「時計台の鐘」という歌を知っていますか?

2015-01-27 22:52:07 | 音楽(音楽動画・コンサート・オペラ) 

 

  こんにちは

 

  前回、「札幌市時計台」の建物の中をご案内しました。

  今回はその時計台を歌った愛唱歌「時計台の鐘」のお話をしたいと思います。

  ところが先日20代30代の人たちに尋ねてみますと、誰もこの歌を知らないのです。

  昔は教科書に載っていた時代もあったそうですけど、久しく学校でも教えていません

  しテレビやラジオで流れることもまずありませんので、コーラスでもやっていない限り、

  聞いたこともない、というのも当然といえば当然。

  ちなみに「朧月夜」や「浜辺の歌」も知らないということでした。

 

  だったらYouTubeから歌の投稿をお借りしてきて、まずは聴いて頂いて、とサイトに

  入ったところ、ブログに載せられるようなものは残念ながら二つしか出ていません。

  ボーカロイド(人工の声)と男性歌手の懐メロふうの独唱だけ。

  若い人たちにも聴いてほしいので、ボーカロイドのほうを最後にアップいたします。

  北の札幌にこんな歌があると・・よろしければお聴きになってみてください。

  

       

  上の写真は、札幌市時計台。

  このあたりは今でこそ大都会ですけど、昔は開拓途上の田園地帯。

  ここに、北海道開拓に重要な役割を果たした札幌農学校(北海道大学の前身)が

  ありました。時計台は生徒の演武場として建てられたものです。

   

  この「時計台の鐘」という歌は、大正12年(1923年)に若きバイオリニストだった

  高階哲夫(たかしなてつお)が演奏旅行で札幌を訪れたときの印象を歌にしたもの

  だそうです。 以下、敬称を略します。

 

                 「時計台の鐘」   高階哲夫 作詞作曲 

                     

                 1. 時計台の鐘が鳴る  

                    大空遠くほのぼのと

                    静かに夜は明けてきた

                    ポプラの梢(こずえ)に日は照りだして

                    きれいな朝(あした)になりました 

                    時計台の鐘が鳴る

                 2. 時計台の鐘が鳴る

                    アカシアの木に日は落ちて

                    静かに街も暮れてゆく

                    山の牧場の羊の群れも

                    だまっておうちへ帰るだろう

                    時計台の鐘が鳴る

 

  最初に高階哲夫が作った歌を、声楽家だった妻のます子と何度も話し合いながら

  修正し、完成させたのだそうです。

  時計台の一階展示場には、【「時計台の鐘」と高階哲夫】というコーナーがあり、この

  歌に関係する資料が展示されていました。

  バイオリンを弾いているのが作者の高階哲夫。  

                       

  ↑上の写真、左側のレコード盤はこの「時計台の鐘」の歌のテスト盤。

  妻の高階ます子(声楽家・アルト)が独唱し、夫の哲夫がピアノ伴奏を務めてレコ

  ーディングされ、昭和6年に発売されました。

  ↑その隣りの写真は、ます子のピアノ伴奏でバイオリンの独奏をしている高階哲夫。

 

  展示台の前のスピーカーから、ます子が歌っているそのレコードの録音が小さく繰

  り返し、BGMのように流れ続けていました。

  子守唄のような哀調で、歌詞を言い聞かせるように、メロディでなだめて寝かしつけ

  るように、歌っていて、自然に癒されて気分が和んでゆきました。

  当時はこんな歌いかたが流行だったのか、それにしても、爽やかな歌の情景(イメ

  ージ)とは違うので、気になって引っ掛かってしまいました。

  高階哲夫は、この歌をこんなふうに歌ってほしかったのかな。

  

  係り員のかたにこの録音が手に入らないか、尋ねますと、ここの売店に置いてある

  本に同じ録音のCDが付録に付いている、ということでしたので、早速購入。

  手に入ってよかった!

  スペアにもう一冊確保するという念の入れように、我ながら驚いて。

 

  後日、CDを聴いたり本を読んだりしているうちに、もしかすると・・・と引っ掛かって

  いた疑問が解けたような気がしました。

  もしかするとこの時ます子は、ニ人の間の一粒種の女のお子さんに、父が作った歌

  を母の自分が子守唄のように歌ってきかせて、残したかったのかもしれない。

  実は、このレコードが発売されて一と月後に、ご夫婦は離婚しているのです。

  昭和6年、9年間の結婚生活に終止符を打ちました。

 

  本には離婚のことについては触れるくらいにしか書かれていませんので、詳しくは

  分からないのですけど、このレコードを制作している間にも、離婚後の生活などに

  ついて話し合われていたことは想像に難くありません。

  5、6歳だったお子さんは、高階哲夫のほうが引き取りました。

  ご夫婦はそれぞれ、どんな気持ちで歌い、伴奏をしていたのでしょうか。

  下は、その本と付録のCDです。  

        

  

  お子さんに聴かせる歌を二人で演奏しようと決めて、レコーディングが完成するま

  では離婚しないでいたのかな、と想像したり。

  それとも子供を手放すます子だけが秘かにそんな心情で歌い、いつも母の歌を聴いて

  寂しさが慰められるように、形見に残したいと思って歌ったのか。 

  CDを聴きながらそんなことを思いめぐらせたのでした。

  離婚後ます子は東京から札幌の実家に戻り、後に再婚して北海道に永住しました。

 

  二人は同じ時期に東京音楽学校(現在の東京芸術大学)で学び、卒業後に結婚。

  結婚の翌年、大正12年(1923年)にます子の故郷の札幌で開かれた演奏会で、  

  新婚の夫婦はバイオリニストとして声楽家としてそれぞれステージに立ちます。

  演奏会は時計台の傍にあった豊平館でも行われ、大盛況のうちに終わりました。

  ところが、新聞(北海タイムス)の評で、高階哲夫の演奏がこっぴどい酷評を受け

  てしまいます。

  まだ若い、新進のバイオリニストには大きな痛手だった、傷心の哲夫は札幌の街を

  歩き回り、その時のイメージを歌にした、というのがこの歌の誕生の定説になって

  いるようです。

 

  今はお二人ともお亡くなりになっています。

  最後の~時計台の鐘が鳴る~で、希望が見えてくるような気がしました。

 

  ↓最初に、この時計台の鐘の音の録音が入っています。

            
                http://youtu.be/2BZ1vre3jHA
    
                                    

  また、↓下記のブログの記事上で、ソプラノ歌手の藍川由美さんの独唱が聴けます。

  よろしければ、どうぞ。情景が目に浮かぶようです。

  http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-0ed8.html

 

                           

 

 

 

 

 

 

 

 


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