スピンオフ銭明日編集長

スキューバダイビングを愛する銭明日編集長の日記

西表島は癒しの島?その2

2011年09月30日 | Weblog
昨晩の石垣美咲町での泡盛の心地よい酔いを多少朝に感じつつ、西表島行きの船人となる。

この辺りでは船は唯一の島に渡る交通手段であり、朝の時間は通いでだろうが働きに行く人と観光客で満席である。
船酔いには強い方だが最船首の席を取る、その心配も余分で快適な海原を小一時間、初めての西表島の上原港に着く。


西表島DIV(ダイパー船からの島方向)

この島は太平洋・東シナ海の海域にあって北緯24度、面積289km2、海岸線長130km、最高標高は古見岳の469m、人口2,000人。
沖縄本島に次ぐ広さの未開発のままの自然に恵まれた雨が多い(平均降水量2,342mm)島である。


西表島DIV(サンゴの島)

特別天然記念物や天然記念物の宝庫であり、特別国立公園に指定されている。
有名なイリオモテやま猫は100匹くらいいるそうだが、夜行性の為滅多に見る事はできない。


浦内川・亜熱帯雨林をカヌーでのマングローブ学習

今回のガイドをお願いしたDiving Shopウォーターマンの徳岡さんが港で待っていた。
今宵からの宿「カンピラ荘」に荷を下ろし早速のFan-Divingに出かける。


西表島の宿・カンピラ荘


西表島の居酒屋
DAIVINGshopウォーターマン徳岡さんと一杯


西表島のカラオケスナック
DAIVINGshopウォーターマン徳岡さんノド前披露

…………(^O^☆♪………(^-^)/…………( ´ ▽ ` )ノ…………(`_´)…………………

予定では4日間で8本のDiving予定であったが、台風15号が近づいて来た事もあり3日間6本で切り上げる。


西表島DIV・お疲れモードのお二人

確かに西表島の海には珊瑚が多く大事に育てている様子なので、日本の宝として世界遺産登録の可能性もあり海も綺麗である。
しかし、どうしてもいつも行っているフィリピンアポ島の海と比較してしまう。その感想は顔文字の如くとなる。


浦内川上流ピナイサーラの滝・著者滝壺に沈没


浦内川上流ピナイサーラの滝・著者滝壺から脱出


浦内川上流ピナイサーラの滝・修験者風の筆者


浦内川上流ピナイサーラの滝・修験者経験中の3人

同じ趣味をもつ仲間との6帖間での雑魚寝を4泊、毎晩泡盛での宴は楽しいひと時であった。
宿の逗留客には、蝶々を求めて全国を歩いている学者風の方、曰くありげなうら若い一人旅の女性、
ジャングルでのビックフィッシュを目当てに訪れている釣り人等と出会ったが、
カンピラ荘の客間に現れる正体不明のヒゲ面のクマさん(残念ながら写真は無い)が最も印象的であった。


西表島・浦内川上流マリュドウの滝を望む


カンピラ荘で仮眠中の筆者

台風も近づきつつある為、予定を一日早くして戻る事となる。
そう言えばヨモギが入ったヤギ汁も初めて食した大変精がつくと言っていた。
石垣美咲町のMIYAに顔出せなかったのが、唯一心残りの旅となった。



<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

西表島は癒しの島?その1

2011年09月29日 | Weblog
9月も数日を残すのみになっている。
石垣島の南で熱帯低気圧から、極めて遅い速度の台風15号に変わった9月の半ば
盛岡のDIV仲間3人と連れ添ってこの島に初めて足を踏み入れた。


西表島(八重山諸島最大の島)


盛岡のDIV仲間

盛岡〜仙台〜那覇〜石垣〜西表島(石垣からは離島行きの船で1時間弱)と
車と空と船を経由して大凡10時間で辿り着く。

今回の旅では途中の石垣に宿を取って、西表島には翌朝行くことにしていた。
長旅ではあったが石垣の宿に着くなり荷を放り投げ、早速美咲町の沖縄料理店に出向いた。


石垣美咲町の沖縄料理店(Tさんと坂本DIVER)

