マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

断捨離・・・『捨てて、残す』 そして 『わたしの母、わたしの兄弟とはだれか』

2018-01-23 20:46:29 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
『断捨離』

★入ってくる不要な物を『つ』 ★家の中にある不要な物を『てる』 ★ものへの執着から『れる』
  『身軽で快適な人生』を手に入れようという考え方、生き方、処世術です。

   『断捨離』の最終目的は、『煩悩の浄化』ですよね。

私の若き頃の経験。
私の母の習い事の先生の御主人様が、定年退職後に、家族を捨てて 一人で仏門に入られた。』
若かりし頃は そんな断捨離は 理解できなかったが…今では理解できる。私も年を重ねたものです!

そして。  
今朝のジョグ途中にプロテスタント教会の掲示板『今週の一言』をチェックしました。

 『今週の一言』 は 『捨てて、残す』 でした。
         
まず思いつきました。

昨今、流行の・・・   『断捨離』
 
『断捨離完了後の家のイメージ』         ネットで探しました。

『捨てて、残す』
信仰の世界では・・・最期に残るものは『永遠の命』です。 
この世においては・・・最後に残すものは、『信仰と希望と愛』かもしれない。と考えました。

 『それゆえ、信仰と、希望と、愛の三つは、いつまでも残る。』 コリントⅠ13-13

信仰に基づく希望が与えられ・・・その三つの要は愛です
しかもそれは、私たちの持っている不完全な愛だけではなく、完全な『神様の愛』です。
神様の完全な愛が与えられているので、私たちはその愛を信じる『信仰』に生きることができ、
その信仰に基づく『希望・永遠の命』を抱くことができるというわけですね。

それにしても、日曜日に、プロテスタント教会の牧師さんはどんなお説教をなさるのでしょう!


そして。

今日は1月23日。年間第三火曜日。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。』

                マルコ福音書 3-35
今日のイエスは、
『家族』について語ります。

私達の家族 や 神の家族とは、どうあるべきか。 どういう人を家族と呼ぶのか。と語ります。

イエス御自身は、公の人として活躍する時に、『家』を出ました。家族から独立しました。
弟子たちも、『すべてを捨てて』…『私に従いなさい』と、『イエスの御言葉』に従い、『家』を出ました。
天地創造の時の神は、『男は父母と離れて女と結ばれる』と、家族からの独立を命じました。

人は、『捨てて、残す』のです。 『今を捨てて』から『本物が残る』ということでしょうか?

イエスは、いつも、御父・神の望みに従って生活をなさいます。心身共に超シンプルな生活です。
母・マリアは、『息子・イエスの言葉』を理解できない時も、イエスに従って生活をなさいます。シンプルなのです。
私たち・キリスト者は、『神の御心を行う者』として、イエスに従って生活し、『イエスの家族』となるのです。 と、イエスは言うのです。

 
『イエスをいつまでも信じて、イエスにいつまでも従う、イエスの家族

 私たちも、キリストを模範として、キリストに倣って生活をし、信仰を深めて、
  『キリストの家族』となりましょう!『キリストの親戚』となりましょう!

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
血のつながる家族。結婚で出来た家族。信仰の家族。寝食共にする合宿で生まれる仲間の家族意識。等等。
人は多くの家族に守られて生きているのですよね。最後まで残るのは家族でもありますね。お元気で!
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神戸にも雪・・・『全国的雪』 そして 『聖霊を冒涜する者は赦されない。』

2018-01-22 22:52:23 | 大学。大学院。本。映画。
他所に比べ暖かい神戸にも、雪が降った。

窓から眺めるだけ・・・  『初雪』
 
土に降りるととけてしまう。 美しい。

東京でも、高速道路のいくつかが走行禁止になったとか。
美しい!なんて言っていられない。 大事になりませんように!

