スピンオフ銭明日編集長

スキューバダイビングを愛する銭明日編集長の日記

インド駆け足の旅

2012年02月03日 | Weblog
1月の銭明日ブログ登場が一度きりであった、何故か最近熱が入らなくなってきている。
自分史の様な、独り言の様な、戯言の様なものと捉えているが
加齢と共に日々の生業に刺激が薄くなって来ていることが影響しているのだろう。
1月ブログも続編を書こうと“つづく”にしておいたが、もうそんなムードでもない厳寒の2月になってしまった。

我が社の創立記念日は2月17日に設定してある。
今年40周年という節目の年にあたるが、その記念イベントとして旅行を企画した。
震災後と言う事で躊躇もあったが、我々にできる県土への応援は会社が元気である姿だと思っている。
元気さを伝播する会社も必要だろう。
そんな次第で先発の一班として1月末にインド(正確には北インド)を駆け足で巡って見た。


世界遺産 クトウプ・ミナール 光塔(デリー市郊外)
ヒンディとイスラムの様式が入り混じった、インド最高の塔


世界遺産 クトゥプ・ミナール(第一班記念写真)
デリー市郊外 イスラム寺院遺跡(1198年頃の作)

人口13億、国土面積は日本の10倍。
南アジアの中心という事からしても、数日の滞在では何ともならない。
世界4大文明発祥の地であり、宗教はヒンドゥ教。
インドカレーが有名なくらいは聞いてはいたが、殆どは知識がない。

エキゾチック、魑魅魍魎、西遊記、サリー、魔法使い、ヨガ、ぞくぞくする美女、今はIT。
そう言えば昔タイガー・ジェット・シンと言う悪役の強いプロレスラーが居たな〜、旧過ぎかな(●^o^●)


霧の中のタージ・マハル廟(アグラ城からの眺望)

成田からインドまで10時間かかる。
盛岡からバスで夜中の0時に発ち、デリーのホテルに着いたのは翌日の20時(時差3時間半)ほぼ一昼夜の片道である。
自分としては20年ほど前に行ったブラジル以来の長旅であった。
この歳ではいささか堪えた。(+o+)

世界の宗教シェアはキリストが33%、イスラムが17%、ヒンドゥが13%、仏教が6%とネットにあった。
然しインドでは70%がヒンドゥだそうである、そして仏教はヒンドゥを祖にした新興宗教であるそうだ。

インドには世界遺産が文化遺産と自然遺産を合わせて27件もあるようだ。
超有名なタージ・マハルを代表に今回4か所廻ったが、タージ・マハルはイスラムのモスク(礼拝堂)であったとは!


世界遺産 タージ・マハル廟(北インド アグラ市)
第五皇帝シャー・シャハーンが亡き愛妃の為に建設した大理石廟(1630年頃の作)


世界遺産 タージ・マハル廟(第一班記念写真)

今回の観光にはヒンドゥ世界遺産はなかったが、デリーのヒンドゥ寺院にも足を踏み入れた。
何とも奇異で明るい神様方が多くいた。
素朴な仏教寺院に慣れ親しんでいる身には正直馴染めない。
極楽浄土とはとても思えない神々のいでたちである。
信者はほぼこの国だけであるそうだから、不思議な宗教である。


世界遺産 フマーユーン廟(デリー市郊外)
ムガル帝国の廟建築の原型を示す(1565年頃の作)


世界遺産 フマーユーン廟(第一班記念写真)
デリー市郊外 イスラム寺院遺跡(1198年頃の作)

この国の近代化へのインフラ整備は始まったばかりのようである。
農村部の風景はと言えば牛や家畜が堂々と道路を横行している。



特に牛は母なるものとして大事にされているし、牛糞を加工したものがこの国では日々の煮炊き燃料であるようだ。
牛糞は身近に手に入るクリーンエネルギー?のバイオマスというところで、13億のエネルギー源にはこの先も必要なものではなかろうかと思った。
農村部はのんびりと時間が流れている感じで、40〜50年前の日本の生活模様を思い出させる。


世界遺産 タージ・マハル廟の巡礼者

反面首都デリーの町はビルが乱立し建築中の建物も多く、人口が1300万人とあった。
喧騒とした車の洪水で高速道路の出口ゲートを見ただけでも20個くらいはあり、交通渋滞が半端じゃない大都会である。

近未来に世界一の人口になるこのインドはリーダー次第ではあろうが
信仰深くて優秀で勤勉な国民が、いずれ降りかかるであろう宗教による争いをうまく調和して
宗教を心のよりどころにした、ゆっくり緩やかな成長を国づくりの基本にして
限りなく高いポテンシャルの魅力ある大国として世界の中心を目指して貰いたいものである。
大いに期待できる。

人懐っこいインド人(特に若い女性)と多種多様なカリーの味が忘れられない。アルビダ!