ここで盛岡から移り住んでいる良さんと1年振りの再会祝宴となった。

彼は還暦を機に2年ほど勤めた石垣の土木会社を辞めて今は浪人中。
石垣には10年も通い、その後在住が丸3年となっている。

1年前のブログにも登場して貰った人であるが
兎にも角にも石垣島と波照間島がことのほかお気に入りだ。


良さんが送ってくれた波照間の朝風景1

彼は今や波照間島の民宿“玉城”の常連客を乗り越え、常連客のみ許されていると云われる
“玉城Tシャツ”を着ることができる幹部(ナンバー3とか)の位置にある様だ!?

ネットにも載っているが、この民宿“玉城”は芸能界を去った島田紳助が
日本で一番きたない民宿と言って話題になった所である。


良さんが送ってくれた波照間の朝風景2

彼から盛岡では到底手に入らない波照間泡盛の“泡波”や波照間の“黒糖”、石垣ペンギン食堂の“ラー油”や石垣の“自然塩”をよく貰う。
実はこれらの品にはとんでもないブランド価値がある。

特にも“泡波”は波照間でも石垣でも滅多に手に入らない、ネット価格では10倍はしている逸品である。
我が家には数本あるが、今やこの価値が分からない方には
振舞わないことにしているケチな自分にしてしまった“泡波”である。


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

立佞武多(たちねぷた)は東北の誇り

2011年08月30日 | Weblog
今年の夏は初めて五所川原に足を踏み入れてみた。
以前からここ五所川原市の“立ちねぶた”は最高だと聞いていたからである。

歴史的には400年の伝統をもつ火祭りとか!
この時期の宿が問題だと聞いていたので
年が明けて間もなくの頃、鰺ヶ沢温泉に宿の予約を取っての祭り見学となった。


「巨大ねぷたが五所川原の記録に登場するのは明治40年頃らしい」


「戦後2度の大火で街が全焼、設計図や写真も消失し巨大ねぷたは姿を消した」

----------------------------------------------------------------------------------------------------

そう言えば10年ほど前だったか、安さが売り物の観光バスで“青森ねぶた”も見学したことがある。
祭り会場に夕方着いたなら弁当を渡されて、後は自由に見てくれと言われた。
2時間も見たなら飽きてきたし、ねぶたの廻りで跳ねているハネトにも、見ている側からは何か違和感があって見学した。

ようやく夜10時頃に観光バスが迎えに来て、十和田湖の宿に向かった。
そして宿に着いたのが午前1時近かったと記憶している。
それも旧い宿で知らない方と4人の相部屋であった、という苦い経験である。

私が見学した中での全日本クラスの有名な祭りは
“富山の風の盆”、“秋田の竿灯”、“青森ねぶた”、“大曲の花火”、“札幌雪まつり”、“山形花笠音頭”である。

祭り見学は重労働なので、本当はあまり好きではない。
そんなこと言いながらも“リオのカーニバル”には感動した記憶がある。

----------------------------------------------------------------------------------------------------

さて、五所川原市“立佞武多(立ちねぷた)”の話に戻る。
この町は金木と合併した奥津軽の入り口で、人口6万人ばかりの町である。
長い伝統に支えられている“立佞武多(立ちねぷた)”の勇壮さには痛く感動した。


「1993年に当時の設計図と写真が発見され、翌1994年に復元」

小さな町の狭い道路を目一杯に、高いものは25mもある大構造物の絵巻が
電線や電柱、看板を上手く摺り抜け避けながら2時間ばかり掛け
18台の勇壮山車が運行する姿は真夏の暑さも忘れて見学した。
“青森ねぶた”を悪く言う訳ではないが、あっちが前座でこっちが真打ちの様な気がした。


「1998年、80年ぶりに“五所川原たちねぷた”は復活した」

初日に行ったので、大好きな吉幾三も祭りを大いにもちあげての出演をしていた。
ふるさとに戻って水を得た魚の様なはしゃぎぶりで、満面笑顔で持ち歌を披露していた。
金木町にはホワイトハウスと呼ばれる吉幾三邸があるそうだが、今回は見学できなかった。

