そらのカケラ

みんな大きなもののカケラなのかもしれない。

みんなで登る

2010-05-16 10:40:00 | Weblog



先週の土曜日は、知人たちと共に「大山」に登ってきました。
そこでは、初めて会う人、既に何回かあって顔見知りの人など知人を発信源として集まってきた大人と子どもたちと出会う場所でもあります。
河原で遊んだり、今回みたいに山に登ったり、夏休みはお泊りがあったりと楽しい場所を提供してくれるので、無理せず行けるときにいくようにしてます。

前回は頂上まで長女と登った「大山」、今回は次女と主人も参加でした。
今回は頂上までいかず待ち合わせ場所から途中にある「下社」まで比較的なだらかな坂と言われている
「女坂」から上っていくことになってました。
集まったご家族は、小さいお子さんの居る家族が多かったです。
勿論、小学生〜中学生も参加してます。

「女坂」は下社に行くまでに「七不思議」があり、それを探しながらの山登りでした。

湧き水があったり、潮騒の聞こえる穴があったり喋って渡ってはいけない橋があったりと子どもたちはその場所場所で大喜び!!!

小さい子たちも、お父さんお母さんの応援の言葉を背中に感じながら押されるように登っている様でした。

小学生組は、一応先頭の私たち家族を追い抜かしてドンドン行ってしまいます。
私は急いで上りたくないので、主人に任せてマイペースで新緑と景色と空気を楽しみながら上がっていきました。

次女といえば、ちゃんと山を登った経験がまだなかったので
「どうかな?」と思ったのですが、やはり小学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんに追いつきたいのでしょう、親を置いてドンドン上がっていってしまいました。

親や、祖母だけだと甘えから文句をいって登らないことが、1年前にありました。

でも、顔はしらなくても一緒に登る人達がいる。

それが、楽しいのでしょう。上に行けば行くほど「生き生き」としていくのが
手に取るように分かりました。

下社について、お昼になったのですが
せっかくここまできたのだからと、少し上の見晴台まで上ってお昼にしよう!という事になりました。さっきの「女坂」と違いなだらかな道が続いていて、アッという間に見晴台につきました。そこで念願のお弁当タイム!!!

久しぶりにおにぎりが美味しい!!!と感じてびっくりしました。
毎日自分で作る料理なので、美味しいって感じることは少ないのですが(主婦の方はわかってくれますよね〜
本当に美味しかったです!!!お天気もよく、頂上もよくみえました。
雲も広い空の中にいろんな表情を刻々とみせてくれて楽しかったです!

帰りは下社で「大山の水」を頂き、軽くなっているはずの下山のリュックは行きより重くなりましたが、気持は軽く後から登ってきた知人家族と下山しました。
でも・・・日ごろ山登りをしなくなったせいか、初めて「足ガ笑う」経験をしました。
いや、下山は怖かったです

下社で一度解散したものの、殆どの人がケーブルで降りず
歩いて下山したいったので、帰りの電車も何人かのグループになって
わいわいと帰ってきました。

いつも、なにをするって事は無いこの集まり。(一応山登るとか、河原でなにしよっかとかはありますが)

「皆と共に」

いることで、そこから何かを皆が感じるようです。

子どもたちも、縦の繋がり、横の繋がりから色んな経験をさせてもらってます。
勿論、大人たちもね!

今居る環境が悪いというのでなく、その中でも子どもたちは楽しいことを経験してきます。
でも、私はもっと子どもたちと「思い出」を共有したいのです。

子どもたちだけでなく、今離れて時間をすごす事の多い子どもたちが
もっと、親と共に、色んな人達と一緒にいること、触れ合うことが必要なんじゃないかと感じてます。勿論、それが出来ない人もいると思いますが、ちょっとでもそんな気持をもってちょっとでも、「目を見つめて話す」ことが必要なのだと、思いました。

子ども生まれた時、私は喜びより「不安」でいっぱいでした。
目の前に、経験のないことがあったからです。

その「不安」は、周りに助けてもらったり、自分で真剣に悩んだりしていって
自分と出会い、辛かったり苦しかったり泣いたりしながら、でも時には「幸せ」を感じたりしながら進んできたことで、なくなりはしないけど変化したみたいです。

ただ、知らないことに対しての「不安」だったのでしょう。
(そうじゃない人もいると思います。感じ方は人それぞれで良い悪いで無いと思います)

