである。
グレンの内心は我々客のことよりも費用のことで頭の中はいっぱいであっただろうと察っせられる。
ほどなく救助の曳航船が現れ事なきを得て、再度港に引き返し別のレジャーボートで出直す羽目になった。


アロナキューの朝

アポ島は私の見た海では間違いなくNo.1のダイビングポイントで珊瑚が特に素晴らしい。
その自然豊かな海で1本目を楽しんだ後は、いつもならばホテルから用意して貰うパックランチを船上で楽しむのである。
然し今回のランチはアポ島の漁民の家に委託してのフィリピンスタイルのランチとなった。
魚介類のバーベキューとキニラオという鮮魚と玉ねぎを香辛料と酢で〆た料理を頂いた。
ランチには満足したが、遅いスタートとなった本日のダイビングは2DIVで切り上げる事になった。


宿泊のホテルでの早朝ウエディングパーティ
ライジングサンを見つめている招待客


フィリピンの国の花は『サンパギータ』(Sampaguita)
低木の枝葉に咲く小さめの白い花びらは上品な2香を放つ清楚にして可憐な花  
中国のジャスミン茶に入っている茉莉花と同じもの


クマノミ


イソギンチャク


ウミウシ


ギンガメアジ


ギンガメアジ

ホテルに戻って夕食までは何ともなかったが、夜半ごろ下っ腹の痛みが始まった...下痢の症状である。

− 続く −

<銭明日二世こと菅村経悦>
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高校時代の仲間と集う

2012年04月03日 | Weblog
私の最終学歴は水沢商業高校である。
私どもの時代の岩手の商業高校は盛岡と水沢くらいであった。

日本が正に先進国の仲間入りに向かうちょっと前で、この高校が築いてきた名のある民間企業からの人材評価はすこぶる高く、就職先に困る事がなかった。
ご多分にもれず殆どの仲間の就職先は県内や東京の一流会社であったし大学に行く必要性もなかった時代であった。
その仲間と年に何度か集う事があるが、今回は福島の小名浜でのゴルフ親睦と相成った。
東日本大震災の事もあったので多少は後ろめたいが、今年初めてのプレーと言う事もあり、楽しい一時を過ごす事が出来た。

今回親睦会の音頭を取ってくれたのは小名浜在住のAである。
彼はサラリーマン人生であったが、無事勤め上げこの地に婿入りし今は悠々自適な人生を送っている。
他の自分を含めた3人は仙台・水沢・盛岡で夫々現役で会社経営をしている高校時代からの長い付き合いの親友である。
奇しくも仲の良い3人が会社経営をしている事も何とも奇遇である。

我々は男女共学で40人ばかりの男と女半々くらいのクラスであった。
この年であるから、今は殆どの仲間はリタイアしていると思うが、未だこうして現役社長業をやっているのも我々位になっている。
団塊世代以前のリタイア組であったので、国家公務員(年金生活者)待遇も多少は良い方の部類ではあろうが、完全リタイアでは贅沢はままならず、こうした多少の贅沢も制限されると言うものである。

こうして気の合う、共通した趣味の仲間と健康で懇親できる時間を持てることの幸せに感謝、感謝の小名浜での一時であった。


<銭明日二世こと菅村経悦>
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年度末雑感

2012年04月01日 | Weblog
今年は例年よりちょっと遅い三寒四温の季節が巡ってきた。

大震災で始まった2011年度も今日で終わろうとしている。
復興関連も含めこの日本には、不安と不満と不信が渦を巻いているような気がする。
開き直りと言い訳、先送りばかりのニュースが目に付くが、春の芽吹きに合わせて明るいニュースの溢れんことを祈るのみである。

“これで良いのか日本”

我が社、マリングループの現状はと言えば、景況感は過去最高に並ぶほどに素晴らしい出来映えである。
決して儲けに走った訳ではないが、結果が儲かったことになる、みんなで努力した賜物と思っている。
お客さん各位はじめ、支えて頂いて居る関係各位には深く感謝申し上げる次第です。