今回は鰺ヶ沢温泉〜十三湖〜竜飛岬〜酸ケ湯温泉〜八甲田〜十和田湖を廻っての旅と相成った。
友人と家人の3人旅、3日間の走行距離700kmを一人の運転ではきつかった。

そう言えば、最近のブログには全く仕事に関することは書いていない。
読んでくれている方は遊んでばっかりいる奴だと思っていることであろう。
そう言われても否定はしない自分ではある(●^o^●)



<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

男って辛いよな

2011年08月29日 | Weblog
我が家の玄関入口は、2階まで吹き抜けになっている作りである。
玄関周りを明るくする為の明かりとりに、ガラスブロックを多く施してある。

このところの大きな地震で、そのガラスブロックの補強の為の目地材が一部崩壊された。
このままでは、ブロックそのものも崩壊する可能性もあるので気になっていたが
この週末を利用して修理した。

結構高い場所であったので、長梯子に寄る高所作業の為
昇ったり下ったりの時間が多い重労働だった。



「今月に行った五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)」


「青森県五所川原市で8月4日から8月8日に開催される祭り」


挙句は家人といささかコミュニケーションが欠落していることもあり
助手もなしの為に益々難儀な修理であった。
また、修理作業ってやつは思いがけないことばっかり発生し、結局二日掛かる羽目になった。

自分にこういう住宅メンテが全く出来ないなら諦めもつくが
修理作業によっては中途半端に出来る器用さもあるもので、ついつい手掛けてしまうのだ。



「囃子方のかけ声は、青森の“ラッセラー”に対し“ヤッテマレ”」


「“ヤッテマレ”は津軽弁で、標準語の“やってしまえ”に近い意味らしい」


こういう事も今の仕事を一人で始めた頃、メンテサービスも工事もこなして覚えたので
たいていの事は実は自分で修理可能なのである。

業者に依頼すれば10万円程度は取られても不思議ではない作業である。
然し家人からは余り賞賛の声はなかった。
コミュニケーションが壊れている間は、自己満足する以外にない。
男って辛いよな(+o+)


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

フィリピンビサヤ諸島4「不老長寿は竜宮城にあり」 <後編>

2011年08月04日 | Weblog
人間の身体は60兆個の細胞から出来ています。
その全ては酸素無しでは生きていけません。

酸欠はこれらの細胞に十分な酸素を提供出来ない状態の事を指します。
酸欠は代謝障害や疲労感、頭痛、持久力の低下や活性酸素の増加をもたらし
ガンの発生や動脈硬化といった病気発生の元となってしまいます。


超ミニの“タツノオトシゴ”


バンカーボートからのネグロス島

地上(=1気圧)で呼吸している我々は肺を通して酸素を体内に取り込みますが
具体的には赤血球中のヘモグロビンが酸素分子と結合する事で、体内に酸素を送り届けます。
これを結合型酸素と言います。


クモエビ(見つけられる?)

ヘンリーの法則により直接血液に溶ける酸素分子もあり(溶解型酸素)ますが1気圧下ではほんの微量です。
ところがスキューバダイビングを行う海中では、この溶解型酸素が沢山体内に取り込まれ
体のすみずみまで、それも豊富な量の酸素が行き渡る状態となります。

ダイビングで安全停止を行う深度3m(1.3気圧)でさえ90分滞在すると溶解型酸素は血液中飽和状態となります。
ましてや深度20m(3気圧)〜30m(4気圧)まで潜り、最終的に安全停止の深度へ来るまで50〜60分潜っている訳ですから
1本潜る度に身体はとてもリフレッシュされた状態になる訳です。


“ウミウシ”のカラーに注目

ダイビングに行かずとも溶解型酸素を身体に取り込む事は、プロのスポーツ選手達の間では普通に行われています。
100万円を超える装置を購入するプロスポーツ選手は沢山います。
でもダイビングは楽しみながら健康になれる最高のホビーです。