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
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2012新年にあたり

2012年01月10日 | Weblog
会社のスタッフには新年式で申し上げた事ではあるが!
大震災後の復興の年である2012年年頭にあたり思う事は、この震災で我々には何が出来るだろうかと言う事である。

岩手の企業は法人個人を合わせて相当数の企業が財産を失い社員や家族を失い、休業状態であったり
再建の目途もつかず途方に暮れていたり、最悪は廃業に至ったりしていることと思う。

こんな時に何も影響がない内陸部の我が社としては
失った企業の分も元気な姿で活動することでしか被災企業を支援する道はないのではと思う。

被災企業が立ち直るまで、再起業する迄、減少した企業の分もカバーする勢いをもって経済活動をすることで
郷土岩手を支える事だと思っている、一緒になって意気消沈しているのでは策がない。

私の持論であるが、会社と言うものは“儲ける”のは恣意的利益と言う事でもあり問題であろうが
“儲かる”のには遠慮は要らないと思っている、そこには経営の知恵や努力が入り込むからである。



 
 ◇本年も銭明日ブログを宜しくお願い致します!◇


政治は消費税率アップや厚生年金保険の支給年齢(現状65歳)の先延ばし策であり、パート臨時従業員にも社会保険加入をさせる策である。
いずれも採算が取れなくなった社会福祉政策の付けを、徴収し易い民間企業から巻き上げようとする策である。
ねじれてしまった政局を動かすのは至難であるから、やり易い方からやろうとしている。

自分達のやり方を反省せず改めずの策であり続ける以上、我々も賢くなってその上を行かなければとんでもない被害者になる。
節税対策や内部留保と言った策を駆使して将来の生き残り資金を確保する経営が正に望まれている。

大震災で失った地域社会や県土岩手に活力を入れ、経済ボリュームを多少でも上向かせ
何とかして今まで以上のパワーと熱意と努力で、この岩手を支える事が我々会社企業には期待されている。

− 続く −


<銭明日二世こと菅村経悦>
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卯年2011の締め

2011年12月30日 | Weblog
この秋、ブータン国王夫妻が国賓として来日され、東日本大震災地にも足をお運び見舞いを頂いた。ありがたいことである。
1972年に、この国の当時の国王がGNH(国民総幸福度)と言う新しい言葉を発信された。
経済優先社会の尺度であるGNP(国内総生産)の高さで国どうしが競い合うのではなく、国民の暮らし向きを優先する社会にしようとする提唱である。

昨年のGNP1位アメリカのトップは変わらないが、日本は急成長の中国に2位はとって変わられて3位である。
参考にブータンは165位と統計にはある。
然しGNHはアメリカ23位、中国82位、日本90位となっていて
1位はデンマーク、2位スイス、3位オーストリアでブータンは8位とある。


ブータン国王夫妻

12月26日の日経には、日本の自治体幸福度の掲載があった。
法政大学の坂本光司先生グループが40の指標から算出したものである。
東北では、山形が19位、岩手22位、福島27位、宮城36位、秋田37位、青森40位。
大都市では、東京38位、大阪47位で、全国の1位は福井、2位は富山、3位は石川とある。

坂本光司先生の著書に「日本で一番大切にしたい会社(1)(2)(3)」を感銘して読んだ。
それ以来この先生のファンでもあり、取り組んでいる事が本物であると思った。

岩手の高い評価の一つは“交通事故が少ない”が全国2位である。
山形は“継続して働く期間が長い”が全国1位とあった。

見方により様々異論もあるようだが、今後継続する事で重要な資料になるだろう。
時代は経済重視から人間重視傾向である事には違いないが、このアンバランスにどう立ち向かうのかは難問であり、強い政治リーダーシップが望まれる。

今年のブログもこれで書き仕舞いになるが、反省ばかりが多い卯年であった。
来年はもっともっと血の通った“幸福感”を感じられ、発信できる生き方をしようと思う。


<銭明日二世こと菅村経悦>
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大恩人「原田武雄さん」が逝く

2011年12月20日 | Weblog
弔 辞

原田さん、私の声が聞こえておりますか!
この年末こそは日頃の非礼を詫び、居酒屋ででもご一献傾けたいものと仕切りに考えていた矢先の12月15日の朝、何のいたずらなのか信じられない訃報が飛び込んで来ました。
今こうしてここに立っている事は信じられないことであり、原田さんにお別れを言う資格が私に果たしてあるだろうかと自問自答しておりますが、何も申し上げずお別れすることは大恩人に対する悔いを残すだけと思い、旅たちの御霊の御前で感謝の言葉を述べお別れをさせて頂きます。