ありがとうございました。

大きく伸びた中には震災関係関連の仕事も多くあったので、この三月には郷土の震災復興へのお手伝い支援も精一杯させて頂いている。
岩手の復興なくして、我々民間企業が生き残れる道は見えて来ないと思っている。


まずは“がんばろう岩手”である。


一方、創業から40年ここ迄育て上げて来たこの会社の、次世代へのバトンタッチが目の前に大きく立ちはだかっている。
次世代リーダーによる、検討会は以前から取り組んでは来たが、仕事の片隅で考えて行けるような甘いものではない。
この気づきに目が覚めたのは、年も明けてからであった。

明日から始まる2012年度からは、そのテスト走行がいよいよ始まる。
全員参加の方針説明会も来週末に控え、今は程良い緊張感と新たな息吹に包まれている。

"高く羽ばたけマリングループ"



<銭明日二世こと菅村経悦>
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ダイキンさんと歩んだ40年

2012年02月22日 | Weblog
先週は「東北ダイキン会50周年」の区切りの会が仙台で盛大に開催され、参列してきた。
懐かしい方々と久し振りで対面し、楽しい一夜を過ごさせて頂いた。
平成11年のマリン通信18号に“ダイキンさん特集”を掲載した際の記事には

「マリングループ本体のみちのく冷熱も創業から31年、法人設立から27年になりました。
(平成24年で創業から44年目、法人化から40年目)
過去を振り向けばその大半は空調機器のトップメーカーである、ダイキン工業さんと共に歩んできた歴史でした。
・昭和53年⇒サービス認定店の許可(平成23年で33年継続)
・昭和56年⇒販売特約店の認定(平成23年で30年継続)
・平成 3年⇒特工店の認定(平成23年で20年継続)
・平成 8年⇒取引25年表彰授賞(平成23年度40年表彰授賞)
特に特工店は、販売、工事、サービスの三面に亘ってのプロ店として認められた会社に与えられる資格です。
現在、東北での認定店は二社(現在は1社、東北・北海道・新潟地区でも4社)だけです。
然も私どもは既に8年間継続中(現在の20年継続は東北・北海道・新潟地区で断トツのトップ)ですので
間違いなく東北ではダイキンさんに対する貢献度はトップであると自負して良いと思います。
起業した時は、こうなるとは夢にも思っていなかったことです。
これからもダイキンさんと良い仲を続けながら共に発展し歩んで行きたいものと祈念する次第です。」(菅村経悦記=社長在任最後の記事)

※初代菅村経悦の社長在任は法人化〜平成11年度迄の27年間、二代目宍戸守社長在任は平成12年度〜現在に至る


<銭明日二世こと菅村経悦>
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インド駆け足の旅

2012年02月03日 | Weblog
1月の銭明日ブログ登場が一度きりであった、何故か最近熱が入らなくなってきている。
自分史の様な、独り言の様な、戯言の様なものと捉えているが
加齢と共に日々の生業に刺激が薄くなって来ていることが影響しているのだろう。
1月ブログも続編を書こうと“つづく”にしておいたが、もうそんなムードでもない厳寒の2月になってしまった。

我が社の創立記念日は2月17日に設定してある。
今年40周年という節目の年にあたるが、その記念イベントとして旅行を企画した。
震災後と言う事で躊躇もあったが、我々にできる県土への応援は会社が元気である姿だと思っている。
元気さを伝播する会社も必要だろう。
そんな次第で先発の一班として1月末にインド(正確には北インド)を駆け足で巡って見た。


世界遺産 クトウプ・ミナール 光塔(デリー市郊外)
ヒンディとイスラムの様式が入り混じった、インド最高の塔


世界遺産 クトゥプ・ミナール(第一班記念写真)
デリー市郊外 イスラム寺院遺跡(1198年頃の作)

人口13億、国土面積は日本の10倍。
南アジアの中心という事からしても、数日の滞在では何ともならない。
世界4大文明発祥の地であり、宗教はヒンドゥ教。
インドカレーが有名なくらいは聞いてはいたが、殆どは知識がない。