これからも銭明日二世さんには、ず〜っと(笑)この趣味に付き合って頂きたく思っております。


お疲れモードの守屋氏

ー 完 ー


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

フィリピンビサヤ諸島4「不老長寿は竜宮城にあり」<前編>

2011年08月03日 | Weblog
銭明日二世さんによって「スキューバダイビング」の世界に引き込まれた守屋と申します。
今回のダイブ旅行で累計潜航本数は299本となりました(笑)。
秋には再度銭明日二世さんを誘って、私のメモリアル300ダイブにお付き合い頂こうと考えております(笑)。


クマノミのミニハウス

さてスキューバライセンス取得のオープンウォター・コースを習った人なら誰でも知っていると思いますが
「水圧の掛かった海中に於いては、地上(大気圧=1気圧)では殆ど体内に取り込まれる事の無い窒素が血液中に吸収され
その排出が十分されないまま海面(1気圧)に戻ってしまうと
減圧症(最悪の場合は下半身不随等)となる危険が存在」するという事実(汗)。


ウミウシ


ウミウシ(交尾中)

勿論そうならない様なダイビングスケジュールが組まれていて
潜航中はダイビングコンピューターにて体内の窒素残量を確認したり、潜航深度の警告を受け浅い深度に位置したり
そして最終的には3〜5mの深度で3分程度の安全停止(体内の窒素量を安全なレベルまで排出する)を行うことで
安全で楽しいダイビングを楽しむ事ができます。


珍しい色の“いそぎんちゃく”


フロッグフィッシュ(どっちが頭か?)

安全上の理由により(ダイビング講習では)危険な側面ばかりが強調されるのですが
実は「水圧の掛かった海中に於いて。体内に多く取り込まれる気体」は酸素も同様なのです。
高校の物理で習ったと思いますが“液体に溶け込む気体の量は、気圧に比例して増加する(ヘンリーの法則)”のです。
ビールやサイダーといった炭酸飲料が作れるのもそのお陰です。
従って海中では、地上以上に多くの酸素を体内に取り込む事が出来て、それがアンチエイジングに繋がるのです。


砂に潜りこんでいる魚(名前は調査中)

ー 後編に続く ー


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

フィリピンビサヤ諸島3「この国はオカマが一杯」

2011年07月29日 | Weblog
日本とフィリピンは3000kmくらい離れているので、地震などある訳がないと今までは思っていた。
それが何と、この島の西側が震源のこの国では大きな方であろう地震に遭遇した。



7/12早朝4時半過ぎ、ネグロス島ドゥマゲッティのリゾートホテルで揺れの大きさで目が覚めた。
マグニチュード6.5位あったようだ。
日本で地震にならされているせいか慌てることもなかったが
3.11の巨大津波がここに襲ってくれば、防波堤も高い山も余り見当たらないサンゴの島は殆ど壊滅するだろうと思った。


アポ島の海


アポ島のクルーと自分(恥ずかしい)


閉店の“いそぎんちゃく”


銀が目アジ ※このカメラでは撮影が無理

4日間アポ島周辺の海を楽しんだ。
ここは何度見ても素晴らしい海と生物達が満載であり感動する、つくづくDIVINGをやって良かったと思わせる海である。

そう言えばこの国にはオカマちゃんも多いようで、相棒の守屋氏は鋭く探索し見当てる。
一日だけその連中と一緒のDIVINGであった。
日本と同じでオカマに市民権はないと言っていた。
そう言えば愛くるしいクマノミも生れたときは両性なんだそうだから、そんなお国柄もあるのかと思ったりした。

この後の旅は、通い慣れたるボホール島へ移動する。
ここでのDIVINGはこの世界ではトップクラスのバリカサグ島がメインであり有名である。
最近渡比する度に訪れている海ではあるが、アポ島に潜ればいささか差を感じざるを得ない気がしている。
然し定宿のボホールアロナビーチはアフターダイビングが楽しい。


巨大コーラル


ウミウシ(この色に注目)

今回も本格的イタリアンレストランをダイブショップ日本人ボスのレナさんに紹介して貰った。
この店の本格的な釜で焼き上げるピザは絶品だった。
いつもほろ酔いで受ける海岸でのサンドマッサージも大変心地よいが
今回は眠っている内に爪のケアもやってくれたようで手足にマニキュアまで施されてしまった。
自分もかなりオカマっぽくなって来たようである。