雪といえば思い出します。
夫の転勤で、ニューヨークからロスアンジェルスに転居となった時のこと。
忘れられない夫の誕生日の11月9日に雪のニューヨークを飛び立った・・・・・
5時間半ほど後に降り立ったロス空港・・・御嬢さんたちはビキニ姿でした。

 アメリカは広い!大きい!でっかい! 改めて思い知らされた経験です。


そして。

今日は1月22日。年間第三月曜日。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『律法学者たちも、
「あの男(イエス・キリスト)はベルゼブル(悪霊の長で、サタンの同義語)にとりつかれている。」と言い、
「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している。」
と言った。

そこで、イエスは律法学者たちを呼び寄せて、語られた。

「はっきり言っておく。
人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。
しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」』

              マルコ福音書 3章22-30節

イエスは、
病人をいやされた時、その病気の原因と思われた悪霊を追い出しておられました。

そこで、
イエスは、反対者から、訴えられるのです。
「イエスは罪人の仲間になって、悪霊の仲間になっており、悪霊の力で、悪霊を追い出している。
イエスの中で、聖霊ではなく、悪霊が働いているのだ。
イエスは聖霊ではなく、悪霊の頭:『ベルゼブル』に取り憑かれているのだ。」
と。


そこで・・・
イエスは、律法学者を呼び寄せ、断言なさったのです。
 

  『聖霊を冒涜することだけは、決して赦されることがない。』と。
  『聖霊』から勧められても、赦しを断る人は、赦されないのです。


イエスは、
何をしたら、『聖霊に逆らう冒涜の罪』を犯したことになるのか、はっきり特定されたのです。
この『冒涜』は、イエス.キリストが聖霊に満たされている代わりに、悪霊に取り憑かれているとすることです。


悪霊を追い出すことができるのは、悪霊より力ある者だけです
イエスの中で、悪霊より大きな力が働いているのです。『聖霊』がイエスの中で働いておられるのです。


しかし、
律法学者や、それを認めたくない人が、大勢いたのです。
それでも、
イエスは、それらの反対者の中でも『聖霊』が働いているので、反対者にも改心を勧めるのです。


 三位一体の神は、人に赦しを与えることを、諦めることはありません。
   ず~と、すべての人の改心を待ち続けておられるのです。
            感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は雪の被害はありませんでしたか? 皆様のご無事をお祈り申し上げます。 お元気で!
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『あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。』 『定められた時は迫っています。』 そして 『時は満ち、神のくには近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。』

2018-01-21 10:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は1月21日。日曜日。安息日です。

都合で・・・   『隣の教会』
 
こちらの教会の方が、私の教会より、我が家から近い

沢山の知り合いと久しぶりの再会で、ミサ後のお茶タイム、話が弾んだ。 
各教会の色があるものです。たまには、他教会訪問もいいものですね。


そして。

今日は、年間第三主日。

主日ミサでは、『第一朗読』『第二朗読』『福音書』、聖書の三つの箇所が読まれます。
三つの箇所は関連しており、司式司祭が説教で、その『関連』をひも解かれるのです。
         それを拝聴するのがとても楽しみの私です。

  今日の司式司祭の、『関連ポイント』は『御言葉の力』でした。


まずは一つ目。

『今日の第一朗読 ニネベの人々の改心』

『主の言葉が預言者ヨナの臨んだ。
「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。」

ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。そして言った。
 
『ヨナの預言』 
 
  「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」

すると、
ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。

神は、彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直されて、宣告した災いをくだすのをやめられた。』
           ヨナ書 3章1-10節

神は、極悪非道な振る舞いをしていたニネベを、滅ぼすどころか、赦されるのです。
ヨナは、自分が想像していた神のなさり方と『神のなさり方』が一致せず、神の思いを受け入れられないのです。

しかし、
神は、”『神の言葉』を告げよ!”と、ヨナに命令します。

  ヨナは、『神の言葉』を聞くニネベの人々が、すぐに神を信じ、すぐに改心する姿を見ます。
  ヨナは、『神の御言葉』には、”何と力強さがあることか!”、と気づくのです。

   ニネベの人々は、『神の御言葉』を聞き、瞬時に、回心しました。

次に。二つ目。

『今日の第二朗読 使徒パウロの説教』

『兄弟たち、わたしはこう言いたい。
   定められた時は迫っています。

今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、
喜ぶ人は喜ばない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。
   この世の有様は過ぎ去るからです。 
    使徒パウロのコリントの教会への手紙 7章29-31節

   『パウロの言葉』:『定められた時は迫っています。』
『定められた時』とは・・・
ある人には『救いの時』です。ある人には『イエスに出会う時』です。ある人は『裁きの時』と考えるでしょう。