今はやっと楽しめるようになってきたようです。




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魔法の粉

2010-05-06 18:51:27 | Weblog
なんだろうね?
明らかに、違う世界に踏み込んでいる感じ。

環境が変わったのもあるけど
その環境は自分で選んだもの。

それには、「不安」がつきまとっていて
気を抜くと、不安に体中が支配されていた。

でも、そんなときでも
それと向き合う。

ちょっと前だったら
「それが、嫌!そんな私が嫌!」となっていたけど

そんなのが私

それで不安が生まれるのなら
それを見つめてみよう。

そう、思えるようになった。

でも、それを向き合うのはやっぱり苦しいよ。
あ〜苦しいね〜でも、もしかしたら
私が思い込んでいるだけで
本当は問題ないのかもしれないな・・・
狭い世界をみてるから、苦しいのかも。

な〜んて、感情をみつめてみる。


そんな中で環境も変わり
苦手な人前に立つことも増えてきた。

そのついでに・・・
その波に乗っちゃって
ちょっと、やってみたいこともでてきた。

友人には素敵な人が多くて
色んな話しを聞いては
自分のエッセンスにちょいちょい
ふりかけてもらっている。

「魔法の粉」

ティンカーベルの粉なんだきっと!

私にとって「飛ぶ」為のエッセンス。

あ〜でも、わたしったら
やっぱり、中々飛べないで
躊躇する。

もうちょっと、まって・・・

きっと、自分のタイミングで飛ぶからね。
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まっさらなまま

2010-03-14 22:01:18 | Weblog
まっさらなまま
飛び込んでいけばいいとおもった

まっさらなまま
進んでいっていいとおもった

潔く

どんな自分もそれでいいと

そうおもった

否定していたのは

やっぱり自分だったのだと

周りと違うのは当たり前

み〜〜んな本当は違うのだから

ただ、外をみて

色々感じて

憧れたり真似したりしてもいい

それでも

やっぱり

自分にしかなれないのだから

嫌〜な気持になっちゃっても

それさえも自分

それさえも認めてあげる

いっぱい悩んだっていいじゃない

それだって必要なんだよ

それで満足しちゃったら

もう

「いいや」ってなるんだよ


そして

まっさらなまま

とびこんじゃおう!って思えるようになるんだよ

どんなに見繕っても

それは重たくて苦しくて自分が可愛そうになっちゃう

だから

まっさらなまま

飛び込んじゃったほうがいいんじゃない?

しかも笑顔でね!

そのほうがきっと


「きもちいい」


いっぱい着ていると、重くてとべないよね


だから


まっさらなまま

飛び込んでみよう


そして、その場所から紡いでいこう!

まっさらなままでいることは

自分を信じることに繋がるんだね。
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わたしの好きなばしょ

2010-02-24 18:12:37 | Weblog
それは水の中

小さい頃から水が大好きで
お風呂を沸かさない日でも
駄々をこねて聞かなかったそうなので
バケツにお湯をはっていれたそうだ(笑)

だから
フロ釜をみると
無性にワクワクしてしまう(笑)

私の祖母家は、 お豆腐を買いにいくと
昼でもフロ釜に水がはってあって
そこに白いお豆腐がプカプカを浮いていた

その時ほど
私は「お豆腐やさんっていいな〜〜」と
思わずにはいられなかった(笑)

祖母宅から引越してからというもの
お豆腐やさんは車で売りに来るようになった。
つまんな〜〜〜い。
やっぱりお豆腐やさんまで行かないと!と
言葉にださず心でおもってたのです。


小学校に入って
私はプールというものにであった。
泳ぐということは正直「嫌い」だった
息をしないで水の中を進むなんてっ!!!
疲れるだけじゃん!!!と。

プールで好きだったのは
潜水。
これは何故かできた。
水面を泳ぐより
より深く潜ったほうが
水の世界に浸れるからだ。

苦しいのはいやだけど
潜っていれば雑音なしの
水の音しか聞こえない。

そして、底から水面をみるのが
大好きだった。

ゆらゆらを光とともに
波がうねっている

それをみてると
地上を忘れて
何かをおもいだしそうになる。

そして
プールの時間が終わり
水面からあがって
着替えていると
いつも不思議な感覚に囚われていた

とってもせつない
なんともいえない気持

それは
家族を思い出しても
友達を思い出しても
決して消えることの無い

切ない思い。

きっと、水から上がったことで
起きているのだと
小学生の私は感じた。

大人になって
イルカに導かれ
怖いと思ってた
海で泳ぐことも経験した

特にハワイの海にはいったときは
びっくりした。
日本の海とは違う
自分を包み込み
海に吸い込まれた感覚
シュノーケルで海底をのぞけば
底までみえる
怖いという思いは
もはやなく
海に吸い込まれている自分を楽しんだ