思えば原田さんとの出会いは、昭和45年から47年頃と記憶しておりますが、あれから40年の長い長い歳月が経ってしまい記憶も大分失せております。
当時、公園下の岩手県農林会館に勤務しビル設備の管理の長とし、また冷凍機・ボイラーを始めとする工場やビル設備に精通し、地域の業界ではリーダー的立場であった原田さんはとんでもない技能レベルを備えた方でした。
傍ら大宮冷機という会社も自営しており、工場にはどんなものにも対応できる加工設備もあり特に得意としているのは冷凍空調分野の仕事でした。

一方私は、同じ公園下でみちのく冷熱と言う会社を立ち上げたばかりでした。
方や岩手を代表する技能者、方や素人レベルに毛が生えた程度の一匹狼で技能なし金なし人脈なしの私にとって、原田さんとの出会いは正に神が与えてくれた守護神であった。

時を同じくし、今や空調メーカー世界一となったダイキン工業から声が掛かり、当時仕事は倍々ゲームで伸びて行きました、当然その影では原田さんにお願いしすがりつく事が多く、今こうして地域に根ざした技術会社として所帯を構えて居られる、私にとって、我が社にとっての大恩人の方でありました。

中国の故事に、井戸を掘った人の事を忘れちゃならんと言う言葉がありますが、原田さんは私にとっても会社にとっても正にそう言う方です。
最近のご無沙汰は誠に申し訳がなく深く詫びる次第ですが、決して忘れていた事ではありません。
私も10年程前にみちのく冷熱の経営から身を引いてしまい、原田さんも一線を退かれ、昔の様な気楽なお付き合いを取り戻したいと願っておりました、その矢先での事で全く残念無念です、薄情者の私を叱責して下さい。
責めてもの救いは、会社の35周年式典で感謝の気持ちを表すことが出来た事でしたが、その程度の事で恩を返えせたなどとは、微塵にも思っていません。

こうしてお別れしなければならないのは、誠に遺憾で辛いです、生きて居れば叱咤激励も頂けたのにと思うと、後悔の思いが募るばかりです。
私にとっては原田さんと出会って良い人生になっております、この先はあなたに頂いた、技能を第一とする心構え、妥協をよしとしないプロとしての厳しさを受け継ぎ、技術者を多く育てることで、地球環境問題に寄与出来、孫子が安心して暮らせる地域の環境プロ会社を目指して行きます。

その内に晩年汲み交わせなかった酒を飲み、思い出を話す機会を願って止みません。
              さようなら 合掌


  平成23年12月19日
   マリングループ代表
鷏アメニティ 菅村 経悦




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招かれざる訪問者 その3

2011年11月17日 | Weblog
“トムとジェリー”もそうだが、昔からネズミの敵は猫と決まっていた。

幼少の頃、フチという名の白黒二色の猫を飼っていた事がある。
この愛猫はネズミ取りの名人で、時には自分の身体の半分くらいの大きなネズミを取ってきた。

今の猫はネズミなど取らないとも聞くが、このフチちゃんは捕獲した事を褒めて貰いたいようで食べる前に必ず見せに来た。
きっと「自分の食いぶちに見合う稼ぎはしていますよ」というアピールに来ていたのだと思う。
その際はいつも“ズネズネ”と言って褒めたものである。

しかし“ズネズネ”というコトバは何だったのだろう“ネズミ”が語源なのだろうか。
何にしろ猫には心地良いコトバのようで、フチは得意気になって胸を張っていたものだ。


フチは亡き母に良くなついていた。
母が町に出かければ2kmくらい先にある車道近くまで付いて行き、何時間もその場所で待った。
辺りが暗くなっても、母が泊まることがあっても帰るまで待っていた。
当時自宅は山中の寺であり、闇夜の帰路は恐怖に近いものであった。
しかし、このフチちゃんが傍に居る事で心強かった思い出がある。




肩身が狭いペット達です

----------閑話休題----------

さて、“招かれざる訪問者”の話もそろそろお終いになるが、そのネズミは人が寝静まった頃合いを見計らっては脱出の作業を始めていた。
必死になってわずかなドアの隙間を広げようとかじっては隠れ、かじっては隠れを繰り返していた。
知恵は相当高いが、私の数日に渡る兵糧攻めには敵わなくなったようで、油揚げを餌に捕獲を試みたならあっという間に引っ掛かってきた。
さすがに数日間の飲まず食わずは堪えたようで、親にしては痩せた姿で現れてようやく逃亡劇も幕を閉じた。

そして、いつの間にか冬シーズン到来であり11月初めのある日、暖房の準備の為の手入れをしなければならなく、久し振りでボイラー室に足を踏み入れた。

ボイラー室には畑の肥料とかが置いてあり、その整理をしようと手を出した途端、黒いものが目の前を横切って配管のスリーブ(パイプを通す穴)の隙間から縁の下に逃げ込んだ。
もう慣れた筈のネズミ騒動であるが、危うく腰を抜かすところであった。

そう言えば料理教室の友人に言われた「ネズミは7〜8匹は居ると思った方が良いよ」という言葉を思い出し、大いに納得した(+o+)

