北欧神話シリーズ、ルンド作ノルン
信心深いことだけ・・・
スヴェルケル2世妃 ベネディクタ・エッベスドッテル
1165頃~1200頃/在位 1196~1199
スヴェルケル2世の妃ベネディクタはデンマークのシェラン島生まれで
デンマーク貴族エッベ・スネッソン・アヴ・へヴィーデの娘です。
スヴェルケルの母クリスティーナと同じ一族の出なのですが関係が不明。
父親の母方でクリスティーナの父親と繋がっていたみたいです。
スヴェルケルはクヌートが王に就いている間、母親の故郷に連れていかれ
へヴィーデ一族の中で成長しました。
ベネディクタとスヴェルケルが青春時代から愛を育んでいたのか
親同士の思惑なのかは判りませんが、ベネディクタが20歳ぐらいの時
スヴェルケルと結婚したと考えられています。
1196年にクヌート1世が亡くなった時、彼の王子たちはまだ子供で
スヴェルケルが王に選出されて即位しました。
ベネディクタは王妃になった頃から、フランス帰りで聖職者中心の政治を主導していた
アンドレアス・スネッセンと親しく交際するようになりました。
ベネディクタは敬虔で、何ごとも教会や大司教オーロフの希望に沿うよう尽力しました。
お子様は3人います。
長女クリスティーナの娘クリスティーナは、スウェーデン王エリク11世妃になります。
1200年頃に亡くなっていますが、死因ははっきりしません。
出産が原因だと言われています… でーもー、スヴェルケルはすぐ再婚してるのよね。
最近何でも勘ぐるようになってしまったわ…いかんいかん
実家と権力争い
スヴェルケル2世妃 インゲゲルド・ビュリイェルスドッテル
1180頃~1210以降/在位 1200~1208
スヴェルケル2世の再婚相手インゲゲルドはビェルボ(フォルクンガ)家の
ヤール(摂政)ビュリイェルと、マグヌス2世未亡人ブリギッタの娘です。
スウェーデン最強の家柄をバックに夫スヴェルケルの治世をバックアップしました。
1202年に父ビュリイェルが亡くなった時、インゲゲルドとスヴェルケルは
王子ヨハンをビェルボ家の首長にしようと考えて、ビェルボ家との争いが勃発します。
1205年、オールガレースの戦いでクヌート1世の王子が亡くなると
ビェルボ家はインゲゲルドと手を切りました。
ただの家族の内輪もめじゃありません。
当時の国家権力を大きく分ける家同士の争いです。
インゲゲルドは実家と夫の関係を修復しようと頑張りましたが上手くいきませんでした。
1208年には兄クヌートがレーナの戦いで亡くなっていますし
1210年には兄フォルケがGestilrenの戦いで亡くなりました。
この戦いでスヴェルケルも廃位されてしまいました。
その後のインゲゲルドについてははっきりしていないのですが
たぶん弟のマグヌスとスコーネ地方で暮らしたんじゃないかと…追放されましたかね?
1230年頃に亡くなったと考えられています。
ここらへん、スヴェルケル家とエリク家が王位を奪い合ってます。
そこに絡んで来るのがビェルボ(フォルクンガ)家…
家系図を作ってても王家が行ったり来たりで、誰の子だかわからなくなってきてます。
王妃になったからって “ 人生上がり! ” といわけではなかったんですね。
なってからの方が厳しかったりして…
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
信心深いことだけ・・・
スヴェルケル2世妃 ベネディクタ・エッベスドッテル
1165頃~1200頃/在位 1196~1199
スヴェルケル2世の妃ベネディクタはデンマークのシェラン島生まれで
デンマーク貴族エッベ・スネッソン・アヴ・へヴィーデの娘です。
スヴェルケルの母クリスティーナと同じ一族の出なのですが関係が不明。
父親の母方でクリスティーナの父親と繋がっていたみたいです。
スヴェルケルはクヌートが王に就いている間、母親の故郷に連れていかれ
へヴィーデ一族の中で成長しました。
ベネディクタとスヴェルケルが青春時代から愛を育んでいたのか
親同士の思惑なのかは判りませんが、ベネディクタが20歳ぐらいの時
スヴェルケルと結婚したと考えられています。
1196年にクヌート1世が亡くなった時、彼の王子たちはまだ子供で
スヴェルケルが王に選出されて即位しました。
ベネディクタは王妃になった頃から、フランス帰りで聖職者中心の政治を主導していた
アンドレアス・スネッセンと親しく交際するようになりました。
ベネディクタは敬虔で、何ごとも教会や大司教オーロフの希望に沿うよう尽力しました。
お子様は3人います。
長女クリスティーナの娘クリスティーナは、スウェーデン王エリク11世妃になります。
1200年頃に亡くなっていますが、死因ははっきりしません。
出産が原因だと言われています… でーもー、スヴェルケルはすぐ再婚してるのよね。
最近何でも勘ぐるようになってしまったわ…いかんいかん
実家と権力争い
スヴェルケル2世妃 インゲゲルド・ビュリイェルスドッテル
1180頃~1210以降/在位 1200~1208
スヴェルケル2世の再婚相手インゲゲルドはビェルボ(フォルクンガ)家の
ヤール(摂政)ビュリイェルと、マグヌス2世未亡人ブリギッタの娘です。
スウェーデン最強の家柄をバックに夫スヴェルケルの治世をバックアップしました。
1202年に父ビュリイェルが亡くなった時、インゲゲルドとスヴェルケルは
王子ヨハンをビェルボ家の首長にしようと考えて、ビェルボ家との争いが勃発します。
1205年、オールガレースの戦いでクヌート1世の王子が亡くなると
ビェルボ家はインゲゲルドと手を切りました。
ただの家族の内輪もめじゃありません。
当時の国家権力を大きく分ける家同士の争いです。
インゲゲルドは実家と夫の関係を修復しようと頑張りましたが上手くいきませんでした。
1208年には兄クヌートがレーナの戦いで亡くなっていますし
1210年には兄フォルケがGestilrenの戦いで亡くなりました。
この戦いでスヴェルケルも廃位されてしまいました。
その後のインゲゲルドについてははっきりしていないのですが
たぶん弟のマグヌスとスコーネ地方で暮らしたんじゃないかと…追放されましたかね?
1230年頃に亡くなったと考えられています。
ここらへん、スヴェルケル家とエリク家が王位を奪い合ってます。
そこに絡んで来るのがビェルボ(フォルクンガ)家…
家系図を作ってても王家が行ったり来たりで、誰の子だかわからなくなってきてます。
王妃になったからって “ 人生上がり! ” といわけではなかったんですね。
なってからの方が厳しかったりして…
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)