エキゾチック、魑魅魍魎、西遊記、サリー、魔法使い、ヨガ、ぞくぞくする美女、今はIT。
そう言えば昔タイガー・ジェット・シンと言う悪役の強いプロレスラーが居たな〜、旧過ぎかな(●^o^●)


霧の中のタージ・マハル廟(アグラ城からの眺望)

成田からインドまで10時間かかる。
盛岡からバスで夜中の0時に発ち、デリーのホテルに着いたのは翌日の20時(時差3時間半)ほぼ一昼夜の片道である。
自分としては20年ほど前に行ったブラジル以来の長旅であった。
この歳ではいささか堪えた。(+o+)

世界の宗教シェアはキリストが33%、イスラムが17%、ヒンドゥが13%、仏教が6%とネットにあった。
然しインドでは70%がヒンドゥだそうである、そして仏教はヒンドゥを祖にした新興宗教であるそうだ。

インドには世界遺産が文化遺産と自然遺産を合わせて27件もあるようだ。
超有名なタージ・マハルを代表に今回4か所廻ったが、タージ・マハルはイスラムのモスク(礼拝堂)であったとは!


世界遺産 タージ・マハル廟(北インド アグラ市)
第五皇帝シャー・シャハーンが亡き愛妃の為に建設した大理石廟(1630年頃の作)


世界遺産 タージ・マハル廟(第一班記念写真)

今回の観光にはヒンドゥ世界遺産はなかったが、デリーのヒンドゥ寺院にも足を踏み入れた。
何とも奇異で明るい神様方が多くいた。
素朴な仏教寺院に慣れ親しんでいる身には正直馴染めない。
極楽浄土とはとても思えない神々のいでたちである。
信者はほぼこの国だけであるそうだから、不思議な宗教である。


世界遺産 フマーユーン廟(デリー市郊外)
ムガル帝国の廟建築の原型を示す(1565年頃の作)


世界遺産 フマーユーン廟(第一班記念写真)
デリー市郊外 イスラム寺院遺跡(1198年頃の作)

この国の近代化へのインフラ整備は始まったばかりのようである。
農村部の風景はと言えば牛や家畜が堂々と道路を横行している。



特に牛は母なるものとして大事にされているし、牛糞を加工したものがこの国では日々の煮炊き燃料であるようだ。
牛糞は身近に手に入るクリーンエネルギー?のバイオマスというところで、13億のエネルギー源にはこの先も必要なものではなかろうかと思った。
農村部はのんびりと時間が流れている感じで、40〜50年前の日本の生活模様を思い出させる。


世界遺産 タージ・マハル廟の巡礼者

反面首都デリーの町はビルが乱立し建築中の建物も多く、人口が1300万人とあった。
喧騒とした車の洪水で高速道路の出口ゲートを見ただけでも20個くらいはあり、交通渋滞が半端じゃない大都会である。

近未来に世界一の人口になるこのインドはリーダー次第ではあろうが
信仰深くて優秀で勤勉な国民が、いずれ降りかかるであろう宗教による争いをうまく調和して
宗教を心のよりどころにした、ゆっくり緩やかな成長を国づくりの基本にして
限りなく高いポテンシャルの魅力ある大国として世界の中心を目指して貰いたいものである。
大いに期待できる。

人懐っこいインド人(特に若い女性)と多種多様なカリーの味が忘れられない。アルビダ!


<銭明日二世こと菅村経悦>
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2012新年にあたり

2012年01月10日 | Weblog
会社のスタッフには新年式で申し上げた事ではあるが!
大震災後の復興の年である2012年年頭にあたり思う事は、この震災で我々には何が出来るだろうかと言う事である。

岩手の企業は法人個人を合わせて相当数の企業が財産を失い社員や家族を失い、休業状態であったり
再建の目途もつかず途方に暮れていたり、最悪は廃業に至ったりしていることと思う。

こんな時に何も影響がない内陸部の我が社としては
失った企業の分も元気な姿で活動することでしか被災企業を支援する道はないのではと思う。

被災企業が立ち直るまで、再起業する迄、減少した企業の分もカバーする勢いをもって経済活動をすることで
郷土岩手を支える事だと思っている、一緒になって意気消沈しているのでは策がない。