そして小笠原の海では
海の厳しさ怖さそして海と生物の共存を
日々海に入らせてもらうたびに
みせてもらった

イルカを追って海に入った私だけど
気づくと海そのものが好きになっていた
そして・・・
いつの間にかイルカを追うことをやめていた

イルカを忘れたわけじゃない
ただ、もういつでも一緒なのだという
思いが私の中にうまれていた

でも、一度沖まで小さいボートで
働いていた人達4人でいったとき、
いつの間にか
イルカの親子がボートの先で泳いでくれてた。
その時ほど
イルカ達に思いは通じるのだと
教えてもらったことはなかった。

ちょっと薄れてしまったけど

あの場所にもどることは
いつでもできるのだと

そう目をとじて
思いをハセルコトデ・・・・
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水の波紋のように

2010-02-16 20:05:18 | Weblog
「受け容れる」こと

ここのところ暫くこれがでてきてます。

そして、悩んだ後

「あっ・・・受け容れればいいんだ。ただ、それだけ」と
腑に落ちるのです。


私の根本は

「恐れ」から出来てます。

物心ついたときから。

家庭でなにかあったわけじゃないんです。

生まれついてもっていたもの

そんな感じなのです。


でも、最近わかったのです。

「怖いのは受け容れないから」

「受け容れないから怖い」

ともいうのでしょうか。

受け容れるということは
自分を信じることにも繋がるみたいです。

逆に自分を信じれないから怖くあり
受け容れたくないってことでもある。



最近思い出すのは、自分がこう感じていたのはこうだったからなんだね。

ということ。

渦中にいたのでは分からなかった見えなかったこと。

でも、今はそこよりちょっと広くなった場所で
それをみつめてるみたいです。

そう感じた自分
そうゆう結果をだした自分を

後悔したり
惨めに思ったり
恥じたり

そう思うのでなく

ただ、その時はそうだった
ただ、それだけ

それが「わたし」なのだと。

そう「受け容れる」



水の波紋のように
最初の一粒があるから
広がっていけるのだと
そう、全ては無駄ではないのだと

今は感じることができます。
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緑のなか

2010-01-13 19:35:21 | Weblog
緑の中って好きですか?

私は大好きです。
私の実家は今では家が立ち並んで住宅地なんですが
私の小さい頃は、目の前には山があり、家の裏の方は歩いて数分のところに河原がありました。家の周りは畑と栗林に囲まれて家も数件しかない、いわゆる「田舎」でした。八百屋さんだってトラックでおじさんが売りにきていたし、そうそう本は移動図書館でした。小学校1年せいのときは「分校」に通っていて4年生になったら隣の駅の小学校に通わなければなりませんでした。(運よく、2年生のときに山の上に小学校ができたの行きませんでしたがね)

遊びといえば、河原にいって農協用水路の川でざりがにとり。
土手でダンボール見つけて滑る。
その向こうは陸橋がかかっている大きな川があり、そこでもとりあえず川に入ったり魚をみつけたりしてました。
そうそう、蛍もいたんですよ〜。
夏は栗林や山でくわがた探し。何も無い空き地みたいのがいっぱいありましたからそこに、秘密基地は作りましたね。

私には2つ年上の兄がいたので、兄によくついて遊んでました。
少しすると、近所に一つしたの男の子2人がいたのでその子たちとも
外遊びをしてました。

こうゆう事を書いていると、かなり、活発な印象かもしれませんが
そこは「兄」がいたことや、男の子の中の女の子なので出来ないな〜と思うことは後ろからみんなのやることをみていて、お手伝いをしてるような子でした。

好きなことといえば、「観察すること」
ありの巣を眺めていたり、蟻地獄に蟻をいれてみたり(蟻が身近だったのです)
バッタやとかげやカタツムリを捕まえてみたりと、比較的安全な虫観察を好んでました。

