マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

私たちの舌と耳と そして 目。・・・呼び覚ましましょう!

2014-04-16 09:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
生聖週間・4月16日・『受難の水曜日』。
相変わらず・・・
教会も私も、教会典礼以外のすべての動きは沈黙し、イエスの受難と死と復活に全神経を集中する日、を送っています。

沈黙の日々も4日目。
        『今日の御言葉』

    『主なる神は、
弟子としての舌をわたしに与え、疲れた人を励ますように、言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとに私の耳を呼び覚まし、弟子として聞き従うようにしてくださる。』
                                 イザヤの預言 50章4節
私たちの舌
何のための舌なのか? 疲れた人を励ます言葉を語るために、私たちの舌は存在するのです。
私たちの耳
何のための耳なのか? 弟子として、神の声に聞き従うために、私たちの耳は存在するのです。 と。
                ・・・・さてさて! 私の舌と耳はどんな働きをしているかしら?

すべての活動を止めて・・・
沈黙を保つ時。 精神的に・・・余計なものが、どんどん、排除されていく気がしています。
  肉体的にも・・・余計なものの不必要が、分かる気がしてきます。 Silent! シーン! 静かに!

そして
私の目
4日前のお嫁ちゃんからの に釘ずけです。
白石一文    『わたしという運命について』

『人生は自分自身の意思で切り開く。』 のだろうか?
それとも
『人生は、運命という存在に身を任せ、あるがままに受け入れていく。』 のだろうか?  と。
作中の佐智子は記します。
『選べなかった未来、選ばなかった未来はどこにもない。 未来など何一つ決まっていない。
だからこそ、一つ一つの選択が運命なのだ。 私たちは、運命を紡ぎながら生きていく。』 と。
                ・・・・さてさて! 私は自分の人生をどう考えているかしら?

ちなみに・・・
キリスト教では、神は、いついかなる時も、「何を選びそして選ばないのか」、人に選択の自由を与えておられます。
                                人の『自由意志』こそが、神から与えられた『人間の尊厳』です。
   『神の言葉。
見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。』 申命記 30章15節

人は、どちらの道を選ぶのか? 命と幸いの道か? 死と災いの道か? あなた様次第です! さてさて!!

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 いかがお過ごしですか? 素敵な毎日でありますように!