私の持論であるが、会社と言うものは“儲ける”のは恣意的利益と言う事でもあり問題であろうが
“儲かる”のには遠慮は要らないと思っている、そこには経営の知恵や努力が入り込むからである。



 
 ◇本年も銭明日ブログを宜しくお願い致します!◇


政治は消費税率アップや厚生年金保険の支給年齢(現状65歳)の先延ばし策であり、パート臨時従業員にも社会保険加入をさせる策である。
いずれも採算が取れなくなった社会福祉政策の付けを、徴収し易い民間企業から巻き上げようとする策である。
ねじれてしまった政局を動かすのは至難であるから、やり易い方からやろうとしている。

自分達のやり方を反省せず改めずの策であり続ける以上、我々も賢くなってその上を行かなければとんでもない被害者になる。
節税対策や内部留保と言った策を駆使して将来の生き残り資金を確保する経営が正に望まれている。

大震災で失った地域社会や県土岩手に活力を入れ、経済ボリュームを多少でも上向かせ
何とかして今まで以上のパワーと熱意と努力で、この岩手を支える事が我々会社企業には期待されている。

− 続く −


<銭明日二世こと菅村経悦>
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卯年2011の締め

2011年12月30日 | Weblog
この秋、ブータン国王夫妻が国賓として来日され、東日本大震災地にも足をお運び見舞いを頂いた。ありがたいことである。
1972年に、この国の当時の国王がGNH(国民総幸福度)と言う新しい言葉を発信された。
経済優先社会の尺度であるGNP(国内総生産)の高さで国どうしが競い合うのではなく、国民の暮らし向きを優先する社会にしようとする提唱である。

昨年のGNP1位アメリカのトップは変わらないが、日本は急成長の中国に2位はとって変わられて3位である。
参考にブータンは165位と統計にはある。
然しGNHはアメリカ23位、中国82位、日本90位となっていて
1位はデンマーク、2位スイス、3位オーストリアでブータンは8位とある。


ブータン国王夫妻

12月26日の日経には、日本の自治体幸福度の掲載があった。
法政大学の坂本光司先生グループが40の指標から算出したものである。
東北では、山形が19位、岩手22位、福島27位、宮城36位、秋田37位、青森40位。
大都市では、東京38位、大阪47位で、全国の1位は福井、2位は富山、3位は石川とある。

坂本光司先生の著書に「日本で一番大切にしたい会社(1)(2)(3)」を感銘して読んだ。
それ以来この先生のファンでもあり、取り組んでいる事が本物であると思った。

岩手の高い評価の一つは“交通事故が少ない”が全国2位である。
山形は“継続して働く期間が長い”が全国1位とあった。

見方により様々異論もあるようだが、今後継続する事で重要な資料になるだろう。
時代は経済重視から人間重視傾向である事には違いないが、このアンバランスにどう立ち向かうのかは難問であり、強い政治リーダーシップが望まれる。

今年のブログもこれで書き仕舞いになるが、反省ばかりが多い卯年であった。
来年はもっともっと血の通った“幸福感”を感じられ、発信できる生き方をしようと思う。


<銭明日二世こと菅村経悦>
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大恩人「原田武雄さん」が逝く

2011年12月20日 | Weblog
弔 辞

原田さん、私の声が聞こえておりますか!
この年末こそは日頃の非礼を詫び、居酒屋ででもご一献傾けたいものと仕切りに考えていた矢先の12月15日の朝、何のいたずらなのか信じられない訃報が飛び込んで来ました。
今こうしてここに立っている事は信じられないことであり、原田さんにお別れを言う資格が私に果たしてあるだろうかと自問自答しておりますが、何も申し上げずお別れすることは大恩人に対する悔いを残すだけと思い、旅たちの御霊の御前で感謝の言葉を述べお別れをさせて頂きます。

思えば原田さんとの出会いは、昭和45年から47年頃と記憶しておりますが、あれから40年の長い長い歳月が経ってしまい記憶も大分失せております。
当時、公園下の岩手県農林会館に勤務しビル設備の管理の長とし、また冷凍機・ボイラーを始めとする工場やビル設備に精通し、地域の業界ではリーダー的立場であった原田さんはとんでもない技能レベルを備えた方でした。
傍ら大宮冷機という会社も自営しており、工場にはどんなものにも対応できる加工設備もあり特に得意としているのは冷凍空調分野の仕事でした。

