昨夜夜半に生まれた・・・ 『栄光なる幼子・イエスキリスト』
父母の愛情に包まれてスヤスヤと。
昨夜お迎えした 『栄光なる幼子・イエスキリスト』 は、どういうお方なのか?
聖書は答えます。
『初めに言(ことば)があった。
言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。』
ヨハネ福音書 1章1&2節
更に
聖書の答えは、続きます。
『言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた。』
ヨハネ福音書 1章14節
昨夜お生まれになった
『幼子』は・・・
『初めに、神は天地を創造された。』(創世記 1章1節)。 天地創造の前から・・。 永遠の初めから・・。
・・・『神と共にあった。』 そして 『言』 である。 『神』であった。
『わたしはある。私はあるという者だ。』 (出エジプト記 3章14節) ということです。
主の御降誕! おめでとうございます!
『わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、
恵みの上に、更に恵みを受けた。』
『恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた。』
ヨハネ福音書 1章16&17節
あらためて・・・
主の御降誕おめでとうございます
すべての者が、『神の救い』 = 『栄光なる幼子・イエスキリスト』 を見た 昨夜でした。
そして
『いかに美しいことか。山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。』 (イザヤ書 52章7節) と。
イエスを告げ知らせる足音が聞こえる 今日です。
『言(ことば)』は・・・
『肉となって、わたしたちの間に宿られた。』。 マリアのお腹で、月満ちて、産まれた『言』 ということです。
・・・『言』 は、わたしたちと同じ姿になられた。 ということですよね。 『言』=『神』を目で見、触れることができるようになった。 ということですよね。
人は・・・”神を見ることが出来ない。” とか ”神は見えない存在だ。” と言いますよね。
でも
その言い分って、間違っている。ってことですかね。
”神を見ることが出来る!” つまり ”神は見える存在になった!” てことです! よね すごいことです!
『栄光なる幼子・イエスキリスト』は、『言』である神がこの世にお生まれになったということです!
ハレルヤ!ハレルヤ!
『突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」 』
ルカ福音書 2章13&14節
確かに・・・
聖書は語ります。
『いまだかって、神を見たものはいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。』
ヨハネ福音書 1章18節
イエス自身も語ります。
『わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わした方を信じるのである。』
『わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのである。』 ヨハネ12章44~46節
『恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた。』 ヨハネ福音書 1章16&17節
つまり・・・
イエス・キリストを通して現れた 『恵みと真理』 こそが 『神』 てことになりますよね!
以上。
あれこれと。 昨夜お迎えした 『栄光なる幼子・イエスキリスト』 は、どういうお方なのか?
と。 考えた一日。 その一部でした。 お粗末さまでございました
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 メリークリスマス!
昨夜と今日と。クリスマス をどなたとお迎えになりましたか? 私は夫と二人で。 静かで穏やかで幸せなクリスマスでした