ウミウシ(交尾中)


愛嬌をふりまく“ウツボ”

次回はこのシリーズのエンディングとして、相棒の守屋裕之氏に「DIVING健康法」を分かり易く説明して貰うこととする。


巨大なコーラルと守屋氏

彼は私が誘ったダイバーであるが300本に間もなく到達すると言っていた。
自分はやっと260本まできたが、果たして300本までやれるだろうか?
然し今の自分のライフラインはDIVINGと裏表にあるようだ。



<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

フィリピンビザヤ諸島2「旅先での楽しみ」

2011年07月28日 | Weblog
私は本を沢山読む方ではないが、旅先の楽しみに読書がある。
益々ネット化して本屋さんも電子書籍にとって代わって来たが、いずれにしても本を読むことで人は知識を吸収でき思考力を高められ人間力が向上する。
増してや良い本に出会うと大変うれしいものである。


主人が居なくて荒れた庭
 
DIVING旅では、身体が習慣化されている早起き癖は簡単には修正が効かない。
そんな早朝は読書タイムを楽しむに限る。
海辺のリゾートホテルは南国の緑が一杯であり朝は小鳥たちのさえずりが心地よく、日中はギラメク太陽もこのいっときだけは生物を優しく包んでくれる。
今回も自宅の書棚からツンドク本を数冊持参したが、五木寛之著の「人間の覚悟」という本が印象に残った。

著者がこの本を書いたのは2008年11月である。
このとき著者は間もなく80歳でもある。


荒れた庭に棲む蝶

この本の序説には
“そろそろ「覚悟」を決めなければならない。覚悟とはあきらめることであり、「明らかに極める」こと、希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受け止めることである。これから数十年は続くであろう下山の時代の中で、国家にも、人の絆にも頼ることなく、人はどのように自分の人生と向き合えばいいのか、例えこの先が地獄であっても、誰もが生き生きした人生を歩めるように、人間存在の根底から語られる全七章”
とある。

また結びの文中には
“人は一日を生きるだけでもものすごいことをしている。人は生きているだけで偉大な事なのだと思います。その人が貧しくて無名で、生き甲斐がないように思えても、一日、一ヶ月、一年、もし三十年生きたとすれば、それだけでものすごい重みがあるのです”

“仏教では、「人身享け難し」といって、人間は六度輪廻をする中で、人として生まれる確率と言うのは六分の一しかないと考えます。あらゆる生命の中で考えれば、大海の一粟を拾うほどに稀なことだと言うのです。人間として生まれたことに不満はあるかもしれないが、それでも他の動物や植物に生まれるよりは、人として生まれただけでも、じつは稀有なチャンスを得たということです”

“ブッタが「天上天下唯我独尊」と言ったように、自分はだれも代わることができないたった一人の存在だから尊いのです”
とある。


ただ今交尾作業中のアゲハ蝶


ビサヤ語で蝶々をパロパロ、然し浮気者もパロパロと言われる。この蝶々様の事ではない(^O^)

今の日本の姿を鋭く突いた逸品ではなかろうか、然も東日本大地震が起こる前です。
日本人全員に是非読んで貰いたいと思った旅先での早朝でした。


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

フィリピンビザヤ諸島1「アポ島」

2011年07月27日 | Weblog

アポ島

この島は我がブログでも何度か紹介したと思う。
フィリピンの南方のヴィサヤ諸島のネグロス島(フィリピン4番目の大きさの島)の西側にある島である。
私のDIVING人生では文句なしのNo.1のDIVINGスポットで、秘境秘島と言われている。


コーラルとクマノミ ※まだ幼なさのある新婚クマノミ?