一方私は、同じ公園下でみちのく冷熱と言う会社を立ち上げたばかりでした。
方や岩手を代表する技能者、方や素人レベルに毛が生えた程度の一匹狼で技能なし金なし人脈なしの私にとって、原田さんとの出会いは正に神が与えてくれた守護神であった。

時を同じくし、今や空調メーカー世界一となったダイキン工業から声が掛かり、当時仕事は倍々ゲームで伸びて行きました、当然その影では原田さんにお願いしすがりつく事が多く、今こうして地域に根ざした技術会社として所帯を構えて居られる、私にとって、我が社にとっての大恩人の方でありました。

中国の故事に、井戸を掘った人の事を忘れちゃならんと言う言葉がありますが、原田さんは私にとっても会社にとっても正にそう言う方です。
最近のご無沙汰は誠に申し訳がなく深く詫びる次第ですが、決して忘れていた事ではありません。
私も10年程前にみちのく冷熱の経営から身を引いてしまい、原田さんも一線を退かれ、昔の様な気楽なお付き合いを取り戻したいと願っておりました、その矢先での事で全く残念無念です、薄情者の私を叱責して下さい。
責めてもの救いは、会社の35周年式典で感謝の気持ちを表すことが出来た事でしたが、その程度の事で恩を返えせたなどとは、微塵にも思っていません。

こうしてお別れしなければならないのは、誠に遺憾で辛いです、生きて居れば叱咤激励も頂けたのにと思うと、後悔の思いが募るばかりです。
私にとっては原田さんと出会って良い人生になっております、この先はあなたに頂いた、技能を第一とする心構え、妥協をよしとしないプロとしての厳しさを受け継ぎ、技術者を多く育てることで、地球環境問題に寄与出来、孫子が安心して暮らせる地域の環境プロ会社を目指して行きます。

その内に晩年汲み交わせなかった酒を飲み、思い出を話す機会を願って止みません。
              さようなら 合掌


  平成23年12月19日
   マリングループ代表
鷏アメニティ 菅村 経悦




<銭明日二世こと菅村経悦>
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招かれざる訪問者 その3

2011年11月17日 | Weblog
“トムとジェリー”もそうだが、昔からネズミの敵は猫と決まっていた。

幼少の頃、フチという名の白黒二色の猫を飼っていた事がある。
この愛猫はネズミ取りの名人で、時には自分の身体の半分くらいの大きなネズミを取ってきた。

今の猫はネズミなど取らないとも聞くが、このフチちゃんは捕獲した事を褒めて貰いたいようで食べる前に必ず見せに来た。
きっと「自分の食いぶちに見合う稼ぎはしていますよ」というアピールに来ていたのだと思う。
その際はいつも“ズネズネ”と言って褒めたものである。

しかし“ズネズネ”というコトバは何だったのだろう“ネズミ”が語源なのだろうか。
何にしろ猫には心地良いコトバのようで、フチは得意気になって胸を張っていたものだ。


フチは亡き母に良くなついていた。
母が町に出かければ2kmくらい先にある車道近くまで付いて行き、何時間もその場所で待った。
辺りが暗くなっても、母が泊まることがあっても帰るまで待っていた。
当時自宅は山中の寺であり、闇夜の帰路は恐怖に近いものであった。
しかし、このフチちゃんが傍に居る事で心強かった思い出がある。




肩身が狭いペット達です

----------閑話休題----------

さて、“招かれざる訪問者”の話もそろそろお終いになるが、そのネズミは人が寝静まった頃合いを見計らっては脱出の作業を始めていた。
必死になってわずかなドアの隙間を広げようとかじっては隠れ、かじっては隠れを繰り返していた。
知恵は相当高いが、私の数日に渡る兵糧攻めには敵わなくなったようで、油揚げを餌に捕獲を試みたならあっという間に引っ掛かってきた。
さすがに数日間の飲まず食わずは堪えたようで、親にしては痩せた姿で現れてようやく逃亡劇も幕を閉じた。