  パウロは、『定められた時』が迫っているので・・・
今ある状態を捨てろと言うのではなく、今ある状態を超えて、『主を愛し、主を迎えなさい』と言うのです。

  すべてこの世のものは過ぎ去るのですが、『神の御言葉』だけは永遠に残るのです。


そして。三つ目。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて、
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と言われた。

イエスは、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、船の中で網の手入れをしているのを御覧になると、
すぐに彼らをお呼びになった。
 「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう。」
 
 
この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に残して、イエスの後について行った。』
               マルコ福音書 1章14-20節

   イエスの宣べる『神の福音』は『改心しなさい。神の国は近づいた。』です。
  人々は、『改心の力』が、『御言葉』から与えられることを経験するのです。


  二人の漁師も、『イエスの言葉』を聞いた時に、瞬時に、『回心の力』が与えられたのです。

そして。
現代。

  私たちキリスト者は、この新しい2018年が・・・
『御言葉』を聞き、『御言葉』に従って行く一年であるように祈りましょう!
           司式司祭様の祈りでした。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いかが日曜日をお過ごしでしたか? 続く1週間への力が充電できましたか? お元気で!
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人気本は1年待ち・・・『図書館貸出本』 そして 『一同は食事をする暇もないほどであった。』

2018-01-20 22:19:13 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
物事には、旬がある。ブームがある。

一年間待ちで・・・   『九十歳。何がめでたい』
 
「ご予約の本が準備できました。」と、図書館から連絡あり。

”えぇ? 何の本?” 
ともかく出かけると…「一年前の予約本です。」とのことでした。

予約も忘れていた。
そういえば…一時、おば様は誰もが読むような、『ブーム本』でした。
私のグループでも多くの人が「読みましたよ!」と言うので、買うほどでもなかろうと、図書館本貸し出し予約をしたのでした。

ブームとは恐ろしいような・・・。旬が過ぎれば、話題にすらならないような・・・。

それに引き替え。
『古典』とは、時代の風雪に耐えてきたからこそ、『古典』ですね。
後世に、それを愛し、わが心に温め、生き返らせていく、『普遍の価値』があるのが『古典』ですね。
      『聖書』こそ『古典』です。

『旬の人気本』は、時代の流れに合わせて、楽しめばいいのですよね。
  旬を外れてしまったようですが・・・楽しんで読みましょう!


そして。

今日は1月20日。年間第二土曜日。

『今日の福音 イエス様の人気』

『イエスが家に帰られると、群衆がまた集まってきて、一同は食事をする暇もないほどであった。』
 
 『イエスに従う群衆』
               マルコ福音書 3章20-21節

イエスも、その時代、正に旬の人でした。 大ブームの人でした。

イエスに反感を持つ人々がいる一方、おびただしい数の群衆がイエスに従ったのです。
しかし。
その教えは、時代の流行ではなく、時代を反映するのではなく、『普遍』のものでした。
『イエスの教え』は、人生に対する価値観の転換を求める、『新しい教え』でした。

イエスは、人々の心に訴える教えで人々の心を解放する力を現し、人々を引きつけたのです。

イエスの人気 教えは、時代の風雪に耐えて、いつまでも残る、本物です。普遍です。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いやな流行で、風邪が流行っているようです。 流行に負けないようにご自愛ください。お元気で!
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あらゆる病気や患いをいやす・・・『イエスの12人の使徒の任命』

2018-01-19 21:27:20 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は金曜日。聖書通読会・『聖書100週間』クラスです。
今日も又。
 
小さな町の小さな一軒家に集って、
聖書を読んで分かち合い、いやされ喜ぶ仲間です。


今日の通読範囲は、『マタイ福音書7章~12章』


『今日のイエスの御言葉 12人の弟子を選ぶ』

『イエスはガリラヤ中を回って、
会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。

また、
群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。』
 
『Shepherd Tending His Flock 羊の群れを世話する羊飼い』  ミレー作。

イエスが山に登って、これらと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。
  そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。

 
『12人の使徒の任命』

ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
フィリッポとバルトマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、
それにイエスを裏切ったイスカリオのユダである。

彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。
 汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。』

             以上。マルコ3、13-19 マタイ10、1-4

イエスは、
最初の宣教では・・・

4人の弟子を連れて、ガリラヤ中を回わり、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされました。
その評判を聞きつけて、人々がイエスのところへ、あらゆる病人を連れて来たので、癒されました。
こうして、大勢の群衆が来て、イエスに従ったのです。
 
『イエスに従う大勢の 羊  群衆』     このイラストは現代風過ぎましたね!

