マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

日本の流行ドレスは、欧米の流行の二年遅れ?  そして 『叫び』

2017-07-04 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。

 『Myドレス』
日常の洋服も、孫守りのために出かける海外で購入することがある、と以前に書きました。

   2年前の買い物。

  ベルギーで、      『COS』 を購入。
 
 
                 大好きな 『My COS』
2年前。 
ベルギーの『COS』店は、当時の大流行:『COS』のSaleで、大変なにぎわいでした。

2年前。帰国後。
早速に『COS』を着てみようとしましたが・・・
  当時の日本では、『COS』は『異質洋服』の感じで、流行はずれで、着れませんでした。


あれから2年。今の日本。

          『COS風洋服』 の大流行。
     
               『My COS』にそっくりの日本の服。 ネット上の写真。

      あちらでもこちらでも、『COS風洋服』、をお召の今の日本で、
      私もクローゼットから、MyCOSを取り出して、着始めました。

日本の流行ドレス・ファッション業界は、欧米の流行の二年遅れ?ということなのでしょうか?
米国で購入する『MYドレス』も・・・日本では、数年たってから流行のきざしがあったりします。

やはり、
  洋服に関しては、情報がどんなに進んでも、欧米がリードする世界なのでしょうかね? 
                     以上。 今日、MyCOSを着ながら、考えたことでした。お粗末様でした


そして。

今日は7月4日。 年間第十三火曜日。

 今朝のラン途中。 
   プロテスタント教会の『掲示板』の『今週の一言』をチェックしました。

        『今週の一言』 は 『叫び』 でした。

 『叫び』といえば。

   第一に思い出すのは・・・     『叫び』
   
                                     ムンク作品。

「自然を貫く果てしない叫び」に怖れおののいて耳を塞いでいる姿を描いたもの。
     
         『私は2人の友人と歩道を歩いていた。
     太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。
   それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。
  友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。
     そして、私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。』 ムンクの作品説明より。

オスロ・フィヨルド(ノルウェーの南東にある湾) を望む景観が、『叫び』の実在する舞台です。

      「自然を貫く果てしない叫び」
これを聴くムンクの感性が尋常ではない。 このムンクの感性こそがが、『叫び』の原点となったのでしょう。
凡人の私には、理解が難しい感性ですが、興味が尽きません。

      私が、『叫び』を、日本の展覧会で観たのは、十年以上前だったろうか?
      本場:オスロの舞台で、『叫び』を感じてみたいと、長年願っています。


叫び』といえば。

  なんといっても。思い出すのは・・・     『イエスの叫び』
       

    『三時にイエスは大声で叫ばれた。エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」
     これは
  「
わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。』
                                      
マルコ福音書 15章34節 


     イエスは、人として、苦しみの中から叫んだのではないでしょうか。


        しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、色々の出来事を見て、非常に恐れ、
       
 「本当に、この人は神の子だった」と言った。』  同 27章50-54節
                                           


    イエス同様に。           『ダビデ王の叫び』

                  『ダビデ王』             アーレント・デルヘル作品。   

     『わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。
  なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず、うめきも言葉も聞いてくださらないのか。
     わたしの神よ、
 昼は、呼び求めても答えてくださらない。 夜も、黙ることをお許しにならない。』
                                          詩篇 22篇2&3節
                  

      『詩篇22篇』は、苦難の時の、『ダビデの叫び・祈り』です。

  ダビデの苦しみはあまりにも大きくて、神様に見捨てられたと思うほどに、彼は絶望しました。
    人は、
神様に本当に見捨てられたなら、だれも耐えることができません。それは完全な暗闇であり、全く希望がないからです。

    しかし、
ダビデは、それでも信仰を捨てません。 深いところで神に信頼し、その救いを、昼も夜も、祈り願っているのです。

      ダビデは、主を信頼して、叫び続けるのです。祈り続けるのです。

       『主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。
   死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。
       あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。』  詩篇22-4


          心のままに、神に向かって叫ぶことは・・・
 祈りであり、大切なことなのでしょう。 神への信頼があるからこそ、神に向かって叫ぶのでしょう。

                            『叫び』は『冥想』です。
  冥想・沈黙しながら(走りながら)…神を思う。すると、突然に神が降りて来られる。神の栄光に包まれるような・・・。
   すると『神よ助けてください!そばにいてください!』と、心の中で叫ばずにはいられない。そして又、沈黙。

                 『神よ、聞いてください!』 
        私たちも、先人・イエスやダビデに倣って、神に向かって、叫びましょう!

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
神に向かって叫び・・・お人の叫びは、心を込めて、聞いて差し上げましょう。 互いに心が開けて、幸せです!
         
*********
7/4。5時半。 ともかく、休むことなく、途中で速歩になることがっても、走り続けた。10㎞。

  7月の運動: ランニング 42㎞  階段上り下り 0回
  登山 0回



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