そして、いつの間にか冬シーズン到来であり11月初めのある日、暖房の準備の為の手入れをしなければならなく、久し振りでボイラー室に足を踏み入れた。

ボイラー室には畑の肥料とかが置いてあり、その整理をしようと手を出した途端、黒いものが目の前を横切って配管のスリーブ(パイプを通す穴)の隙間から縁の下に逃げ込んだ。
もう慣れた筈のネズミ騒動であるが、危うく腰を抜かすところであった。

そう言えば料理教室の友人に言われた「ネズミは7〜8匹は居ると思った方が良いよ」という言葉を思い出し、大いに納得した(+o+)

■ネズミに対する教訓として貰いたい事
1)電化工事の際の、撤去したガス配管等の穴に注意(業者へ苦言)
2)キッチン周りには食いものは放置禁止(専業主婦へ)
3)排水管や汚水管は時々清掃し清潔にしておけ(我が社へ発注を)
4)外部から床下に入るようなスペースには要注意(ご主人の仕事)
5)夏に暑いからと言って窓を開けるな(我が社へ発注を“エアコン+網戸”)
6)奥方の感を侮るな、かなり鋭いものがある(世の旦那方へ)
7)犬では何にも役に立たない、猫を飼え(ワンちゃんへ)


スシさんスシさん、寝てる場合ではないのだヨ(●^o^●)

− 完 −



<銭明日二世こと菅村経悦>
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招かれざる訪問者 その2

2011年11月10日 | Weblog
ブログと言えるものかは分からないが、書き始めて丸3年になる。
過去に何を書いたのか分からなくなってきたのは、間違いなく加齢によるものである。
今回取り上げている殺生に対する思いもいつか触れたような記憶がある。

10代の初めに野鳥を多く捕獲して料亭にさばいた事があり、今でも悪い事をしてしまった記憶に胸が締め付けられる。
友人に進められハンター資格も猟銃も購入した事もあったが、何故か実践する前に全て捨ててしまった。
幼い頃のそういった苦い思い出がそうさせたのだと思っている。



さて、我が家に棲み付いた正体であるが、犯人はネズミのファミリーであった。



吟味して建てた家なのに、どこからか入り込まれてしまったようだ。
こいつらも慎ましやかに生きていれば良いものを、次第に大胆になり夜な夜な行動が怪しくなっていた。
とうとう安眠もおぼつかなくなり、我が家の安住な生活圏も次第に悪くなってきていた。
私達と共同生活している愛犬達も、その音で夜中に突然吠えたりしたからである。

先ずホームセンターから粘着マットを購入して、その数枚を台所の置いた。
数日間で1匹、2匹、3匹、4匹と罠にかかり、その正体を現した。

これで終わるかと思っていたが、今度は2階の空き部屋に置いた観葉植物用の鉢に現れた。
こいつは母親なのか賢いようで、粘着マットに掛かったが尻尾を途中からもいで逃げた。
それからは二度と粘着マットには掛からなくなった。


「これも招かれざるもの(`´)のひとつ」

観葉植物も全て片付けてエサらしいものを排除した。
その翌日からは木製ドアの隙間から逃げようとドアをかじり始めた。
隣に寝ている家人から「ノイローゼになる」と言われ夫婦仲もだんだんおかしくなってきた。
挙げ句の果て「こういう仕事は男の仕事」だとか言われる始末である。

後は押し入れしかないから、そのどこかに居るのは分かっているが何故か気が進まない。
数日後、酒を飲んで帰った勢いを借りて押し入れの中を整理した。
そうしたなら居るにはいたが、酔っている所為もあり捕まえられず逃げられた。
今度は健康ランナーの隙間のどこかに入って行くのは見えたのだが、どうしても出て来ない。

その晩は押し入れの整理で疲れ果て、酔いも何も覚めてしまった。
家人からは「窓を開けて逃がしてしまえば良いのに」と言われるが、男のメンツ上負けるわけにはいかなくなってきた。