次に。

イエスは、
群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れました。



そこで。

イエスは、ご自分の働きを助けるために、12人を選出し、『使徒の任命』をしたのです。


『使徒の役割』

その① 『イエスのそばにいる』
12人は、イエスと共に居るために、選ばれたのです。
彼らの宣教活動は、イエスとの接触や親しさから学び、できるようになるのです。
又、12人は、イエスの親しい仲間となり、仲間同士が互いに結ばれることが、大切なのです。
イエスが選ばれた12人は、『正しい者』だったからではなく、イエスを裏切るユダも徴税人のマタイもいたのです。

その② 『派遣されて福音を宣べる』
イエス御自身も、『神の福音・愛』を宣べ伝えるために、神からこの世に派遣されてきたのです。
12人の弟子たちは、『イエスの福音・愛』を宣べ伝えるために、イエスに選ばれ、世界中に派遣されていくのです。

その③ 『人々のあらゆる病気や患いをいやす』
人々の病をいやし、人々を幸せにすることは、自分の力では無理なこと、『神の権能』を頂いてできることです。
又、キリストなしには私たちにできることではないのですが、イエスはいつもイエスのために働く人と共におられるのです。

更に。
時が過ぎ。

今の時代。
私たちキリスト者も、神に選ばれ、『使徒』とされた者なのです。
私たちキリスト者も、
聖書を読みながら『イエスと共に居る』ことができ、イエスを学ぶことを、求められているのです。
自分の後ろ姿で、『イエスの愛を宣教する』のです。
そして。
病の人の隣にいて共に歩くことで、『人々の病をいやす』ことができるのです。

   皆様!イエスやイエスの時代の使徒たちに倣って、私たちも『愛の人』になりましょう!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
1週間、それぞれのお仕事お疲れ様でした。 良い週末お過ごしをください! お元気で!
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人生って不思議なものですね・・・『売家』 そして 人生って嬉しいものですね・・・『ダビデの救出』

2018-01-18 21:41:54 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
仲良く30年ほど御一緒だったご近所さんの、突然の引っ越し。
「母の家に移ることにしました」と御挨拶があった。

1週間後・・・   『売家』
 
               ネット上で探した売家です。

『人生って不思議なものですね。』との御挨拶もあった。 どこかで聞いた歌詞ですよね。

お子さまたちはそれぞれに独立なさって・・・、
「母を呼ぶことも考えたのですが…我ながら驚いています!」と、夫婦二人になった友人の英断でした。

お見送りしながら・・・
心ひそかにうれし涙を流したりして、お母様との新しい人生に応援歌を送りました。


そして。

今日は1月18日。年間第二木曜日。

『今日の第一朗読 サムエルの救出

『サウル王は激怒して、悔しがって言った。

「ダビデには万、わたしには千。あとは、王位を与えるだけか。」
 
『ダビデの弾く竪琴に聞き入るサウル』 こんな仲良しの二人の時もあったのに・・・人生って不思議なものですね。 
                            レンブラント画。

この日以来、サウル王はダビデをねたみの目で見るようになった。
サウルは、息子のヨナタンと家臣全員に、ダビデを殺すようにと命じた。

しかし、サウル王の息子ヨナタンはダビデに深い愛情を抱いていたので、
 
『ダビデとヨナタン』

ヨナタンは父サウルにダビデをかばって話した。

「王が僕であるダビデのゆえに、罪を犯したりなさいませんように。
彼は父上に対して罪を犯していなばかりか、大変お役に立っているのです。
彼が自分の命にかけてあのペリシテ人を討ったから、主はイスラエルの全軍に大勝利をお与えになったのです。
なぜ、罪なき者の血を流し、理由もなく、ダビデを殺して、罪を犯そうとなさるのですか。」

サウル王は、 息子ヨナタンの言葉を聞き入れて誓った。
「主は生きておられる。彼を殺してはならない。」
              サムエル記上 18章6-19章7節


    サムエルもダビデも、神に選ばれ、油注がれて、イスラエルの指導者となった人達です。
しかし。
王となったサウルは自分中心となり…神への従順や信頼が揺らぎ、神の霊がサウルから去るのです。
青年となったダビデは神への信頼を失わず…神の霊と共に成長をしていきます。

