
宝石のドレスを纏った花嫁
マクシミリアン1世妃 ビアンカ・マリア・スフォルツァ
1472〜1510/在位 1508〜1510
愛妻マリア・フォン・ブルグントの死から26年、マクシミリアンが再婚します。
なぜいきなりイタリアから?
この当時はフランスがイタリアへ進出し始め、ナポリなどの支配権を主張していました。
“ 神聖ローマ皇帝 ” としては黙っていられませんね! あまり関係はないけど。
スフォルツァ家はミラノですよね?
フランスはミラノの権利も主張していたので、その前に手を打っとこうと
ビアンカを選んだのかもしれません。

ビアンカはまだ2歳にも満たないうちに従兄弟のサヴォイ公フィリベルト1世と結婚、
相手も9歳ですから結婚したと言えるのかはどうかは分かりませんが
8年後にフィリベルトが亡くなって、わずか10歳で未亡人になりました。
22歳の時にマクシミリアンと再婚します。
結婚式の時、ビアンカはルビーや真珠からなる80ピースものジュエリーアートで
飾られたボディスを着ていました。
それに持参金も、40万ダカット? なんだかとってもすごい金額だったらしい。
マクシミリアンはビアンカとの結婚を理由にミラノ君主を宣言しましたが
これにシャルル8世の姉で摂政だったアンヌ・ド・ボージューが激怒し軍事介入して来ました。
この後、ヴァロア家とハプスブルク家はイタリアを巡って戦いを続けることになります。
人の国でなにやってるんだか…
すでにフリードリヒ3世と共治王になっていたマクシミリアンは
1508年にローマ皇帝になります。
ビアンカはその2年後に38歳で亡くなりチロルのシトー派修道院に埋葬されました。
宝石と持参金以外にエピソードがないというのも… なんだか悲しいですね。
ところで、ビアンカの義理の姉(父の愛妾の娘)がカテリーナ・スフォルツァです。
“ 泣く子も黙る ” 彼女のエピソードはまたの機会に…
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』 Wikipedia英語版)
マクシミリアン1世妃 ビアンカ・マリア・スフォルツァ
1472〜1510/在位 1508〜1510
愛妻マリア・フォン・ブルグントの死から26年、マクシミリアンが再婚します。
なぜいきなりイタリアから?
この当時はフランスがイタリアへ進出し始め、ナポリなどの支配権を主張していました。
“ 神聖ローマ皇帝 ” としては黙っていられませんね! あまり関係はないけど。
スフォルツァ家はミラノですよね?
フランスはミラノの権利も主張していたので、その前に手を打っとこうと
ビアンカを選んだのかもしれません。

ビアンカはまだ2歳にも満たないうちに従兄弟のサヴォイ公フィリベルト1世と結婚、
相手も9歳ですから結婚したと言えるのかはどうかは分かりませんが
8年後にフィリベルトが亡くなって、わずか10歳で未亡人になりました。
22歳の時にマクシミリアンと再婚します。
結婚式の時、ビアンカはルビーや真珠からなる80ピースものジュエリーアートで
飾られたボディスを着ていました。
それに持参金も、40万ダカット? なんだかとってもすごい金額だったらしい。
マクシミリアンはビアンカとの結婚を理由にミラノ君主を宣言しましたが
これにシャルル8世の姉で摂政だったアンヌ・ド・ボージューが激怒し軍事介入して来ました。
この後、ヴァロア家とハプスブルク家はイタリアを巡って戦いを続けることになります。
人の国でなにやってるんだか…

すでにフリードリヒ3世と共治王になっていたマクシミリアンは
1508年にローマ皇帝になります。
ビアンカはその2年後に38歳で亡くなりチロルのシトー派修道院に埋葬されました。
宝石と持参金以外にエピソードがないというのも… なんだか悲しいですね。
ところで、ビアンカの義理の姉(父の愛妾の娘)がカテリーナ・スフォルツァです。
“ 泣く子も黙る ” 彼女のエピソードはまたの機会に…
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』 Wikipedia英語版)