コーラルと海牛 ※海牛の真紅な色にびっくり


小さなコーラル

交通アクセスはマニラから飛行機で飛ぶか、セブ島から定期船で渡るかである。
セブ島からは船で5時間くらいかかる。
現地の交通アクセスは安価なこともあり船便が通常の交通手段であるが、かなりくたびれた旧い客船で海が荒れる日にはいささか不安になる。
目一杯の人と荷物を積載するのでこの国では海難事故が時々発生する。

北緯10度の熱帯の島国である。
この時節は雨季(5月〜11月)でスコールもあり気温は30〜35℃。
水温も28℃〜30℃程度はあるが、海と戯れていれば暑さは全く感じない。

マンゴーがとっても美味しい季節で(年中ではあるが)、特にネグロスには生き生きして大きなマンゴーの果樹園が延々と連なっている。
安価な(1kg=大振りマンゴー4〜5個=40ペソ=80円)マンゴーを毎日食べられるのがとても幸せである。
フィリピンの海と果物(特にもマンゴー)は国の宝である。“こでられネー”


さくらの花(海中の植物)


海蛇(猛毒)と戯れるフィリピンガイドのローエル


フロッグフィッシュ ※良く探して下さい、判断つきますか!

2007年2月以来の訪問であるから、4年振りのアポ島訪問となる。
前回は不幸にも若くして亡くなった親族の遺骨を、このサンゴ礁の海にと魂を鎮めた海であった。
今回はそれからの長いご無沙汰を詫びる訪問となる。

この海で魚になってサンゴと暮らしているのであれば、それはこの世に別れを告げて寧ろ幸せな事ではなかろうかと思っている。
“安らかに暮らせよ 合掌”


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

ハーフタイム

2011年07月01日 | Weblog
今日は7月1日です、早々と2011年の折り返しの所迄来てしまった。

昨日の朝、被災地支援特典の高速道路無料証明書を貰って来た。
盛岡では被害らしいものを殆ど受けていない身としては、何か気が引けると感じているのは自分だけでもないだろう。
もっともっと支援しなければならない方が山ほど居るのに、そういう肝心なことはイライラする程牛歩の歩みである。

昔、松戸市役所に“すぐやる課”という部門を設けて活動していた事を新聞で目にしたが、今正に国に必要な機関であろう。
本来なら総理がこの非常時には立ち上がらなければならないのに、ブレーン任せの動きしか伝わって来ない。
後世にマイナスの名を残して何となる。

人間は何のために生きているかと問われれば
家族肉親を含めて人のために生きて、人に役立つことをするのが人間で、そこは動物と違うのである、
然し、日本の政治家は自分と自分を認めてくれる仲間組織のことだけしか考えていない。

いざという時に役立たないのなら政治家は要らない。
この閉塞感に満足している分けではないだろうが、もっともっとスピードを上げろと言いたい。
では、お前はどうだと言われそうだから話題を変える。




「この子達も大切な家族」に登場した我が家の愛犬

誰しも若い頃はよく悩んだと思う。
そんな時代の日々は一日が長く感じたもので、早く今日が終わらないかと思ったものである。
今はどうかと言えば、光陰矢の如しのスピードで一日が過ぎて行く。

ある方は先がないから寝ないでいろんな事に挑戦しているそうだが、自分はと言えば9時になれば愛犬にほだされて床に就く。
難しい事は明日考えようと思いながら\(^o^)/

寝ないでのチャレンジャーは、私のiPhoneの師匠。
金言は"才能を最大限に楽しむのなら寝る暇は無い"である。


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

スイカズラとヒヨドリ

2011年06月30日 | Weblog
我が家のスイカズラは藤と共に我が家のシンボル的ガーデン花卉になっている。



庭を作った5年前に二本植え込んだものが、根を張りながら這いずり廻り、うまく塀を覆っている。
この時期には白い花(後で黄色に変わるが)が見事に咲き乱れる。

そしてこの花は何とも言えない癒しの香りを撒き散らしている。
然しどんな香りかは言葉には表せない。
また、この花は薬効もあり漢方薬にもなるらしいが、試したことはない。



次第に鬱蒼として来たガーデンであるが、今年はヒヨドリが玄関前の藤に営巣して今は子育て中である。


ヒヨドリ

軒先貸して、母屋を取られる例えではないが、巣立つまでは玄関からは極力出入りしないようにしている。


我が家に巣くうヒヨドリ

つがいの親鳥が餌を運ぶ度、家人が通る度、警戒してなのかうるさい程にさえずるヒヨドリファミリーである。
そう言えばヒヨドリの上のベランダの巣箱にもスズメが住み着いて居る。

地震だ原発だと世の中が激変している中、我が家はすこぶる平和なのかも知れない。
それはそれで嬉しい限りである。



<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

マリングループ株主総会!

