メグノメ

遷延性意識障害の母と紡ぐ日々

チミビョウとキュウジョウ

2013-07-15 23:59:30 | Weblog

drawing by:いちねんせいのまー画伯





「軍隊はいらないというなら、もし攻めてこられたとき、どうするの?」



という質問に、ふと、
『治未病(未病治)』という、東洋医学の有名な考え方があたまに浮かんだ。


上工治未病、中工治已病。
(上工は未だ病まざるを治し、中工は已に病みたるを治す。)
                   ―『難経』七十七難
優れた医者は、病気になる前に治し、
並の医者は、病気になってしまってから治す。
ということ。



家のそうじでも、そうだなあ。
ちゃんとやる人は、毎日、汚れる前にきれいにしてるから、
汚れるヒマなんてないんだ。
たくさん汚れてしまってから落とすのは、大変だし、汚れが残ることもある。


こじれて悪化した病気を治したり、
汚れきった部屋をきれいに磨いたりすれば、
「わぁ!すごい」「ありがとう!」「良い腕してるね!」
ってなる。
お金も入ってくるかもしれない。

だけど、ひどい病気にならない状態をずっと続けたり、
部屋をきれいなまま保てるほうが、
ずっと大変だし、尊い。
それなのに、それは変化が目に見えてこないので、
人に気づかれることが少ない。
感謝されたり、ほめられたりすることも少ない。



日本国憲法第九条は、後者の役割に似てるんだな。


戦争できる状態にしておいて、
他国から自国を守ったら、そりゃ目立つし、
「うちの国すごい!」「守ってくれてありがとう!」「万歳!」
とかなるかもしれない。
お金もいっぱい動くねえ。


だけど本当は、争い合うような状況をつくらないほうが、
ずっと大変だし、尊い。
積み上げてきたものなしには、実現し得ない。
それなのに、それは目に見えないことなので、
人に気づかれることが少ない。

それを実現しているのが、九条だと思うのだ。




すると、冒頭の疑問へのこたえは、こんなふうに見えてくる。


並のくには、戦争できるようにしておいて、軍隊で守る(ふりをする)。

一流のくには、戦争をつくらない。


てか。





”戦争をつくらない”て書いたら、そういえばこんなえほんがあったことを思い出した。
戦争のつくりかた











War Again - Balkan Beat Box








最新の画像もっと見る

コメントを投稿