■ネズミに対する教訓として貰いたい事
1)電化工事の際の、撤去したガス配管等の穴に注意(業者へ苦言)
2)キッチン周りには食いものは放置禁止(専業主婦へ)
3)排水管や汚水管は時々清掃し清潔にしておけ(我が社へ発注を)
4)外部から床下に入るようなスペースには要注意(ご主人の仕事)
5)夏に暑いからと言って窓を開けるな(我が社へ発注を“エアコン+網戸”)
6)奥方の感を侮るな、かなり鋭いものがある(世の旦那方へ)
7)犬では何にも役に立たない、猫を飼え(ワンちゃんへ)


スシさんスシさん、寝てる場合ではないのだヨ(●^o^●)

− 完 −



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招かれざる訪問者 その2

2011年11月10日 | Weblog
ブログと言えるものかは分からないが、書き始めて丸3年になる。
過去に何を書いたのか分からなくなってきたのは、間違いなく加齢によるものである。
今回取り上げている殺生に対する思いもいつか触れたような記憶がある。

10代の初めに野鳥を多く捕獲して料亭にさばいた事があり、今でも悪い事をしてしまった記憶に胸が締め付けられる。
友人に進められハンター資格も猟銃も購入した事もあったが、何故か実践する前に全て捨ててしまった。
幼い頃のそういった苦い思い出がそうさせたのだと思っている。



さて、我が家に棲み付いた正体であるが、犯人はネズミのファミリーであった。



吟味して建てた家なのに、どこからか入り込まれてしまったようだ。
こいつらも慎ましやかに生きていれば良いものを、次第に大胆になり夜な夜な行動が怪しくなっていた。
とうとう安眠もおぼつかなくなり、我が家の安住な生活圏も次第に悪くなってきていた。
私達と共同生活している愛犬達も、その音で夜中に突然吠えたりしたからである。

先ずホームセンターから粘着マットを購入して、その数枚を台所の置いた。
数日間で1匹、2匹、3匹、4匹と罠にかかり、その正体を現した。

これで終わるかと思っていたが、今度は2階の空き部屋に置いた観葉植物用の鉢に現れた。
こいつは母親なのか賢いようで、粘着マットに掛かったが尻尾を途中からもいで逃げた。
それからは二度と粘着マットには掛からなくなった。


「これも招かれざるもの(`´)のひとつ」

観葉植物も全て片付けてエサらしいものを排除した。
その翌日からは木製ドアの隙間から逃げようとドアをかじり始めた。
隣に寝ている家人から「ノイローゼになる」と言われ夫婦仲もだんだんおかしくなってきた。
挙げ句の果て「こういう仕事は男の仕事」だとか言われる始末である。

後は押し入れしかないから、そのどこかに居るのは分かっているが何故か気が進まない。
数日後、酒を飲んで帰った勢いを借りて押し入れの中を整理した。
そうしたなら居るにはいたが、酔っている所為もあり捕まえられず逃げられた。
今度は健康ランナーの隙間のどこかに入って行くのは見えたのだが、どうしても出て来ない。

その晩は押し入れの整理で疲れ果て、酔いも何も覚めてしまった。
家人からは「窓を開けて逃がしてしまえば良いのに」と言われるが、男のメンツ上負けるわけにはいかなくなってきた。

− 続く −



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招かれざる訪問者 その1

2011年11月08日 | Weblog
余命が少なくなってきた所為か、生き物に対する安易な殺生には抵抗があるようになってきた。
虫けらにも五分の魂とか、世の中には役に立たないものはないとか言われるが、昨年は庭に棲みついているアゲハ蝶のさなぎを、毛虫だろうと思い潰して後悔した。

家人から最近我が家に何かいると言われたのは、暑さも大分和らいだ9月の末であったと思う。
時を同じくして、コウモリに入られ愛犬と一緒になって一騒ぎしたので、てっきりそのコウモリがまだ居たのかと思っていた。



しかし、部屋中を探したがどこにもその姿は見えなかった。
コウモリは昼は暗い所を選んでぶら下がっているものなので、多分屋根裏にでも居るのだろうくらいに思っていた。

ところが、台所を預かる主婦の感覚は敏感の様で、果物が何個なくなったとか、ここに置いてあったお菓子知らないかとか言うようになってきた。

自分としてはそう訴えられても、家人も歳なんで少しボケが入って来たかな程度の生返事を繰り返していた。
また、隣に住みついた娘夫婦が不足している食料を時々黙って拝借したりするので、その所為かとも思い余り真剣に考えもしなかった。


「我が家の“しゃらの木”?もう散る間際です」

それも束の間で、愛犬のおやつが消えたとか、食油のフタが外れていたとか、少しおかしい状況になって来た。
これはただ事ではないと、重い腰を上げざるを得なくなって来たのはひと月も過ぎた頃である。