2011年05月31日 | Weblog
法人会社の年度のけじめは株主総会である、このことは何も上場企業に限った事ではない。

マリングループの株主総会も今月27日に開催された。
事業年度を4月-3月決算で行っているので定款上5月開催になっている。





(株)みちのく冷熱は41期、(株)アメニティは18期、カパス盛岡は20期目の株主総会となった。
(関係紙面はHP上に貼り付けてあるマリン通信62号・63号に掲載)
現在はマリングループと命名し、それぞれの仕事を通して地域社会に多少は役立っているだろうと自負している3つの会社である。



然し、よくここまで生き延びて来たものであると思う。
この会社の根っこを創業して43年、法人設立して39年が経過した訳である。
幾度となくバランスを崩して瀕死の状態に陥ったこともあったが
何とか持ち堪えられたのは正に幸運そのものであった。

やってきたことの基本姿勢は
■サービス業的な発想を重視
■極力ユーザー直の仕事を受注
■ダイキン工業(世界一の空調メーカー)の岩手県代表店の維持
■自己資本率を高く保つ
■社員には成果配分を与えて刺激し続ける
そんな程度のことであったろうと思う。



過去はどうあれ、これから生きて行く事の方がはるかに難しいだろうとも思っている。
減産される経済の中で地球環境を重視した省エネルギー、新エネルギーへの方向転換が要求されているし
労働集約型産業ではあるがユーザーの求めているものは、いつでも・どこへでも・正しく・早く・安くである。
そろそろご破算して新たな道を探し始めた若い息吹も聞こえ始めた。

マリングループを本年度もよろしくお願いします。


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

2011思春季

2011年05月30日 | Weblog
我が社のホームページにブログってやつを掲載して3年経つが
最近継続することは大変難しいものであるとつくづく思う。

特にも東日本大震災3.11後はどうも筆不精に陥ってしまった。
これも震災後遺症なんだろうかと思う(本当は怠け癖)。

今日は台風2号の影響で雨模様の盛岡であるが
北国にもやっと清々しい季節が巡って来ている。

我が家の藤の花(樹齢30年)も冬の寒さの所為か
いつもよりは良くなかったが、そこそこの藤の花であった。
ここ数日前からは花が散りつつあり、掃いても掃いても花弁が落ちて来ている。





娘夫婦が今年初め隣に家を新築した。
昨年まではここで15坪ばかりの家庭菜園を楽しんでいた。
この畑は瓦礫だらけであり野菜づくりには余り良くはなかった。

今年はその畑がなくなったが
隣人にジジイの楽しみも残しておいてやろうとしたのだろう
小さくはなったが家庭菜園には最高の土を入れた畑を作ってくれた。



孫のアオイは4歳になり成長の早さには驚くばかりである。
その下に昨年第二子の女孫も生まれた。
名前はヒナタと命名された。
二人合わせて向日葵(ヒマワリ)となるそうである。
洒落たことを考える娘夫婦である。

さて、その畑にも目一杯の野菜を孫と植えた。
孫の葵は何を植えたいのかと問えば、いつも桃やミカンやリンゴという。
子供には果物も野菜なんだろう。
そう言えば野菜の好きな幼児っていない。

空いた畑には果物ではなくヒマワリを植えてやろうと思っている。
“この遊び人ジジイも孫の成長だけが楽しみになって来たかなー”