  人は、神と共に、 又 自分を支えてくれる人と共に、人生を全うしていくのです。
  一方。
  人は、力を持つ時に、神を忘れて、支えてくれる人たちへの感謝も忘れる場合が多多あるのです。

旧約時代では、預言者が現れ民に『神の言葉』を想起させ、戒め、民に罪を犯さないように訴えます。
同様に。
罪なき者の殺害で罪を犯そうとするサウロは、息子ヨナタンの忠告で、サウロの罪は守られたのです。
命の危険に遭遇するダビデは、ダビデを自分自身のように愛する友人ヨナタンが助けて命が守られたのです。


又、思い出しました。
人は、かよわい、かよわいものですね。それでも、未来達は、人待ち顔して微笑む。
        人生って、嬉しいものですね。
  人生を重ねて…歌詞の意味も分かってくるような・・・。

サウルとダビデの人生を学び、ヨナタンの『適切な忠告』をする懸命さを知り、友人の転居の時を知り、
今日も、
”私はどのような人生が待っているのか?”と、『神の御旨』の計り知れなさを覚えます。身を引き締める思いです。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、人生を計画する方ですか? それとも 神任せですか? どちらもありですよね。
予期しない人生でも、それを受け入れる強さを持っているか否かが、問われますね。 お元気で!
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財産を貧者に与えて荒れ野に引きこもった・・・『聖アントニオ修道院長』 そして 万軍の主の名によって戦う・・・『少年ダビデ』

2018-01-17 23:39:50 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は1月17日。 『聖アントニオ修道院長 記念日』

 
『聖アントニオ修道院長』

250年頃。 「修道生活の父」として知られるアントニオは、エジプトに生まれた。
18歳。 両親の死後、財産を貧者に分け与えて、荒れ野に引きこもり、
そこで禁欲の生活を始め、多くの弟子が彼に師事した。
ディオクレチアヌス帝による迫害のときに信仰のために苦しみを受けている人々を支え、
アリウス派に対して戦った聖アナシオを助けることなどによって、教会のために働いた。
356年。106歳頃。 死去。
                 『毎日の読書』より

   聖アントニオ。
   106歳の長寿には驚きますね。
  『長生き』と『力』の両方を、神から与えられたのですね。素晴らしい!

    『人の思慮深さこそ白髪であり、汚れのない生涯こそ長寿である。』 知恵の書4-9
神に全てをゆだねた聖アントニオ修道院長は、思慮深さと汚れのない生涯と長寿。神に愛されたのですね。

そして。

『今日の拝領唱 イエスの御言葉』

『完全になりたいなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人たちに与えなさい。
   それから、わたしについてきなさい。』

                    マタイ福音書 19-21

もう一人。
ダビデも、神に従い、神に愛された人です。

『今日の第一朗読 青年ダビデの信仰

『ダビデは(王)サウロに言った。

「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、
あのペリシテ人の手からも、私を守ってくださるにちがいありません。」

ペリシテ人は、盾持ちを先に立て、ダビデに近づいてきた。
そして、自分の神々によってダビデを呪い、こう言った。
「さあ、来い。お前の肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう。」
 
『ダビデとゴリアテの戦い』

だが、ダビデもこのペリシテ人に言った。
「お前は剣や投げ槍でわたしに立ち向かって来るが、
わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。
今日、主はお前の私の手に渡される。

主は救いを賜わるのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべてのものは知るだろう。」


ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げ紐を使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。
石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。
ダビデは石投げ紐と石一つでこのペリシテ人に勝ち、彼を撃ち殺した。
 
『ダビデの勝利』

ダビデは走り寄って、そのペリシテ人の上にまたがると、
  ペリシテ人の剣を引き抜いてとどめを刺した。』
                    サムエル記上 17章32-51章

神に全てをゆだねた青年ダビデは、信仰深さと強い心。神に愛されたのですね。


    イスラエルの王は、一人の人間でなく、神ご自身です。
少年時代に『油注がれた』ダビデは、神に導かれて、敵と戦って危険に遭遇しながらも、勝利を得ました。
私たちキリスト者も、ダビデの信仰に倣って、『日々の闘い』で、剣を上げることなく、勝利を手にしましょう!