− 続く −



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第二創業の夜明け

2011年10月31日 | Weblog
我が社は3社でマリングループという呼称で経営を構成している。

私が代表を務める(株)アメニティが持ち株上の中心になっている。
然し、今年度会社設立40年(創業43年)になる(株)みちのく冷熱(以降MRNと略)が
創業の原点でありグループの核になる。

このMRNが紆余曲折を重ねながらも
40周年を迎える今年度まで生き伸びている最大の要因は
今では世界一(今年度の予測)の空調メーカーとなった
ダイキン工業さんとの繋がりが何よりにも変え難い。

信頼というものは持ちつ持たれつの関係がなければ長続きはできない。
言わば一方通行では不公平になるので
短期ではあり得るだろうが、長くは続かない。

この事はあらゆる生業の基本になっていると思う。
特に商いには¨無償の愛¨などでは生きては行けぬのが現実である。
残念な事ではあるとは思う。


[アメニティの東方向に現れた大きな虹]


さて、そのダイキンさんとの最大の信頼関係は
この会社とのメジャー資格である「特工店」を連続20年保持していることである。
このメジャー資格とは、販売力・工事力・サービス力の
すべてに優れている店だけに与えられている特別なものである。

連続20年の保持は北海道、東北、新潟地区ではダントツのトップであって
ましてや東北新潟地区には特工店資格を有している会社自体がMRNのみである。

また、ダイキンさんとの取引は、それ以前の昭和45年からスタートしたので
40年もの長い間信頼関係を保って来た事になる。(自慢したくないが現実)

今、その会社を次に繋ぐことに取り組んでいる。
会社は長くさえやれば良い結果を必ず残すというものではない。
今では創業の遺伝子を受け継いでいる社員も殆ど居なくなり
決してあるべき姿とは言えない方向、血の通わない会社になって来たとも聞く。

若い連中の生活の場を守るためにも
ユーザーの財産を守り、安心安全を保障するためにも
この会社に新鮮な血液を送り込む時期と判断し知恵を出し合っている。

CO2削減、地球温暖化対策、省エネルギーや新エネルギーが時代のキーワードになっているが
そうした目先の改善や改革だけでは50年企業、100年企業には難しい。
今まさに旧いカラーは脱ぎ捨てなければならない。
第一創業は40年で終焉として、第二創業を若手中心でスタートする時が来た。



[次世代を担う子供たちの為にも素晴らしい未来を!]



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西表島は癒しの島?その2

2011年09月30日 | Weblog
昨晩の石垣美咲町での泡盛の心地よい酔いを多少朝に感じつつ、西表島行きの船人となる。

この辺りでは船は唯一の島に渡る交通手段であり、朝の時間は通いでだろうが働きに行く人と観光客で満席である。
船酔いには強い方だが最船首の席を取る、その心配も余分で快適な海原を小一時間、初めての西表島の上原港に着く。


西表島DIV(ダイパー船からの島方向)

この島は太平洋・東シナ海の海域にあって北緯24度、面積289km2、海岸線長130km、最高標高は古見岳の469m、人口2,000人。
沖縄本島に次ぐ広さの未開発のままの自然に恵まれた雨が多い(平均降水量2,342mm)島である。


西表島DIV(サンゴの島)

特別天然記念物や天然記念物の宝庫であり、特別国立公園に指定されている。
有名なイリオモテやま猫は100匹くらいいるそうだが、夜行性の為滅多に見る事はできない。


浦内川・亜熱帯雨林をカヌーでのマングローブ学習

今回のガイドをお願いしたDiving Shopウォーターマンの徳岡さんが港で待っていた。
今宵からの宿「カンピラ荘」に荷を下ろし早速のFan-Divingに出かける。


西表島の宿・カンピラ荘


西表島の居酒屋
DAIVINGshopウォーターマン徳岡さんと一杯


西表島のカラオケスナック
DAIVINGshopウォーターマン徳岡さんノド前披露

…………(^O^☆♪………(^-^)/…………( ´ ▽ ` )ノ…………(`_´)…………………

予定では4日間で8本のDiving予定であったが、台風15号が近づいて来た事もあり3日間6本で切り上げる。


西表島DIV・お疲れモードのお二人

確かに西表島の海には珊瑚が多く大事に育てている様子なので、日本の宝として世界遺産登録の可能性もあり海も綺麗である。
しかし、どうしてもいつも行っているフィリピンアポ島の海と比較してしまう。その感想は顔文字の如くとなる。