木も登りましたが、そんな高いところにはいかず
登ったことで、満足するような子でしたね。


そんな環境で育ったので、子育てはなるべく「緑と共に」と思ってました。
自分もその中にいることで、とても安心するのです。
後、小さな発見も好きなので。

この「小さな発見」は、子育てをするようになってから、思い出したものの一つです。小さい頃はそんな発見が本当に「キラキラ」と輝いていたのに
気がつくと、大きなもの、特別なものにしか目がいかなくなっていて
毎日が灰色の日々になってたのです。
でも、その場にいるときはそんな事考えもしなくて
でも、何か空しくて足りないともがいてました。
「私はなにを得たいのか」と。

偶然ではないと思うけど、引っ越すときにみつけた駅から近い物件が今の場所できめたのですが、住んだあと周りを探検してみると徒歩でいける、人間の手が入っているけれど散歩には良い、「森」があったのです。

長女が生まれて首もすわった頃、家族で森デビューしました。
そして歩いていくうちに、隣の駅までそれが続いていることがわかってから
私達家族は「歩くこと」を楽しめるようになってました。

下は土ですから、転んでもそんなに心配はありません。
子どもたちは、余り駄々をこねず歩いてくれてました。

春は、お花見。桜が川岸に植わっているので桜のアーチをくぐります。
夏になれば、お弁当をもって水遊びの出来る場所で遊び
秋には、どんぐり拾い
冬は池にいる水鳥をみにいきます。

そこでは、行事もやってくれているので
古民家で味噌つくりや、かまどでご飯を炊くなど
季節にあった経験をさせてくれます。

この1月は広場で「どんと焼き」をしました。

でも、人が管理しているところなので、危ないものと指摘されたものは
なくなるみたいです。


私のお気に入りの「木」が川岸にありました。
勿論、今もあります。

でも、かれは3本くらい中くらいの木?を土からだしており
そのうち一本が横に伸びて又上に伸びている
面白い「木」でした。

その横に伸びているのが、いかにも
「ここに、お座りなさい」といっているようで
子どもたちによく、座らせていました。

小学生、幼稚園と背丈の大きくなった子どもたちは
自らそこに座ることでできるようになって
彼女たちもその「木」とは仲良しでした。

去年の5月ころでしょうか?散歩にいったその場所で
子どもたちはその木に登って座り写真をとりました。

その写真が本当にいい写真だったのです。
子どもたちと木と周り優しい光で包まれていて
私の大好きな写真となりました。



そして、少したった後にそこにいくと
その気の一部が切られて座れなくなってしまっていたのです。


子どもたちは、「木がかわいそう」と今でもその気をみるといいます。

私にもそんな気持が小さい頃ありました。
遊んでいた山が、切り崩され住宅地になってしまったときの
あの、寂しい気持。

もう、あそこで遊ぶことができないんだ。
とう気持と山がかわいそうという気持。

同じ気持なんだなって思いました。

そこに、「思い出」というものができてしまったから。


もう、なくなってしまったことは悲しいけど
そのなくなったことに視点を置いて、動けなくても
いつかは、その思い出をバネに、感謝とありがとうの気持ちをもてるようになったらいいなと、私は思います。


生きていくというころは、日々の変化と共に進むということでもあるんでしょうね。


自然はいろんなことを私に静かに語りかけてくれます。
ただ、それに耳を傾けることが大切なのかもしれません。
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とおくにあるもの

2010-01-06 19:56:37 | Weblog
遠くに目を凝らさないとみえない


それは遠くにあるから



それに憧れたり

どきどきしたり

不安になったり、絶望したり、怖くなったり

ずっとしてた



自分の周りにあるもの

それをみないで

手をかざして

岩の上にのぼって遠く遠くばかりみていた



ふと


鼻をつく甘く、柔らかな香



そしてそれはからだの周りを取り巻いて

掴まえようとしても

うすくなって

本当に

かすかに残りながら

消えてゆく



初めて自分の足元をみた

今にも転がりそうな岩のを

たくさんのものが支えていて

私は転がらないでいた・・・・・・・



もう岩にはのぼらない


そして降りたとき


あの甘く柔らかな香に包まれて

今の輪郭がはっきりしてきた


その今と共に


自分の憧れた先はあるのだと

そう

感じた


目の前には

金木犀の小さな花が

風と共に

柔らかな

ココロをのせていた

**************************************************************************


この「詩」は去年他のブログに書いたものです。
こっちもアップしたいな〜と思い載せてみました。
「詩」って不思議なんですが、私は後から自分のものをあまり読みません。
その時、溢れる気持をただでてくるままに「綴っている」そんな作業です。
だから、これを読んだときも「私がかいたのかな?」となんかくすぐったい気持です。基本的に自分をみることに関して恥ずかしいので。
今年は、自分を良く見つめて表現していきたいとおもってます。
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今年はじめて