    『神がいかなる時も私を守って下さる』
ペリシテ人が攻めてくるような いかなる事態でも、神は小さな私を守ってくださるという『確信』と『信仰』は、   
   私を、『不動な者』 『自信に満ちあふれた者』としてくれるのです。強くなれるのです。


 
今日も、聖アントニオ修道院長と青年ダビデの信仰から、『強い心』と『強い体』になる方法を学びました。感謝!感謝!
  

『今日の祈願』

『全能の神よ、
あなたはアントニオに、闇の力に打ち勝つ恵みをお与えになりました。
私たちも、神の恵みに強められ、悪のいざないをいつも退けることができますように。』

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『日々の闘い』は、おいしそうな『りんご』のような『悪の誘い』ですよね。負けては大変です! ガンバ!そして お元気で!
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突然に天から降ってきた・・・『司祭召命』 そして 『王となるべき者を見いだした。立って彼に油を注ぎなさい。』

2018-01-16 12:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
あと2カ月で…81歳。 あと2カ月で…司祭になられて50年。

今日は、
司祭様と男4人と私(女)の計6人で・・・   『会食』
 
デザートのラズベリーソース・・・  
   『干支のワンちゃんとその足跡』

     『透き通る透明感』
    今日の司祭様の印象です。
  恐れることなく、動じることがない。
田舎の小さな教会で一人…凛と過ごされている。


高校1年生までは、”私にはあり得ない!”と、司祭道は問題外でした。
そして。
高校2年生の時、『突然に天から降ってきました!』と、御自身の『司祭召命』を話される。

  私のほほを、突然に、涙が流れた。
神の偉大な働きと、『神の声』に従順に応えて生涯を送る司祭様に、感謝と感動の涙が流れた。


そして。

今日は1月16日。年間第二火曜日。

『今日の第一朗読 ダビデの召命

『主は(預言者)サムエルに言われた。

「角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。
わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした。」

サムエルはエッサイとその息子たちに身を清めさせ、いけにえの会食に彼らを招いた。

主はサムエルに言われた。
「息子たちの容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは人間が見るようには見ない。
人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」


サムエルは、羊の番をしていた末の子を、人をやって、連れて来させた。
 
『羊の番をするダビデ』

彼は、血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。

主はサムエルに言われた。
「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」
サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。

 
『ダビデに油を注ぐサムエル』

その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。』
          サムエル記上 16章1-13節

エッサイの子ダビデは、神から選ばれ、サムエルから油注がれて、『神の代行者』となるのです。
少年時代に油注がれたダビデは、主の霊を激しく受けて成長し、神に直接に導かれました。
イスラエルの第二番目の王となったダビデは、イスラエルに平和と繁栄とをもたらし、40年間イスラエルを治めます。

         イスラエルで王となる者は、
   『神の代行者』であり、同時に神に忠実でなくてはなりません。

  神の望みを実現するために、民の上に立ち、民を治める者となります。
『神との契約』と『モーゼの教え・十戒』を民に守らせる使命を持つのです。

ダビデが王として支配した『イスラエル』は、キリストが宣べる『神の国』の前表でもあります。
  ダビデは神と民に仕えて40年間。今日の友達の司祭様は神と人に仕えて50年間

   『油を注がれた者』とは、ヘブライ語の『メシア』。ギリシャ語の『キリスト』です。

       キリスト者となった私たちも『油注がれた者』です。
  私たちも、ダビデや司祭様に倣って、我が身は『神に捧げられた者』として、
      凛として不動で、無私の透明感で、神と人に仕えるのです。
          …そうあらねば。
 司祭様のお姿を拝見しながら、いろいろ思わされ、考えさせられた一日でした。感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人は皆、それぞれに使命を持って人生を送るのですよね。
迷うことなくまっしぐら。一歩一歩積み重ねながら黙々とゴールまで。それが人生の勝利者なのですね。お元気で!
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『主が喜ばれることは、主のみ声に聞き従うことである。』 そして 『新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れなさい。』

2018-01-15 22:54:54 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
年を取ると、頑固になる。身に覚えがあります。気をつけなくては・・・。
偉いお人は、自分の考えを変えるのは大変です。とも言われますよね。


