まりっぺのお気楽読書

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フランス王アンリ4世愛妾 シャルロッテ=マルグリート

2017-06-02 21:54:09 | 王の寵姫・愛妾
アンリ4世最後の恋?
コンデ公妃 モンモランシー公 
         シャルロッテ=マルグリート・ド・モンモランシー


1594〜1650/愛妾 不明

シャルロッテは、モンモランシー公アンリの娘さんで
“ たぶん ” アンリ4世の愛妾だった、と言われています。
なんでも、妊娠した時に「王と結婚する!」と言いふらしたので、王妃マルゴが激怒して
追い出そうとした…というエピソードがありますが、マルゴは1599年に離婚されてるんで
マリー・ド・メディスシスの間違いか、後から盛られた話だと思います。

       
アンリ4世は(人妻じゃないと姦通になるので)シャルロッテとコンデ公アンリ2世の結婚を
自らアレンジしました。
こうしてシャルロッテが15歳の時に結婚したわけなんだが
コンデ公はその後、シャルロッテを連れて自分の領地に逃げこんじゃって
1610年にアンリ4世が亡くなるまで宮廷に顔を出すことはありませんでした。
アンリ4世の面子丸つぶれ! 怒ったでしょうねぇ…

ということは、さきほどの「王と結婚する!」説はいつの話しなんでしょうね?
まさか15歳になる前? やっぱり誰かの作り話か?

夫のコンデ公は、枢機卿アンクレに冷遇された他の貴族たちと同調して
アンリ4世が生前進めてきた政策を破棄しようとして
1616年にヴァンセンヌに投獄されました。
この時、シャルロッテも一緒に投獄されて、長女アンヌはそこで3年後に生まれました。
投獄といっても夫婦で入っていられたわけね? 牢屋じゃなくてお部屋だったのかしら?

1632年に、兄のモンモランシー公が、枢機卿リシュリューへの反逆罪で処刑されたので
モンンモランシー公領を継承しました。

激動の青春時代の後は穏やかな生活を送っていたのか、あまりエピソードがありません。
夫コンデ公アンリ2世の死から4年後の1650年に、56歳で亡くなりました。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー


BIGBANGのファンミに行って、ジヨン・ヨンベ・テソンの今後の嬉しいニュースや
スンリの会社概要などを聞いて楽しく過ごしましたが、昨日悲しいニュースが…
でも「また5人でドームの舞台に立つ」という言葉を100%信じてます!


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