浦内川上流ピナイサーラの滝・著者滝壺に沈没


浦内川上流ピナイサーラの滝・著者滝壺から脱出


浦内川上流ピナイサーラの滝・修験者風の筆者


浦内川上流ピナイサーラの滝・修験者経験中の3人

同じ趣味をもつ仲間との6帖間での雑魚寝を4泊、毎晩泡盛での宴は楽しいひと時であった。
宿の逗留客には、蝶々を求めて全国を歩いている学者風の方、曰くありげなうら若い一人旅の女性、
ジャングルでのビックフィッシュを目当てに訪れている釣り人等と出会ったが、
カンピラ荘の客間に現れる正体不明のヒゲ面のクマさん(残念ながら写真は無い)が最も印象的であった。


西表島・浦内川上流マリュドウの滝を望む


カンピラ荘で仮眠中の筆者

台風も近づきつつある為、予定を一日早くして戻る事となる。
そう言えばヨモギが入ったヤギ汁も初めて食した大変精がつくと言っていた。
石垣美咲町のMIYAに顔出せなかったのが、唯一心残りの旅となった。



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西表島は癒しの島?その1

2011年09月29日 | Weblog
9月も数日を残すのみになっている。
石垣島の南で熱帯低気圧から、極めて遅い速度の台風15号に変わった9月の半ば
盛岡のDIV仲間3人と連れ添ってこの島に初めて足を踏み入れた。


西表島(八重山諸島最大の島)


盛岡のDIV仲間

盛岡〜仙台〜那覇〜石垣〜西表島(石垣からは離島行きの船で1時間弱)と
車と空と船を経由して大凡10時間で辿り着く。

今回の旅では途中の石垣に宿を取って、西表島には翌朝行くことにしていた。
長旅ではあったが石垣の宿に着くなり荷を放り投げ、早速美咲町の沖縄料理店に出向いた。


石垣美咲町の沖縄料理店(Tさんと坂本DIVER)

ここで盛岡から移り住んでいる良さんと1年振りの再会祝宴となった。

彼は還暦を機に2年ほど勤めた石垣の土木会社を辞めて今は浪人中。
石垣には10年も通い、その後在住が丸3年となっている。

1年前のブログにも登場して貰った人であるが
兎にも角にも石垣島と波照間島がことのほかお気に入りだ。


良さんが送ってくれた波照間の朝風景1

彼は今や波照間島の民宿“玉城”の常連客を乗り越え、常連客のみ許されていると云われる
“玉城Tシャツ”を着ることができる幹部(ナンバー3とか)の位置にある様だ!?

ネットにも載っているが、この民宿“玉城”は芸能界を去った島田紳助が
日本で一番きたない民宿と言って話題になった所である。


良さんが送ってくれた波照間の朝風景2

彼から盛岡では到底手に入らない波照間泡盛の“泡波”や波照間の“黒糖”、石垣ペンギン食堂の“ラー油”や石垣の“自然塩”をよく貰う。
実はこれらの品にはとんでもないブランド価値がある。

特にも“泡波”は波照間でも石垣でも滅多に手に入らない、ネット価格では10倍はしている逸品である。
我が家には数本あるが、今やこの価値が分からない方には
振舞わないことにしているケチな自分にしてしまった“泡波”である。


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立佞武多(たちねぷた)は東北の誇り

2011年08月30日 | Weblog
今年の夏は初めて五所川原に足を踏み入れてみた。
以前からここ五所川原市の“立ちねぶた”は最高だと聞いていたからである。

歴史的には400年の伝統をもつ火祭りとか!
この時期の宿が問題だと聞いていたので
年が明けて間もなくの頃、鰺ヶ沢温泉に宿の予約を取っての祭り見学となった。


「巨大ねぷたが五所川原の記録に登場するのは明治40年頃らしい」


「戦後2度の大火で街が全焼、設計図や写真も消失し巨大ねぷたは姿を消した」

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そう言えば10年ほど前だったか、安さが売り物の観光バスで“青森ねぶた”も見学したことがある。
祭り会場に夕方着いたなら弁当を渡されて、後は自由に見てくれと言われた。
2時間も見たなら飽きてきたし、ねぶたの廻りで跳ねているハネトにも、見ている側からは何か違和感があって見学した。

ようやく夜10時頃に観光バスが迎えに来て、十和田湖の宿に向かった。
そして宿に着いたのが午前1時近かったと記憶している。
それも旧い宿で知らない方と4人の相部屋であった、という苦い経験である。

私が見学した中での全日本クラスの有名な祭りは
“富山の風の盆”、“秋田の竿灯”、“青森ねぶた”、“大曲の花火”、“札幌雪まつり”、“山形花笠音頭”である。

祭り見学は重労働なので、本当はあまり好きではない。
そんなこと言いながらも“リオのカーニバル”には感動した記憶がある。

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さて、五所川原市“立佞武多(立ちねぷた)”の話に戻る。
この町は金木と合併した奥津軽の入り口で、人口6万人ばかりの町である。
長い伝統に支えられている“立佞武多(立ちねぷた)”の勇壮さには痛く感動した。


