麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第556回)

2017-03-20 20:53:32 | Weblog
3月20日

なんと、折口訳「口訳 万葉集」、岩波現代文庫から出はじめました。これもぜんぜん情報を持っていなかったのでおどろきました。「上」には七巻までしか入っていないので「上中下」の三巻本になるのだろうと思います。やはり本当に価値あるものは不滅ですね。すごくそう感じました。老人なので感動しました。ぜひ、読んでみてください。絶対のおすすめです。「詩経」(海音寺訳)の国風よりあとをゆっくり読んでいます。漢字辞典と大辞林とネットで調べつつ。平凡社の中国古典文学大系を参考にしつつ。また、並行して学術文庫の「神曲」をあらためて読んでいます。3年前これを買ったあと、いろいろなことがあってなかなか読み進められなかったのですが、いまようやく帰ってきたという感じです。私にとってダンテは、なにより比喩がすばらしい作家(詩人)だというのが一番の印象です。「~のように」の「~」が、必ず多くの人が目にしたり感じたりしたことのある場面になっていて、そうすることで、ありえない世界のリアリティを背後で支えていると思います。浪人時代、広島そごうの紀伊国屋で山川訳を初めて買い(それしか当時はなかったので)、まず印象に残ったのは、「かろうじて岸に泳ぎ着いた難破の人が、自分を飲み込もうとした波を振り返ってじっとみつめるように」(言葉は今適当に私が作ったものですが)というフレーズがあり、鳥肌が立ちました。それまでそんなことを書いたものを読んだことがなかったからです。なぜ危険から逃れた後人間はそうするのか。わからないけど、そうしますよね。こんな人間観察の記録が神曲には随所に織り込まれています。物語より私はそれを楽しんでいるような気がします。――使い方は違うけど、「~のように」を同じぐらい多用する作家はあと一人しか知りません。プルーストです。「失われた~」全体が「~のように」のかたまりといってもいいかもしれません。まるで小説のように、まるでエッセイのように、まるで人生そのもののように語られた一冊の本。「ある一つの映像の回想とはある一つの瞬間への哀惜でしかない。そして、家々も、道路も、大通も、逃げさってゆくのだ、ああ! 年月と同じように。」(「スワン家のほうへ」井上究一郎訳)。
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