− 続く −



<銭明日二世こと菅村経悦>
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招かれざる訪問者 その1

2011年11月08日 | Weblog
余命が少なくなってきた所為か、生き物に対する安易な殺生には抵抗があるようになってきた。
虫けらにも五分の魂とか、世の中には役に立たないものはないとか言われるが、昨年は庭に棲みついているアゲハ蝶のさなぎを、毛虫だろうと思い潰して後悔した。

家人から最近我が家に何かいると言われたのは、暑さも大分和らいだ9月の末であったと思う。
時を同じくして、コウモリに入られ愛犬と一緒になって一騒ぎしたので、てっきりそのコウモリがまだ居たのかと思っていた。



しかし、部屋中を探したがどこにもその姿は見えなかった。
コウモリは昼は暗い所を選んでぶら下がっているものなので、多分屋根裏にでも居るのだろうくらいに思っていた。

ところが、台所を預かる主婦の感覚は敏感の様で、果物が何個なくなったとか、ここに置いてあったお菓子知らないかとか言うようになってきた。

自分としてはそう訴えられても、家人も歳なんで少しボケが入って来たかな程度の生返事を繰り返していた。
また、隣に住みついた娘夫婦が不足している食料を時々黙って拝借したりするので、その所為かとも思い余り真剣に考えもしなかった。


「我が家の“しゃらの木”?もう散る間際です」

それも束の間で、愛犬のおやつが消えたとか、食油のフタが外れていたとか、少しおかしい状況になって来た。
これはただ事ではないと、重い腰を上げざるを得なくなって来たのはひと月も過ぎた頃である。

− 続く −



<銭明日二世こと菅村経悦>
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第二創業の夜明け

2011年10月31日 | Weblog
我が社は3社でマリングループという呼称で経営を構成している。

私が代表を務める(株)アメニティが持ち株上の中心になっている。
然し、今年度会社設立40年(創業43年)になる(株)みちのく冷熱(以降MRNと略)が
創業の原点でありグループの核になる。

このMRNが紆余曲折を重ねながらも
40周年を迎える今年度まで生き伸びている最大の要因は
今では世界一(今年度の予測)の空調メーカーとなった
ダイキン工業さんとの繋がりが何よりにも変え難い。

信頼というものは持ちつ持たれつの関係がなければ長続きはできない。
言わば一方通行では不公平になるので
短期ではあり得るだろうが、長くは続かない。

この事はあらゆる生業の基本になっていると思う。
特に商いには¨無償の愛¨などでは生きては行けぬのが現実である。
残念な事ではあるとは思う。


[アメニティの東方向に現れた大きな虹]


さて、そのダイキンさんとの最大の信頼関係は
この会社とのメジャー資格である「特工店」を連続20年保持していることである。
このメジャー資格とは、販売力・工事力・サービス力の
すべてに優れている店だけに与えられている特別なものである。

連続20年の保持は北海道、東北、新潟地区ではダントツのトップであって
ましてや東北新潟地区には特工店資格を有している会社自体がMRNのみである。

また、ダイキンさんとの取引は、それ以前の昭和45年からスタートしたので
40年もの長い間信頼関係を保って来た事になる。(自慢したくないが現実)

今、その会社を次に繋ぐことに取り組んでいる。
会社は長くさえやれば良い結果を必ず残すというものではない。
今では創業の遺伝子を受け継いでいる社員も殆ど居なくなり
決してあるべき姿とは言えない方向、血の通わない会社になって来たとも聞く。

若い連中の生活の場を守るためにも
ユーザーの財産を守り、安心安全を保障するためにも
この会社に新鮮な血液を送り込む時期と判断し知恵を出し合っている。

CO2削減、地球温暖化対策、省エネルギーや新エネルギーが時代のキーワードになっているが
そうした目先の改善や改革だけでは50年企業、100年企業には難しい。
今まさに旧いカラーは脱ぎ捨てなければならない。
第一創業は40年で終焉として、第二創業を若手中心でスタートする時が来た。



[次世代を担う子供たちの為にも素晴らしい未来を!]



<銭明日二世こと菅村経悦>
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