2010-01-06 11:24:25 | Weblog
寒中お見舞い申し上げます。

年末年始と実家に帰り、ゆっくり、まったりとしてました。
子どもたちの学校、幼稚園は8日からなので今はちょっと騒がしいですが
まだまだ、正月気分の抜けない「綴」です。


クリスマスの夜に見事に熱を出した長女。
長女曰く「甘いのもの食べすぎで熱がでた〜〜」とのこと
そんなことあるか〜〜い!!と心の中でつっこみを入れつつ
「とりあえず、寝んしゃい」とひたすら眠らせました。

たしかに、24日の夜うちでケーキを食べ、25日の午前中は体操仲間のクリスマス会で運動した後にケーキやらお菓子を食べ、すぐ午後にはプリンのケーキを食べたそうな・・・・そりゃ、気持悪くなるでしょ〜〜

次の日は熱が下がったのですが、調子にのって一日中妹がもらったクリスマスプレゼントのドールハウスで遊んでいたのでその夜また熱が一挙に39度まであがり、又次の日の朝には下がるという具合でした。下がったのが28日で31日から実家に帰る予定だったで、もう熱が出たらいけないよというと後の2日間はおとなしく寝ていてくれたので無事31日は実家に帰ることができました。

そういえば、1日は5時くらいに目が覚めて外をみたら、初日日の出はまだでていませんでしたが、西の空がすごく明るかったのでカーテンを開けてみると
まん丸なお月様があり
お正月からなんか特した気分になったのでした。

今年の目標は

「願ったことを実現する」です。

去年はエンジンがかからず、ゆっくり、まったりを楽しんだ1年でしたが
今年は動きたい!!!気分が少しずつ「芽」をだしています。
このブログもなかなか更新できませんでしたが、今年は意識して書いていきたいと思ってます。
普通の主婦の日常を書いてますが、読んでくださる方がいるということは
びっくりするのと、励みにもなります。
去年は読んでいただきありがとうございました。
そして、遠くにいって会えない友人達も読んでくれているので
今年はがんばります!

今年もどうぞよろしくおねがいします。
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美しい光景

2009-12-07 11:29:26 | Weblog
朝、お天道様が穏やかに顔をだして
空気は冷たいけどとってもキモチよさげな外!!!

そうだっ自転車乗って図書館へ行こうっと。

nagiをバス停で見送ってばいば〜い!

そのまま自転車でれっつゴー

風はいい感じに冷たくて顔にぴしぴしあたってくる。
でも、お日様が照らしてくれているから
身体はぽっかぽか。

20分くらいで図書館について
子どもたちの本を選ぶ
私の趣味で選ぶから「魔法使い」ものが多い。
後は動物が主役の本

今回は絵本は借りないで
挿絵程度の本をnagiにかりてくる。
長女mionにはちょっと漫画っぽいけど
「魔女商会」シリーズの本でお菓子のレシピなどが書いてあるものち
イギリスの児童書「小さい魔女」を借りてきた(挿絵が好み〜)

後は自分。

最近、食生活が良くないなって思っていたら
長女が身体に発疹ができて、家族みんなが中途半端に風邪を引いてしまっている。特に咳がひどいのです。

で、料理の本を何冊も借りて
前から気になっていた「プー横丁にたった家」と写真が綺麗だった「宮沢賢治イーハトーブへの切符」

もっと借りたいけど、十冊以上借りると自転車にのっけるとかなりおも〜いので断念!