「1993年に当時の設計図と写真が発見され、翌1994年に復元」

小さな町の狭い道路を目一杯に、高いものは25mもある大構造物の絵巻が
電線や電柱、看板を上手く摺り抜け避けながら2時間ばかり掛け
18台の勇壮山車が運行する姿は真夏の暑さも忘れて見学した。
“青森ねぶた”を悪く言う訳ではないが、あっちが前座でこっちが真打ちの様な気がした。


「1998年、80年ぶりに“五所川原たちねぷた”は復活した」

初日に行ったので、大好きな吉幾三も祭りを大いにもちあげての出演をしていた。
ふるさとに戻って水を得た魚の様なはしゃぎぶりで、満面笑顔で持ち歌を披露していた。
金木町にはホワイトハウスと呼ばれる吉幾三邸があるそうだが、今回は見学できなかった。

今回は鰺ヶ沢温泉〜十三湖〜竜飛岬〜酸ケ湯温泉〜八甲田〜十和田湖を廻っての旅と相成った。
友人と家人の3人旅、3日間の走行距離700kmを一人の運転ではきつかった。

そう言えば、最近のブログには全く仕事に関することは書いていない。
読んでくれている方は遊んでばっかりいる奴だと思っていることであろう。
そう言われても否定はしない自分ではある(●^o^●)



<銭明日二世こと菅村経悦>
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男って辛いよな

2011年08月29日 | Weblog
我が家の玄関入口は、2階まで吹き抜けになっている作りである。
玄関周りを明るくする為の明かりとりに、ガラスブロックを多く施してある。

このところの大きな地震で、そのガラスブロックの補強の為の目地材が一部崩壊された。
このままでは、ブロックそのものも崩壊する可能性もあるので気になっていたが
この週末を利用して修理した。

結構高い場所であったので、長梯子に寄る高所作業の為
昇ったり下ったりの時間が多い重労働だった。



「今月に行った五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)」


「青森県五所川原市で8月4日から8月8日に開催される祭り」


挙句は家人といささかコミュニケーションが欠落していることもあり
助手もなしの為に益々難儀な修理であった。
また、修理作業ってやつは思いがけないことばっかり発生し、結局二日掛かる羽目になった。

自分にこういう住宅メンテが全く出来ないなら諦めもつくが
修理作業によっては中途半端に出来る器用さもあるもので、ついつい手掛けてしまうのだ。



「囃子方のかけ声は、青森の“ラッセラー”に対し“ヤッテマレ”」


「“ヤッテマレ”は津軽弁で、標準語の“やってしまえ”に近い意味らしい」


こういう事も今の仕事を一人で始めた頃、メンテサービスも工事もこなして覚えたので
たいていの事は実は自分で修理可能なのである。

業者に依頼すれば10万円程度は取られても不思議ではない作業である。
然し家人からは余り賞賛の声はなかった。
コミュニケーションが壊れている間は、自己満足する以外にない。
男って辛いよな(+o+)


<銭明日二世こと菅村経悦>
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フィリピンビサヤ諸島4「不老長寿は竜宮城にあり」 <後編>

2011年08月04日 | Weblog
人間の身体は60兆個の細胞から出来ています。
その全ては酸素無しでは生きていけません。

酸欠はこれらの細胞に十分な酸素を提供出来ない状態の事を指します。
酸欠は代謝障害や疲労感、頭痛、持久力の低下や活性酸素の増加をもたらし
ガンの発生や動脈硬化といった病気発生の元となってしまいます。


超ミニの“タツノオトシゴ”


バンカーボートからのネグロス島

地上(=1気圧)で呼吸している我々は肺を通して酸素を体内に取り込みますが
具体的には赤血球中のヘモグロビンが酸素分子と結合する事で、体内に酸素を送り届けます。
これを結合型酸素と言います。


クモエビ(見つけられる?)

ヘンリーの法則により直接血液に溶ける酸素分子もあり(溶解型酸素)ますが1気圧下ではほんの微量です。
ところがスキューバダイビングを行う海中では、この溶解型酸素が沢山体内に取り込まれ
体のすみずみまで、それも豊富な量の酸素が行き渡る状態となります。

ダイビングで安全停止を行う深度3m(1.3気圧)でさえ90分滞在すると溶解型酸素は血液中飽和状態となります。
ましてや深度20m(3気圧)〜30m(4気圧)まで潜り、最終的に安全停止の深度へ来るまで50〜60分潜っている訳ですから
1本潜る度に身体はとてもリフレッシュされた状態になる訳です。


“ウミウシ”のカラーに注目

ダイビングに行かずとも溶解型酸素を身体に取り込む事は、プロのスポーツ選手達の間では普通に行われています。
100万円を超える装置を購入するプロスポーツ選手は沢山います。
でもダイビングは楽しみながら健康になれる最高のホビーです。