今日は1月16日。年間第二火曜日。
『今日の第一朗読 預言者サムエルの言葉』

『サムエルはサウルに言った。
 
『預言者サムエル』

「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。
むしろ、主のみ声に聞き従うことことではないか。
見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは羊の脂肪にまさる。」』

               サムエル記上 15章16-23

サムエルは、
イスラエルの初代王・サウルに、忠告と預言をしたのです。

「王になった後のあなたは、目前の仕事や戦いに心を奪われてしまっている。
神の御声を聞くことを忘れて…あなたの神への従順や信頼は揺らいでいる。
そんなことでは、
神の霊はあなたから去り、ついには神があなたの王位を取り上げるであろう。」と。

サウルは、偉くなって・・・”自分の考えが最高!”と、権力者らしく、変わってしまいました。
サウルは、神への従順も謙遜も忘れてしまいがちで・・・全てを失うことになるかもしれないのです。要注意です。
              実際に、サウルは王位から退きます。


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスは言われた。

「だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。
そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。
新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」』

 
『新しい革袋』            マルコ福音書 2章18-22節

  偉いお人でなくとも、一般人も、人は『新しさ』を受け入れることは、大変です。

  イエスは、今までと違った、『新しい考え』をもたらしました。
  律法学者たちが人々に伝え続けた『古い契約』ではなく、『新しい契約』を作られたのです。
  イエスの教えの新しさは、今までの律法の細かいことにあわないことがありました。

イエスは、『新しい考え・教え』を自分の中に入れるためには・・・
今まで通りの心では無理です。
新しさを受け入れることができるように、心を改める必要がある。とおっしゃるのです。

  人が、自分の心や、自分の考え方を変えるのは、並大抵のことではないのです。
ただただ、イエスを信じて、それが幸せへの道と信じて、イエスの考えに従うと、決心するしかないのです。

私も年を重ね・・・
サウルのように「我こそは!」と頑固ではなく、律法学者のように『新しい考え』を受け入れないのではなく、
心柔軟に、心改めつつ、『新しい革袋』でありたいものです。頑張ります!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
世の中の時代の変化は、すごいスピードですよね。その変化についていくには、心柔軟ですね。頑張りましょう!
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仲間・・・『新年会』 そして 『自分の体で栄光を現す。』

2018-01-14 15:00:00 | 日々のこと。
人は色々の仲間・共同体に属する。
家族。学校。地域。私の場合は山仲間や絵画仲間。教会も仲間の一つ。

今日は、
最終卒業校の仲間と・・・  『新年会』


    仲間の一人のお宅で14人が集まった。
年に数回の『季節を楽しむハイキング』と『季節を楽しむ食事』を楽しむ仲間です。
   お元気な80歳からバリバリの43歳まで。
 ”今年も一年、元気で集まりましょう!”と。今年の初集会は『新年会』。

今日は、「3月に息子家族の住む山形に越すことにしました。」と『送別会』にもなった。
      8年前に未亡人になった仲間の英断です。
見送りながら・・・私も明日も分からない年になった。仲間から学ぶ。


そして。

今日は1月14日。年間第二主日。

『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』

『あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だと知らないのですか。
みだらな行いを避けなさい。みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。

知らないのですか。
あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿って下さる神殿であり、
あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。だから、自分の体で栄光を現しなさい。』

                     使徒パウロのコリントの教会への手紙Ⅰ 6章13-20節

人は色々の仲間に属する。
キリストの体の1部分としての仲間は、信徒の共同体、『教会』です。
 
『昨年大みそかの私の教会』

    パウロは、共同体としての重要性を強調します。

主キリストのものとなったキリスト者は、主の体の一部であって、主を礼拝する『神殿』なのです。
神殿である仲間は、足となり手となり口となって、誰が誇ることなく皆それぞれのタレントで、『共同体・教会』を造るのです。

教会共同体の全員の個々人は、『聖霊』が宿る『神殿』でもあるのです。
聖霊に与えられる『愛する心』で、互いに愛し合いながら『神の栄光』を現し、『神殿である体』を造り上げるのです。


 人は、それぞれが属する『共同体』の中で、美しい行いによって、自分を浄化していくのですね。
人は、『我が身は神殿である』とのプライドを忘れず、みだらな行いで罪を犯さないでいたいものです。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年も、仲間と共に、どんどん進化してまいりましょう! 進化に年は関係なしですよね。ファイト!
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