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

震災の気が重い日々3

2011年04月04日 | Weblog
広田方面には一般国道は通れず、竹駒から迂回路に入り箱根山のふもとの道路を大船渡方面に向かう。

山のふもとからは高田の街は一望でき、震災の凄まじさが更に広がる。
反面、山の手に建っている家々は春も間近の陽光を浴びて何事もないように光り輝いていた。

迂回路は通岡道路に合流し、そこから広田方面には新しくできたアップルロードに右折する。
間もなく小友町に入ったがここも一帯が碁石方面まで壊滅状態である。


高田小友の町

1960年の三陸チリ地震津波の被災の後、市内から小友地区を頑丈にガードしていた防波堤も用を足たさなかったようで、またこの一帯が津波で全滅してしまった。
広田半島への陸の入り口はこの道路しかない訳で、広田半島は震災から1週間孤立していたが今は何とか通れるようになっていた。


石浜から広田湾

サテライトオフィスがある前花貝地区には広田海水浴場側から入ったが、ここの防波堤も形を留めていない。
地区唯一のコンビニも跡形もなく海側の集落も被災されている。
命を落とした方と行方不明者で十数名が被害にあっていた。

サテライトオフィスは津波には大丈夫だろうと言うから建てた場所で、両面に海が見える高台に位置している。
思惑通り家財がやられた程度で太陽光発電の設置状況も何ともない。


広田湾石浜から別荘を見上げる


別荘から広田海水浴場方面

近くの家に集落の方々が集って支援物の仕訳等していたので、お見舞いを申し上げ積んで来た食料品を提供する。
また毛布類は近くの避難所「モビリアキャンプ場」に提供し帰路に着く。

15年前に昭和のバブルのお陰で、縁あってこの地に惚れて設けた別荘であった。
海の方々は内陸の人間と比べて家族や親戚縁者の繋がりが強いと聞いていたが、よそから来た我々に対しても親切にして頂いていた。
内陸の人よりも人情深さがあり子供達も礼儀正しく益々好きになっていた広田である。

本日現在広田半島の生活インフラは回復していない。
災害復興と言うのは容易いが気の遠くなるようなエネルギーも資金も必要である。
震災前の形まで戻すのにどれ程の期間が掛かるものやら・・・・・。

この地は自然豊かで適度に湿地もあり野鳥の宝庫であったが、そろそろ初鳴きが聞こえる鶯も果たして戻ってくるのだろうか?
また時々通って来てこの町の復興する姿を見守りたい。


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

震災の気が重い日々2

2011年04月01日 | Weblog
菅野とは水沢商業の同級生である。
彼が陸前高田から越境入学して来た理由は、就職に有利なことだったようであるが
高校を出てからはそれぞれの人生を歩んで来た訳で、その間の交友は殆どなかった。
しかし私が15年前に陸前高田広田町の前花貝地区にサテライトオフィスを構えてから交流が再開した。


震災前の美しい高田松原

年に数回は高田の街で旧交を温めるのが年中行事になっていた。
彼は気仙町のリーダーで、様々な団体に所属していてこの町の名士となっていた。
そんな訳で酒が入れば豪遊をする事となり、私にとっても楽しみになっていた。

さて、その菅野が今回の震災でどうなってるのか。
同級生からも心配する声が多く、代表して訪問した次第でもある。

この辺の被害状況は、リアス式海岸のV字に引っ込んだところから入り込んだ巨大津波のエネルギーが
村落をことごとく飲み込んで、家が家を倒して行ったようである。
反面、出っ張りのところは高台にあり嘘のように殆ど被害は見受けられない。

自宅近くの月山神社に行ってみた。
地域の方が数十人テントを張り暖房燃料の材木を切っていたがここには居なかった。
しかし小学校の前に避難場所の地域交流センターがあることを伺った。

地域交流センターも人がごった返していたが、入口側の事務所内にそれらしき人物を見かけた。
いつもと変わらずに地域のリーダーを担って家族共々無事であったようだ。

心配して駆けつけた自分には「何しに来た」であったが、腐れ縁の友人とはそれで良いと納得する。
菅野と飲み歩いた高田の店が懐かしく感じる、その一軒も今は無い、せめてお店の方は無事であって欲しい。

菅野の無事を後にサテライトオフィスがある広田半島に向かう。


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
コメント (0) |  トラックバック (0) |