これからも銭明日二世さんには、ず〜っと(笑)この趣味に付き合って頂きたく思っております。


お疲れモードの守屋氏

ー 完 ー


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フィリピンビサヤ諸島4「不老長寿は竜宮城にあり」<前編>

2011年08月03日 | Weblog
銭明日二世さんによって「スキューバダイビング」の世界に引き込まれた守屋と申します。
今回のダイブ旅行で累計潜航本数は299本となりました(笑)。
秋には再度銭明日二世さんを誘って、私のメモリアル300ダイブにお付き合い頂こうと考えております(笑)。


クマノミのミニハウス

さてスキューバライセンス取得のオープンウォター・コースを習った人なら誰でも知っていると思いますが
「水圧の掛かった海中に於いては、地上(大気圧=1気圧)では殆ど体内に取り込まれる事の無い窒素が血液中に吸収され
その排出が十分されないまま海面(1気圧)に戻ってしまうと
減圧症(最悪の場合は下半身不随等)となる危険が存在」するという事実(汗)。


ウミウシ


ウミウシ(交尾中)

勿論そうならない様なダイビングスケジュールが組まれていて
潜航中はダイビングコンピューターにて体内の窒素残量を確認したり、潜航深度の警告を受け浅い深度に位置したり
そして最終的には3〜5mの深度で3分程度の安全停止(体内の窒素量を安全なレベルまで排出する)を行うことで
安全で楽しいダイビングを楽しむ事ができます。


珍しい色の“いそぎんちゃく”


フロッグフィッシュ(どっちが頭か?)

安全上の理由により(ダイビング講習では)危険な側面ばかりが強調されるのですが
実は「水圧の掛かった海中に於いて。体内に多く取り込まれる気体」は酸素も同様なのです。
高校の物理で習ったと思いますが“液体に溶け込む気体の量は、気圧に比例して増加する(ヘンリーの法則)”のです。
ビールやサイダーといった炭酸飲料が作れるのもそのお陰です。
従って海中では、地上以上に多くの酸素を体内に取り込む事が出来て、それがアンチエイジングに繋がるのです。


砂に潜りこんでいる魚(名前は調査中)

ー 後編に続く ー


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フィリピンビサヤ諸島3「この国はオカマが一杯」

2011年07月29日 | Weblog
日本とフィリピンは3000kmくらい離れているので、地震などある訳がないと今までは思っていた。
それが何と、この島の西側が震源のこの国では大きな方であろう地震に遭遇した。



7/12早朝4時半過ぎ、ネグロス島ドゥマゲッティのリゾートホテルで揺れの大きさで目が覚めた。
マグニチュード6.5位あったようだ。
日本で地震にならされているせいか慌てることもなかったが
3.11の巨大津波がここに襲ってくれば、防波堤も高い山も余り見当たらないサンゴの島は殆ど壊滅するだろうと思った。


アポ島の海


アポ島のクルーと自分(恥ずかしい)


閉店の“いそぎんちゃく”


銀が目アジ ※このカメラでは撮影が無理

4日間アポ島周辺の海を楽しんだ。
ここは何度見ても素晴らしい海と生物達が満載であり感動する、つくづくDIVINGをやって良かったと思わせる海である。

そう言えばこの国にはオカマちゃんも多いようで、相棒の守屋氏は鋭く探索し見当てる。
一日だけその連中と一緒のDIVINGであった。
日本と同じでオカマに市民権はないと言っていた。
そう言えば愛くるしいクマノミも生れたときは両性なんだそうだから、そんなお国柄もあるのかと思ったりした。

この後の旅は、通い慣れたるボホール島へ移動する。
ここでのDIVINGはこの世界ではトップクラスのバリカサグ島がメインであり有名である。
最近渡比する度に訪れている海ではあるが、アポ島に潜ればいささか差を感じざるを得ない気がしている。
然し定宿のボホールアロナビーチはアフターダイビングが楽しい。


巨大コーラル


ウミウシ(この色に注目)

今回も本格的イタリアンレストランをダイブショップ日本人ボスのレナさんに紹介して貰った。
この店の本格的な釜で焼き上げるピザは絶品だった。
いつもほろ酔いで受ける海岸でのサンドマッサージも大変心地よいが
今回は眠っている内に爪のケアもやってくれたようで手足にマニキュアまで施されてしまった。
自分もかなりオカマっぽくなって来たようである。


ウミウシ(交尾中)


愛嬌をふりまく“ウツボ”

次回はこのシリーズのエンディングとして、相棒の守屋裕之氏に「DIVING健康法」を分かり易く説明して貰うこととする。


巨大なコーラルと守屋氏

彼は私が誘ったダイバーであるが300本に間もなく到達すると言っていた。
自分はやっと260本まできたが、果たして300本までやれるだろうか?
然し今の自分のライフラインはDIVINGと裏表にあるようだ。



<銭明日二世こと菅村経悦>
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