帰り道、ちょっとお茶したいって思ったので
途中で買い物してコーヒー缶一本買った。

帰り道の途中でいつもの「森」へ

好きな指定の場所へ自転車を止めて木の長いすに座る。

この日は風が強くて座った場所は
葉っぱの雨
ちょっと目をやると
狭い道を落ち葉がこっちに向かって回りながらやってくる
上から黄色い葉っぱが
前からは色んな色の葉っぱが・・・
それを暫く座ってみていると
全てのものが
とても美しくみえてきた!
森の木々は生き物のようにあっちこっちにうねりながら
葉っぱを落とす。
何かの本で、木は子供の葉っぱが旅立つときとても寂しいって書いてあったけど、ここの木々は違った
「さあっ!いってらっしゃい!!!」とうしろから背中を「ぽん」って叩く木々ばっかりだった。
もう、あちらこちらで葉っぱ達のおしゃべりで賑やかだった。

そんななか、目の前の落ち葉に
ひときわ目立つ緑のものが動いていた。

「何?」とみていると

それは「かまきり」だった。
きれいな若葉色でりっぱなお腹をしていた。
それをみただけで、冬支度に追われているのだとわかった。

かまきりは急ぎ足で落ち葉の上を歩いている
その先に何があるのだろう?とみると
一本の木があった。

そこに登るのかな?とおもっていると
木に着くなりすごい速さでのぼり始めた。

葉っぱの上では何かに追われるような不安定さがあったけど
木についた途端、その不安はなくなったようで
自信たっぷりに木登りをしているようだった。

その先に何が・・・・・

そう思ってみると

ただ、登っているだけのようだ。
木の半分くらいにくると今度は枝に移動してのぼり始めた
より高いほうへと。

最初太かった枝も段々先になるにつれ細くなり
あっというまに、あの小さな蟷螂がしがみ付くほどの細さになっていた。

なのに!

まだ先へ行こうとしている。

その先は隣の木の枝と合わさって葉っぱが密集しているところ。

後ろに人の気配を感じてちょっと目をやって戻した時には
もう、かまきりの姿はなかった。

かなり高い枝だったので見失った〜!と思って探すと

いたいた!!!

隣の木の枝の先につかまってじっとしている。

そのまま進むと低い場所にいくのがわかっているかのように
進まない。

「この蟷螂、高い場所にいきたいんだ」と
私は思った。


一通りみて、やっと落ち着いて座ってコーヒーを飲んだ。

私の右側では

「もみじ」が燃えるように赤くたっていた。

それは多分、丁度この時間態が良かったのだろう
周りは暗くうっそうとしている
その丁度真ん中にお昼のお日様がもみじを照らしていた。
それが本当に燃えるようにみせている。

「ああ、紅葉って京都なんかにいかなくても特別な場所にいかなくてもこんな近くに美しい光景はあったんだな〜」と気がつきました。


写真は昨日同じ場所で撮ったもみじ
この日はこの日ならでの美しさがありました。

この美しい光景をみたとき丁度携帯を忘れてしまっていて
何も撮れなかったのですが、そのおかげで色んな美しいものをみれたと思ってます
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きがつくと

2009-11-12 15:06:48 | Weblog
小さい頃から

あたたは優しいねって言われてた

そして我慢強いとも


ちいさい子は

「そうなんだ、わたし優しいのね」と一枚服を着る

小さい子は

「そうなんだ、わたしは泣かないよ」と又一枚服を着る


そうやって

ずっとずっと

他の言葉で作られた服を着ていた子は

気がつくと

身動きがとれなくなってました。


だって、動こうとすると

いっぱい来ている服が

「そうじゃないでしょ?」って

しゃしゃりでてきて・・・・・


どうしたらいいか


わからなくなる。


どうしたいのか?


それがわからない。


誰かに聞いても


み〜〜〜んな違う答えが返って来る。



「どれがホントウのコタエなの・・・・」



でもね、誰かが耳元でずっとずっとささやいていたんだよ。



「そのままでいいんだよ」


そのままって?


わからない。


それでも、時間はすぎてゆく

日々やることをやっていく


「そのままでいいんだよ」


それは、段々大きな声となって

いつも私の中で響きだした。


「わたしの感じることを信じたい」


こんな服きたくなかった・・・・

ホントウは

かっこいい服が着たいんだよ

静かにしていたいんだよ

笑いたいときに笑いたいんだよ

泣きたいときに泣きたいんだよ

ホントウは・・・・


「チガウの」

そういいたかった

私はそうじゃないんだって。


優しいなんていわないで
意地悪なときだってある

強いねなんていわないで
ホントウはいっぱい泣きたかったんだよ


ホントウは


「そのままが好き」って言ってほしかったんだよ。



気がついたら


色んな服を着せられていて
でも、これはもう自分で脱ぐこともできるって

わかったから

おもいのは嫌だから


脱いだんだよ。


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