marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(281回目)福音書において何を求め期待すべきかⅢ  (M・ルター)

2017-03-06 19:04:54 | プロテスタント
 いかめしいような表題ですが、ルターのつけています文章の題なのです。まさに目的ははっきりしているその列車に乗っている運転手の方なのですから、ものいいはストレート。外から乗り込もうとする人は、今一度立ち止まってしまうような、キリスト肯定はいいけれどちょっとまってくださいなと言いたくなるだろうなと僕は考えてしまう。しかし、時代を見よ!。かの宗教改革をなして神の言葉を我らに奪還にした指導者なのだから・・・何しろ、コンスタンチヌス体制ができあがって以来、アルプスを越えてヨーロッパにじわじわ浸透したキリスト教がベースの文化圏とは異なって、異邦人のこの国にはベースとなるそれと対決すべく自分のことばでのカルチャベートされたしっかりした言葉がなかったのであるから・・・。あるとすれば、これまたおそらく動かない心情ともいうべき”もののあわれ”で何が悪いんだというものが、この国にはあります。それは表に現れることはない、心情・・・。しかし、まずはこの国の方々に自分の言葉で読むという勧めですから、ルター前回からの続きを書きます。
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 見よ、もし、あなたがキリストを、自分のものとするよう与えられた賜として把握し、これを疑わないならば、あなたはまさにキリスト者である。この信仰があなたを罪と死と地獄とから贖いだし、あなたがすべてのものに打ち勝つようにするのである。ああ、これについてはだれにせよ、十分に語り尽くすということはできない。福音が毎日のように振りかざされていながら、このような説教がこの世において沈黙させられていたのは、避難されるべきことである。
 さて、キリストをこのような仕方であなたの救いの根拠とも宝ともしたならば、次の事柄が続くわけである。つまり、キリストを模範として受け取り、キリストがあなたに対してなさったのを、あなたが見るとおり、自分も隣人のための奉仕に身をささげるのである。見よ、そこでは信仰と愛とが働いている。そこでは、神の戒めが満たされており、人は喜びをもって、動揺させられることなく、すべてのことを行い、また忍ぶことができる。
 だから、十分注意するがよい。賜としてのキリストがあなたの信仰を養い、あなたをキリスト者とするのである。模範としてのキリストはあなたの行いの訓練をするが、その行いはあなたをキリスト者にするのではない。それは、あなたがすでに前もってキリスト者となったのちに、あなたから発するものなのである。だから、賜物と模範を十分区別するように、信仰と行いも十分区別すべきである信仰はなにひとつ自分のものを持たない。持つのはキリストの行いといのちだけである。行いはあなた自身のものを有しはするが、あなた自身のものでなく、隣人に属するものであるべきである。〔・・・・〕   ・・・ 続きます。
                         (『福音書において何を求め、期待すべきか』10の10の1・8-13)
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               (世界の思想家5 「ルター」徳善義和編 平凡社 S51.12.15初版 p60) ・・・ 

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